漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

弥勒世

2012年10月07日 | 読書録

 

「弥勒世」 馳星周著 小学館刊

を読む。

 本土復帰直前の1970年12月20日、アメリカ統治下の沖縄のコザ(現在の沖縄市)で起こったコザ暴動をクライマックスに据えた大作。分厚い上下巻だが、面白くて、一気に読んでしまう。アメリカ、ヤマト(日本)に翻弄されるウチナンチュたちの鬱屈を柱に、差別意識や経済的問題など、様々な形の対立がぶつかり合い、爆発する様子が描き出されている。単なるノワールとしては片付けられない、現在にまで続く沖縄問題を正面に据えた作品になっていた。主人公たちについてはフィクションだが、起こったことは基本的に史実に忠実だということだ。
 沖縄については、今まさにオスプレイ問題や尖閣問題などでまた揺れていて、ニュースなどで取り上げられることも多い。本土にいると、どうも実感がわかない部分もあったが、先日沖縄に行ったときに、いろいろと感じるものがあったので、今ではもっと身近に感じるようになった。
 沖縄に行ったとは書いたが、それ以上についてはあまり色々と書かなかったので、ここで少し書いてみようと思う。
 もう二十年も前のことになるが、多少有名な沖縄料理の居酒屋で働いていたことがあって、沖縄料理を作ったりもしていたのだが、実は沖縄に行ったのはこれが初めてだった。沖縄よりも海外に行く方に意識があったので、行きそびれていたというのが主な理由だった。ただ、その時には常連の沖縄の人たちの同郷意識がとても強いと感じていて、正直なところ、それが多少煩わしいと感じていたことも事実だった。というのは、ことあるごとに「ウチナー」と「ヤマト」を区別するところがあったので、神戸から東京に出てきて働いている関西人のぼくとしては、同じ日本人なのだから、そんな区別をしない方がいいのにと、若さゆえだろうか、素直に思っていたからだ。その頃には、沖縄が持つ複雑なバックグラウンドなど、ほとんど考えたこともなかった。
 今回沖縄に行って、たまたま台風に遭遇したおかげで、図らずも本島を北端から南端までドライブするという経験をした。
 沖縄本島は、大きめだとはいっても島なのに、やはり南と北では全然違うと感じた。南へゆくと、サトウキビ畑やバナナなどが目立ち、光もどことなく明るくて、南らしいと感じたし、北はヤンバルの森や山が常に近くにあって、町も家も小さなものが多く、どことなく寂れた感じがして、北らしいと感じた。本州からしてみれば、沖縄の北端でさえ遙かに南なのに、辺戸岬まで行くと、やはり北の果てにまで来たという感が強かったし、逆に糸満の大渡海岸に行ったときには、広く明るくて、遙か南に来たという気がした。海の色まで明らかに違って見えたものだ。不思議なものだった。
 沖縄を車で移動していると、つくづく感じるのは米軍施設の巨大さだ。それも、良い立地の場所にばかり、どんと大きく広がっている。それに、街中に走っている基地関係者の「Yナンバー」の車。沖縄で走っている車は軽自動車が多いように思ったが、「Yナンバー」は、例外なく立派な3ナンバーだ。一度、車線変更をしようとしてウィンカーを出し、確認してから入ったところ、思いっきりクラクションを鳴らされたことがある。決して無理な車線変更ではなかったし、沖縄の人は運転が優しいと感じていたところだったので、ちょっと不愉快な気分になったが、それがYナンバーの車だった。もちろん、そんな車ばかりではないのだろうけれども、現在でもアメリカの統治はそっと綿々と続いているのだという考えが、頭をよぎった瞬間だった。
 沖縄では、ひめゆりの塔にも参って、そこでひめゆりの生き残りだというおばあさんに話を聞いたが、まるで祖母の話を聞いているようだった。防空壕の模型を前に、実際に体験したリアルな話を聞いていると、本当に酷いことがあったんだなと、辛い気分になった。びっしりとつめ込まれた負傷兵、傷口に沸くウジを内緒で処理してあげたこと、いきなり解散を命じられ、行き場をなくしてしまった時の不安感。ああいうのを聞かされると、右寄りの政治家が戦争のことについて詭弁めいたことを言うのが、許せないという気持ちになる。現在の中国や韓国がいろいろと言ってくるのは、政治上の問題に近い気がするので、一方的に要求を受け入れる必要なんてないとは思うが、例えば南京虐殺や従軍慰安婦問題について、これだけの証拠や証言があるのに、「そんなものはなかった」とか言うのは、正気で言っているのかと頭を疑いたくなる。まだ存命の犠牲者だっているのだ。そんなことを言われれば、誰だって頭に来るのは当然だ。靖国参拝だって同じだ。つけこまれる隙にしかならないことは、馬鹿でも分かる。
 ひめゆりにせよ、基地にせよ、これだけの被害をもたらしたそもそもの原因は、日本政府による侵略戦争だ。灰谷健次郎の「太陽の子」の中で、第二次大戦では、沖縄島民の三分の一が死んだというのを読んで、ショックを受けたことがある。三人に一人だ。洗脳、あるいは直接的な方法によって、自決に追い込まれた人びともその中には多数含まれている。若い頃、ぼくが沖縄人に感じた違和感も、こうした背景を考えれば、今では当然そうなるだろうとしか言えない。こうした背景を持った上に、現在の政府がどうしようもなくグダグダで、どこへ向かおうとしているのか何の道筋も示すことができず、経済大国としての存在感も失いつつあり、なおかつオスプレイを配備することを強いるというのは、理不尽な気持ちや不信感を募らせる原因として余りあるように思える。この先、日本の経済力がさらに低下したとき、例えば、「沖縄は日本を見捨てて、例えば台湾などにつくことにした」と言われても、余り驚かないだろう。

 


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