終活という言葉をよく耳にするようになった。
人生の卒業、それほど老人が多くなっているということだろう。
最近ふと思う
死というのは、前からくると思っていたが、実は後ろから迫ってくるのだと感受する。
まして、生活習慣の悪さ、食生活の乱れなどによって、追いかけられるという感がある。
まだ、寿命ではないのにお迎えが来る人が増えている。
若くして、働き盛りにして、或いは、80,90、100歳にしても、
寿命というのではなく、
災害に見舞われたり、不慮の事故に遭ったり、病魔に侵されたりして苦しんで死んだりする。
それは、不意である。
本来、人間、老衰で天寿全う、言葉通り͡寿ぶく命であるはずが、
寿に至らず、人生半ばにして卒業しなければならなかった大半の人々である。何がいけなくて
死王に見初められたのか?
いつかは誰でも死に逝くものであるのが道理であるのだが、
不意に死ぬとは実に心苦しいものである。
死王に見初められる二通りの感受。
一つは、人生半ばにしてすでに悟りを得、
人生達観となったために、これ以上の人生に意味は無く、別世界への次元上昇移行
と判断された由、∴心残りは起こらない、それとなく知るために、恐怖もない。
一つに、今生に於いては、これ以上生きていても、此の身
徳にして得となることがなく、
更には、他に害多くあるものとして、人生無意味と判断となったための二通り。
一つは、無常にして寿ぶく命の寿命であり、
あと一つは、無常にして輪廻転生という寿命である。
一つは、天性であり天成、寂静の辿り。
一つは、やり直しの寿命を得、悲哀にあり苦から学び取る。
輪廻は一切皆苦であるも、やり直せる機会を与えられたことでもあるために、
慈悲にある寿命、良くも悪くも心がけ次第として現象する。
心して苦を乗り越えよという意味合いを持ち、気が付くものはやがて
輪廻を離れる。
道理は、種の保存であるために、人は人としてのみ転生する。他の生物に
生まれ変わることは無い。が、人生、人で無しという行為に由れば、
人でなしであるために、人ではないものに生まれ変わる。
ここで初めて、種の保存を断ち切る。
人でなしの行為の相応以上の非情に生きる種になる。これは、
自然の流れである。
自然という字をよくよく見てみるとよい。
'みずからしかあり'と書いている。
悪を為す者に智者は言った。「汝等は知らないからである」と。
人生の卒業、それほど老人が多くなっているということだろう。
最近ふと思う
死というのは、前からくると思っていたが、実は後ろから迫ってくるのだと感受する。
まして、生活習慣の悪さ、食生活の乱れなどによって、追いかけられるという感がある。
まだ、寿命ではないのにお迎えが来る人が増えている。
若くして、働き盛りにして、或いは、80,90、100歳にしても、
寿命というのではなく、
災害に見舞われたり、不慮の事故に遭ったり、病魔に侵されたりして苦しんで死んだりする。
それは、不意である。
本来、人間、老衰で天寿全う、言葉通り͡寿ぶく命であるはずが、
寿に至らず、人生半ばにして卒業しなければならなかった大半の人々である。何がいけなくて
死王に見初められたのか?
いつかは誰でも死に逝くものであるのが道理であるのだが、
不意に死ぬとは実に心苦しいものである。
死王に見初められる二通りの感受。
一つは、人生半ばにしてすでに悟りを得、
人生達観となったために、これ以上の人生に意味は無く、別世界への次元上昇移行
と判断された由、∴心残りは起こらない、それとなく知るために、恐怖もない。
一つに、今生に於いては、これ以上生きていても、此の身
徳にして得となることがなく、
更には、他に害多くあるものとして、人生無意味と判断となったための二通り。
一つは、無常にして寿ぶく命の寿命であり、
あと一つは、無常にして輪廻転生という寿命である。
一つは、天性であり天成、寂静の辿り。
一つは、やり直しの寿命を得、悲哀にあり苦から学び取る。
輪廻は一切皆苦であるも、やり直せる機会を与えられたことでもあるために、
慈悲にある寿命、良くも悪くも心がけ次第として現象する。
心して苦を乗り越えよという意味合いを持ち、気が付くものはやがて
輪廻を離れる。
道理は、種の保存であるために、人は人としてのみ転生する。他の生物に
生まれ変わることは無い。が、人生、人で無しという行為に由れば、
人でなしであるために、人ではないものに生まれ変わる。
ここで初めて、種の保存を断ち切る。
人でなしの行為の相応以上の非情に生きる種になる。これは、
自然の流れである。
自然という字をよくよく見てみるとよい。
'みずからしかあり'と書いている。
悪を為す者に智者は言った。「汝等は知らないからである」と。