つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

過つ者

2017-11-17 | Weblog
過ぎるという字は過つとも読まれる。
この世界は、相対するものの存在である。
どちらか一方だけということはない。
「持ちつ持たれつ」として互いが認められる。

「精げる」という言葉がある。辞書には、「玄米をついて白くする」とある。
精白された米は、白米といい精米となる。
精米されると玄米より美味しくなるが、栄養面では玄米に劣る。
味を追求した分、健康面では貢献が少なくなってしまう。
精げ過ぎてしまうものが多くなって、自然界にはない不自然なものが
平然と流通している。食感もさることながら、見た目、つまり、色合いと形に
意が注がれている。
人間の食の世界は、健康より美味しさが重視されて、美味しければ
何でもあり?状態となって、様々な添加物が混入されて、
口当たりの良い物、見た目が好いものが作られている。それが、
健康は二の次としか思えない害のある添加物となっている。
食べるとは、人を良くすると書かれている文字であるのに、
その意味どうりとなっていない。
商売が金儲けであるために、売れなければ意味がないとなって、
人の為にという根本がなくなっている。金がすべてである、と。
その果は、不健全となって病に侵された社会となっている。
肉体から精神面まで病んでいる世界が作られている。
あらゆる面で、金に支配された世界が作られているのである。
少数たる
欲のいき過ぎた者に操られているのである。
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厭世観頻り

2017-11-17 | Weblog
食は健康に繋がり、仕事は人間関係のストレスに繋がり、癒しは薬に頼る。
この生活のすべてが金に繋がっていて、否応なく病に蝕まれていく。
金を稼ぐために生きる。生きるためには金が必要となっているために、
金が命となって、金の亡者になり、金に使われていく金の奴隷が
人の心を失わせている。
金のない奴は、
人間の尊厳もなく、かぼそくて生きていく資格もないと見下されて、ゴミのように扱われて、社会の勝手に死に追いやられていく。
金に心を奪われて奴隷となった従順たる者こそ生きながらえていく世界。
彼等はみな鬼の形相で暮らしている。が、
鬼と化した者は、互いを鬼とは思わないしそう見えない。
自分の事しか思わないために、人としての心を捨てたことすら思えない。
いつ捨て去ったのかもわからない。それは、生まれた時から、
金がすべての世界であったから。
愛のない社会となっている。
そして、
厭世観しきりに強まり、自死に至るもの数十万とも言われる。
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