つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

自ら然りの法則

2017-11-16 | Weblog
この民主主義社会は、自由にして不自由にある。
大衆の力は恐るべしであるが、優秀にある者は少なく、よく騙される。

民主として自由をコントロールすれば、個性は潰されてしまい、異端として疎まれはじかれいく。
今や民主主義は間違った方向性にあり、独裁的社会に等しい。
民衆に「持ち主」という優越感を与えることによって、いとも簡単に傀儡することができる。
これは、煩悩を滅することのできない、弱い心の脆弱性を突いているのである。
悪知恵の働きが活発な者の策略に、大衆はまんまとはめられていくのである。
指導者は嘘をついていると知りつつも、何度も選挙に騙され続けてしまう。
先進国、経済大国としてある日本は、民衆の生活苦を一層促進させ、
一握りの裕福なる浅ましき者達のための政治となって、大衆をじりじりと死に追いやっている。
あと半世紀の間、日本の人口は減り続け、国勢は衰える。
優秀にある人種にして、反発する優秀なる者は悉く弾かれて、
ただ従順である者を育む。従順である大衆迎合社会とするのである。
これはよく統制が効いていくのである。
そうして優秀なる人種の日本は、背の高い白い肌の種にコントロールされて、
反発できない社会にされている。実に、侍精神を忌み嫌った悪代官に操作されているのである。
日本は、日出国、初めて神が降り立った土地である。
その神は、善悪具足にして地上を支配していった。そのための日出国なのである。
先ず降り立ったところからとして地上を回ったので、試みは日出処から顕わされる。
ただ善悪具足にしての神は、紆余曲折にして誤る。
武士道にある精神を理解し難い。独特の倫理意識、武士の情けを軽んじたのである。

神々は、人類の科学をはるかにしのいでいるために、物理に於いて太刀打ちは出来ない。
しかしながら、神々とて進化の中にあり、唯心と唯物を超えてはいない。
ここ半世紀は、地上は混沌として、神々の試みに右往左往されるが、それは、
不自由から自由への転換の顕れである。
何しろ、自由は神とて弄ることはできないのであるから。
だから、束縛する者は、やがて法によって裁かれる。それが自然である。
なぜなら、すべてがエネルギーの法則の下の存在となっているからである。
全てとは、宇宙である。自ら然りの法則である。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする