つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

諒解

2018-09-13 | Weblog
本来、無理を通して市場は窮地に立つ。
隠蔽悉くして、災い湧き上がる。
表向き真新しくも内輪ガタガタ、
箍もなく統率力失う。
意地を通してただ窮屈に!


生涯一度の祭典は、二度にして失敗、
敗北を味わう。

見栄は悲しいものである。

献とは何か?愛なくして解せず

許容応力は深遠にしてあるも、単純なる一手にしてかなう。
「勝つことばかり知りて、負けること知らざれば害その身に至る」と訓えられる。

人は、
哀しいものから離れて、悲しいことを離れる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不便利

2018-09-11 | Weblog
便利高じて不便極まる。
真逆が現象となっている。
程々は幸せを享受する。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忠恕

2018-09-09 | Weblog
大阪も大都市である。札幌も大都市である。
東京は日本の中枢、
東西南北、人災と天災に見舞われ踏んだり蹴ったり状態。
人災は、欺き、騙し、姑息にして場を取りつぐために起因、
その心ない刺激を受けて、天の気が反応、災いが起つ。
天の気は清浄、汚いものを根こそぎ湧きあがらせて、
押しつぶし、吹き飛ばし、焼き尽くし、洗い流す。
はじめは徐々にして小さくてすませ、
侮るごとにだんだん強く大きくなっていく。
物事の道理を踏んで見せつける。
傷は小さいうちに手当てするべきを訓える。
傲慢というのはなんだろう?見えないものを馬鹿にするから跳ね返る。
平和で安泰にある時こそ気を養わねばならない。
謙虚に謙虚に常に謙虚に、愛情豊かにせねば、
想定外は普通に起こる。痛みは中央に今向いている。皆、愛はあるんか?と!


大陸に面し島国、単一民族、日出国ゆえに先進国として一億三千万弱人口、頭脳明晰、働き者、
従順にして愚か、牙をもがれて試験にある国。
学問、医療、農業、先立って試されて、地球の明日を計られる。存亡である。

仁恕、拠り所である。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天国を創る

2018-09-08 | Weblog
地球外知的生命体は知性に優れて、
理知的に行動する。特に進化した生命は、
エネルギーの法則を解し、自由を正しく理解している。
いまのところ、人に於いての神とするものは、進化に於いて
優れた生命体である。束縛する神と自由を尊重する神として対立しながら、
地上を支配している。

この宇宙の理は自由が主であるために、自由を正しく理解していれば、矛盾は生じてはこない。
自由エネルギーが神である。自ら然りとして示し申すもの、気であり意思である。
千変万化する形をもち、以って円くなっている。
例えて、水のような姿形で、空中に放り出せば円形となる。これが法則の形、
自由の形、道理の形、根本の形、エネルギーの形、宇宙の姿形である。
すべてがこの自由エネルギーの下の存在、=物語である。
そのために、このエネルギーの存在を超えてしまうということは無い。
たとえて、超えてしまったとしたら、存在とならなくなるためである。
だから、知的生命体、神と呼ばれる存在もこのエネルギーの下の存在である。
けっして法則を超えることは無い。

エネルギーがゼロの姿形であるために、つまり、虚空であり、何も無い
清浄ということである。だから、善悪もない。以って、絶対善で回る道理である。
この自由が正義であるために、この自由の正義を間違えば、
間違った世界が展開されてしまう。
善悪は人の判断の善悪で、エネルギーの法則にはどちらもない。
人が悪を善として転倒してしまえば、すべてが悪だらけとなって、
それが正しいとなってしまう。正義となって回ってしまう。法則に善悪がないためである。
そうすると同化してしまうために、間違いに気づくことが無くなってしまう。
これが地獄である。地獄であることに気づくことなく、苦しんでいることが
正義であるとなり、少しの反省されることも無くなる。その世界を輪廻していく羽目となる。
地獄というのはかくも恐ろしいところとなるのである。
だから、間違った生活をして行ってはならない。自然の道理に合った生活、人生を送ることである。
「間違ったことをしていれば、皆に‘奴はどうかしてるよ'」と言われ、あきれられてしまう。
同化というのは、気づかなくなってしまうのである。最悪である。

エネルギーに善悪はなく以って、絶対善で回る自由であるために、
これがエネルギーの意識となり意思となって秩序である。
数字は数式によってエネルギーの法則を表し、ゼロに帰すも、
ゼロは始まりと終わり、終わりと始まりであるために、ただ繰り返す自由に至る。


宇宙は秩序正しい意識を持った存在である。
そのエネルギーで生じているのが生命エネルギーである。
様々に変化するエネルギーの刺激を受けて、正しく対応して生きていくことが
生命エネルギーの使命である。だから、この世の中は「受」の世界となっている。
受想行識である。ただしく想行識として行かなければならないのである。
そうすれば、善悪転倒することのない正しい世界が作られ、
生命エネルギーは天国となるのである。

以って、人が生まれるということは、
生命エネルギーである魂、心、気、精神を清浄にするために、つまり、
心をみがく、魂の垢を落とす、気を精げていくということにある。そのつまりは、
エネルギーが無くならないものである為に、生命エネルギーも無くならない、
生命エネルギーに死がないということであり、魂は変化、生まれ変わっていくということである。
故に、人は死ぬために生まれてくるということである。
法則の道理を知らず、間違った生き方するために、何度も生まれ変わる苦しみを味わう。
生まれては死に、死んでは生まれ変わる、一切皆苦である輪廻を離れるにはどうするか?
エネルギーの法則を悟れば生き方がわかり、輪廻することが無くなる。苦からの解脱である。
それまで生死を繰り返す。人が生まれるということはそういうことである。
死後の世界を天国とするかしないか、その人の自由である。誰でも天国にしたいのだが、
エネルギーの法則を知らないために、間違って生きる。
死後の世界を天国とするまで、人はこの世に生まれ、そして死んでいく。
幾多、苦しみを味わう。
死後の世界の為に人は生きるのである。つまり、死後の世界こそが生命エネルギーの真実の世界。
だから、「死ぬために人は生まれる」、真実である。
生きているときだけが、天国を創れる機会なのである。
何度苦しみを味わったら、天国に行けるのでしょう?
それは、自分の生き方の自由にかかっている。
自由がエネルギーすべてであり正義であるために。正しく自由を覚る、理解することである。

エネルギーの法則に添って正しく生きること。
人生に遅いということは無い。魂、つまり、生命エネルギーに死がないのだから。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

早速、省みよ

2018-09-06 | Weblog
欺いてはならない。
欺きには多くの痛みが伴うものである。
どうぞ素直にならねばならない。

南、いまだ基地に揺れ、
東と西、雷神風神現れ、尚、
北に、戒め如く地を揺する。
それでも、
のど元過ぎて熱さ忘れる偶者多くして、
原子望むも傲慢にして身の程知らず、
智者、先をただ憂う。
残して中央、他人事にして悉く疎く、
唇に嘯き、後先闇に包む。

痛み更なり伴う。

オリンピック、一生に一度の当然に帰すものとして幻。

神降りし国として先進国になりしも、
愛情欠けて
悉く没す道を只管歩みて終えるのみ。


愛情はあるんか?
試されて分岐にある。
早速、かえりみよと告げられている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然の節理

2018-09-03 | Weblog
円運動の道理。
故に、永遠となる。
始まりも終わりもなくなる。
聴く耳を持つものに、この道理の徳を得る。

無くならないものであるという自由を理解して、
この道の徳を得る。以って、
一寸先は闇であるも、その都度見識を与る。

秩序が具わる。

世の中は、「実るほど頭が下がる稲穂かな」である。
優れし指導者に必然具わる。
尊敬は誰の目にも疑いなく見える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

環状体エネルギーの道理の感受

2018-09-01 | Weblog
あの人もこの人も、どんなに優れた人でも栄枯盛衰にあり、
泡沫にして朽ちるものである。
人生、花の一生に譬えられ、まさに短いものである。
栄光と挫折を味わい、哀しくも苦渋に満ち生きる。
悲喜交々至るも折し、哀調帯びる。
無常が故の身なれば、喜怒哀楽に翻弄されてただ漂う。
さて、
如何にして無常に身を置いているのですか?と自然に問うて、
自らに由るものとして自由を覚る。
自らに然り(しかあり)として、自由を悟る。
いま、ここに生きる命の現われは、吾が心の迷い、魔羅(摩羅)に由るものと戒め
戒律とする。

法然房源空を思い、愚禿親鸞に思いをやる。

俗世にありて、勤行に明け暮れるには、人里離れて山に籠る。
女難を避けるためと知る。女難を悟るということ。
それは、性を知るということである。
安住となる常住には、輪廻がさまたげである。輪廻は性交が元となるために、
女性を絶ってこそエネルギーである精神をみがくことができる。
そのために、「摩る」(さする)という文字をもって、
煩悩である垢をこすり落とすという意味で「みがく」として「摩」を充て、
心をみがくうたとして精神修行とするのである。
人生経験としていくのである。

縁である。還る、返ってくる、帰ってくる。円運動となっている道理である。

摩訶般若波羅蜜多心経という題目は、般若とは一般大衆を意味する文字。
一般の般と若干名の若、数をあらわす文字を用いて多くの人々を指している言葉である。
摩訶は、みがくうたである。波羅蜜多は、波のように揺れ動き、蜜蜂の蜜のようににぎっしり詰まった
多くの悩みが身動きの取れない状態(羅)を表している言葉である。
だから、悩める大衆の心をみがくうたという意味である。
ちゃんと漢字の意味をもって充てられている題目である。梵語の音写ではない。

エネルギーがトーラス(環状体状)であるために、その道理に由って得られる感受で、
読み解いていける。

般若心経は釈迦が語ったものではない。観自在菩薩が語ったものである。
釈迦は、修行の為、女性を排除するために山にこもった。どんなに頑健な精神をもっていても、
そばに女性がいたのでは気になり、修行の妨げとなっていくためである。
以って、観音と呼ばれる仏はすべて男性である。
慈は女の姿形として現れているもので、端的に言えば両性具有にして神仏である。
人間のように生殖はしない。

釈迦は、完全に神となった生命エネルギー。
宇宙のエネルギーシステムを知り尽くした生命エネルギー体である。
その訓え、八つの正しい道を歩みなさいと易しく訓えた。
難しく考えたのが人間である。
ただ八つの正しい行いをしていきなさいと訓えたのに、
信じないのが人の自由であるために、
ただその人に任せる。真実である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする