漂着の浜辺から

囁きのような呟き。

CASSHARN

2006年02月15日 | 映画
 紀里谷和明監督の「CASSHARN」を見た。

 公開当時から、予告編などで気にはなっていた。しかし、評判の余りの悪さに、なんとなく見ないできてしまっていた。曰く、「自己満足な映画」。そうした評価ばかりを目にしていた。

 ところが、数日前にテレビでこの映画が放映されているのを、たまたま目にした。ごたごたとしていて、途中30分ほどしか見ることが出来なかったが、それでも興味を持つには十分だった。「これはもしかしたら、凄い映画なんじゃないか」。僕はそう思ったし、一緒に見ていた妻も同じ意見だった。で、「これはちゃんと最初から見なきゃね」ということで、意見が一致した。

 「CASSHARN」の評価が低かったのは、理解できないわけではない。
 でも、それはおそらく、「CASSHARN」を見ようと思った観客層にも問題があったのではないかと思う。
 多分、公開当時に劇場に足を運んだのは、主に、かつてのアニメのファンだった層と、話題につられて見ようと考えた層だったのではないか。前者にしてみればアニメとの差が余りにも大きかっただろうし、後者にとってみれば何を言いたい映画なのか、全く理解不能だったのではないか。

 この映画のテーマは「反戦」である。「憎しみの連鎖を断ち切ること」。それは、明白に打ち出している。しかし、同時にこの映画の本質は、映像を愉しむということでもある。メッセージのある美術作品を愉しむ事。それが出来ないのなら、この映画を愉しむことは出来ないだろう。確かにストーリーに破綻もあるが、僕はこの映画がよい映画だと思うし、これほど辛烈な評価ばかり受ける理由がわからない。映画がまず「映像」であるなら、この映画は評価されるべきだ。そう思う。これだけ、無駄な部分に無駄に凝っている映画は、余りないはずだ。映画の隅々にまで、こだわりを感じる。「ブレードランナー」を始めとする映画や、過去のドラマやマンガへのオマージュが処々にちりばめられていたり、音楽と映画の中の効果音が混ざって一つの曲として成立していたり、そうした仕掛けも愉しい。

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