「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」、エネルギーの法則である。
このエネルギーの法則を正しく理解すれば、生命エネルギーの生死も理解することができる。
色の世界がこの世であり、空の世界があの世である。
是がエネルギーの法則である。
「この世とあの世は少しも変わらない世界である。だから、
人は死ぬとすぐあの世に生じ、あの世でも同じ現象となっている」
生命の生死は、この世とあの世の行き来である。
この世の意識の現象世界があの世となっていくために、この世とあの世は少しも変わらない世界であるということ。
この世は肉体のある世界で、肉体を持って活動していた時の記憶があの世の現象となっている。つまり、あの世はこの世の
意識の現象世界であるために、あの世での肉体はこの世の意識の現象肉体であり、
あの世での肉体そのものはもう無い。生前の記憶の現象肉体である。そのために、
変化することは無い。記憶の現象で動いているだけであるために、新たな学習ということは無いということである。
あの世は、時間も空間もないために変化することのない世界となっている。エネルギーの法則が
ゼロになっているために、ゼロが始まりと終わり同時となり、つまり、始まりも終わりもないとなっている場である。
だから、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」と繋がっているということである。
色の世界と空の世界は異ならない世界で、色は是によって即空となり、空も是によって即色となると
エネルギーの円運動である法則を説いている。是というのはエネルギーの法則である。
人の生死はこのエネルギーの法則、是によるもので、是は絶対法則となっているために、
誰一人死を免れる者はいない。
生命はエネルギーであるために、円運動の法則となっていて絶対となっているために、
無くならないものとなっている。だから、円運動による変化が無常としてゼロ地点に戻り、生命の生死となって
繰り返し繋がっていく。生命エネルギーは肉体をもって変化に対応しているもので、そのために肉体は無常となっている。
これが人の死である。肉体が無くなるだけで、生命エネルギーそのものは無くならない。だから、転生していくものである。
記憶はエネルギーそのものであるために、無くならないものとなっている。
記憶は想念となり心となって判断となっていく。記憶の積み重ね(輪廻転生)は統一されて、今生の心となっている。
輪廻の法則によって再びこの世に生じても、あの世の記憶というのはされないために、一切思い出すことはできなくなっている。
前世(過去世)は思い出すことはできても、あの世での記憶は現象肉体であるために記憶とならず、そのために、あの世は一切思い出すことは無いのである。
つまり、あの世は一切の反応を示すことがない世界となっているのである。そのために、あの世というは、生命の知ることのできない世界、
生命の空白の時、世界であるとして、あの世を空としている。
仏は、どんなに悟ってもあの世を知ることはできないために、知らない世界を想像で語ると、それが誤っていても正すことができなくなるために、
一切語ることはしなかった、できなかった。あの世はどんな世界かという質問に答えることができなかったのである。
エネルギーの法則が絶対世界となっているためである。
このエネルギーの法則を正しく理解すれば、生命エネルギーの生死も理解することができる。
色の世界がこの世であり、空の世界があの世である。
是がエネルギーの法則である。
「この世とあの世は少しも変わらない世界である。だから、
人は死ぬとすぐあの世に生じ、あの世でも同じ現象となっている」
生命の生死は、この世とあの世の行き来である。
この世の意識の現象世界があの世となっていくために、この世とあの世は少しも変わらない世界であるということ。
この世は肉体のある世界で、肉体を持って活動していた時の記憶があの世の現象となっている。つまり、あの世はこの世の
意識の現象世界であるために、あの世での肉体はこの世の意識の現象肉体であり、
あの世での肉体そのものはもう無い。生前の記憶の現象肉体である。そのために、
変化することは無い。記憶の現象で動いているだけであるために、新たな学習ということは無いということである。
あの世は、時間も空間もないために変化することのない世界となっている。エネルギーの法則が
ゼロになっているために、ゼロが始まりと終わり同時となり、つまり、始まりも終わりもないとなっている場である。
だから、「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」と繋がっているということである。
色の世界と空の世界は異ならない世界で、色は是によって即空となり、空も是によって即色となると
エネルギーの円運動である法則を説いている。是というのはエネルギーの法則である。
人の生死はこのエネルギーの法則、是によるもので、是は絶対法則となっているために、
誰一人死を免れる者はいない。
生命はエネルギーであるために、円運動の法則となっていて絶対となっているために、
無くならないものとなっている。だから、円運動による変化が無常としてゼロ地点に戻り、生命の生死となって
繰り返し繋がっていく。生命エネルギーは肉体をもって変化に対応しているもので、そのために肉体は無常となっている。
これが人の死である。肉体が無くなるだけで、生命エネルギーそのものは無くならない。だから、転生していくものである。
記憶はエネルギーそのものであるために、無くならないものとなっている。
記憶は想念となり心となって判断となっていく。記憶の積み重ね(輪廻転生)は統一されて、今生の心となっている。
輪廻の法則によって再びこの世に生じても、あの世の記憶というのはされないために、一切思い出すことはできなくなっている。
前世(過去世)は思い出すことはできても、あの世での記憶は現象肉体であるために記憶とならず、そのために、あの世は一切思い出すことは無いのである。
つまり、あの世は一切の反応を示すことがない世界となっているのである。そのために、あの世というは、生命の知ることのできない世界、
生命の空白の時、世界であるとして、あの世を空としている。
仏は、どんなに悟ってもあの世を知ることはできないために、知らない世界を想像で語ると、それが誤っていても正すことができなくなるために、
一切語ることはしなかった、できなかった。あの世はどんな世界かという質問に答えることができなかったのである。
エネルギーの法則が絶対世界となっているためである。