漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

桐島、部活やめるってよ

2013年04月22日 | 映画

「桐島、部活やめるってよ」 吉田大八監督

を観る。

 何となく気になっていた映画。レンタルになったので、借りてきた。
 タイトル等から、なんとなく気にはなっていたけれども、予備知識はほとんど何もなかった。なので、始まってしばらくは、ストーリーがつかめず、いったい桐島はいつ出てくるのだろうと思っていた。中盤になると、さすがにどうやらこれは「ゴドーを待ちながら」みたいに、桐島が出てこない作品なのだということに気づいたけれども、逆に言えば、そこまでは「桐島の不在」というものがテーマであると納得しなかったわけだった。さらに正直に言えば、最後まで、物語の最後には出てくるのだろうとちょっと考えていた。そして、この漠然とした物語になんらかの結末をつけてくれるのだろうと。まあ、たしかに全く出てこないわけではなかった。だけど、きちんとした形では、結局不在のままだった。それで、唐突にエンドロールが流れた時には、「あれ、これで終わりか」と呆然としてしまった。
 映画自体は、もしかしたらかなりいい映画じゃないかと思う。一度見終わって、もう一度最初から見ると、さらによく分かるようになる映画だと思う。人間関係の説明が丁寧にされているわけではないし、金曜日から始まる数日間のストーリーの時間軸が、やや視点を変えて、繰り返されたりするので、最初は余計にわかりにくい部分もある。だけど、見終わってから思い出すと、なるほどそういうことかと納得できる。最近の、涙あり笑いありという、どれも同じような映画とは全く違う文法で作られているのがいい。
 映画の主人公は、一人に固定されず、誰が主人公であっても成立するようになっているが、それでも大きく全面に出てくるのは、学校の中での立ち位置が対照的な二人。キクチとマエダである。キクチというのは、野球部らしいのだが、現在休部しているようで、それでもほとんど練習しなくても結果を出せるような少年。ルックスも良く、彼女にも不自由しない。嫌味なくらいに、何もかも揃っているが、だからといって、嫌なやつというわけではない。逆にマエダは地味な少年で、映画研究部の部長。剣道部の片隅にある狭くて臭そうな部室に、オタクの仲間たち(男ばっかり)と一緒に巣食っている。もちろん、女子には全く相手にされていない。それでも、顧問の先生に「お前たちの年にしかわからないリアルな青春恋愛映画を撮れ」と言われても、「それは僕たちにとってはちっともリアルじゃない」と突っぱね、撮りたいゾンビ映画を撮ろうとする程度の気概は持っている。女子に相手にもされない彼にとって、甘酸っぱい青春映画など、ゾンビ映画以上に非現実的な世界なのだ、ということを自覚している。
 物語は、このキクチたちの周囲の「桐島という学校一のスターがいなくなって右往左往している世界」と、マエダたちの「桐島がいなくなったことなど、どうでもいい世界」とが平行して語られる。象徴的なのが、映画の最後で、屋上に桐島の姿を遠目に見たと連絡を受けたキクチたちの世界の生徒たちが、大挙して学校の屋上に向かうが、それより先に屋上でロケをやろうとして向かっていたマエダたちは、階段ですれ違った桐島に、ほとんど興味すら示さないというシーン(桐島は後ろ姿しか映らない)。屋上に到着した「桐島たちの世界」にいる生徒たちが、そこには桐島はおらず、いるのはゾンビの格好をしたマエダたちだけであるというのを眼にして、絶望に打ちひしがれる姿とは対照的である。そして、物語のクライマックスも、ここにある。ここで、実は密かに「桐島たちの世界」と「マエダたちの世界」の、力の逆転が起きているのだ。それはもちろん、誰にも気づかれない。当のマエダでさえも気づくことはなく、カメラの部品を拾ってくれたキクチに対して、悠長に彼をカメラ越しに見ながら、「やっぱり格好いいね」とか言っている。だがただひとり、キクチだけは、そこで起こったことの真実を垣間見ている。実力があるはずの自分たちは、その中でも最も才能のある桐島がいないということで右往左往し、絶望感に打ちのめされている。それに対して、桐島の不在など何の関係もなく、自分の持っている力の限界を自覚しながらもなお、自分たちの価値観で行動するマエダたち。自分は本当は深い虚無の中でいて、心の底ではマエダたちや野球部の先輩のことが羨ましいのだと気づいたとき、それまでほとんど無表情だったキクチは、涙を流すのだ。
 映画の最後で、キクチは初めて親友の桐島に電話をかける。その電話がつながったのかは、わからない。彼が何を言おうとしたのかも、分からない。もちろん、桐島が何を考えているのかも語られない。分かるのは、キクチの中で何かが決定的に変ってしまったということだけである。
 見終わった後に、じわじわといい映画だったという気がしてくる。誰にでも簡単に理解できるような映画は、すぐに忘れてしまうものだし、こういった、自分でいろいろと考える余地のある映画は、最近では特に、貴重だと思う。

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