過ぎるという字は過つとも読まれる。
この世界は、相対するものの存在である。
どちらか一方だけということはない。
「持ちつ持たれつ」として互いが認められる。
「精げる」という言葉がある。辞書には、「玄米をついて白くする」とある。
精白された米は、白米といい精米となる。
精米されると玄米より美味しくなるが、栄養面では玄米に劣る。
味を追求した分、健康面では貢献が少なくなってしまう。
精げ過ぎてしまうものが多くなって、自然界にはない不自然なものが
平然と流通している。食感もさることながら、見た目、つまり、色合いと形に
意が注がれている。
人間の食の世界は、健康より美味しさが重視されて、美味しければ
何でもあり?状態となって、様々な添加物が混入されて、
口当たりの良い物、見た目が好いものが作られている。それが、
健康は二の次としか思えない害のある添加物となっている。
食べるとは、人を良くすると書かれている文字であるのに、
その意味どうりとなっていない。
商売が金儲けであるために、売れなければ意味がないとなって、
人の為にという根本がなくなっている。金がすべてである、と。
その果は、不健全となって病に侵された社会となっている。
肉体から精神面まで病んでいる世界が作られている。
あらゆる面で、金に支配された世界が作られているのである。
少数たる
欲のいき過ぎた者に操られているのである。