つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

道(物)の理

2017-11-15 | Weblog
地上の世界は、人類の知能では太刀打ちできないほど、
知的に優れている生命体によって支配されている。
それを人は神と呼ぶが、抽象的で漠然としてしかとらえられていない。
日常的な事柄を常識として生きているために、常識を超えたことに対しては、
正しい応対がなされない。ただ驚きと同時に恐怖心が募り、思考が停止してしまう。
不可思議なことには、即対応できないのである。

経験がものをいうというのは、経験から学ぶその道(物)の理を知り、
その道(物)の理のコツを得られたためである。その知の識が知恵である。
知恵は、道理から学んだ経験の識であるために、
一度覚えれば忘れることがなく、即判断できるものとなる。つまり、
あれこれ思い煩うこと(時間)が不要なために、(思議する必要が無くなるために)不思議なことと言うのである。
道理を覚れば不思議となり、即断できていくために、
災いからも瞬時に避けることができていく。危機一髪、間一髪逃れられていくのである。
大事に至らないで済むのである。まさにまさに不思議となるのである。

経験の知恵こそ、一事にして万事に繋がり、達人となっていくのである。
一を知れば十を知れていく不思議が起こるのである。
それが心の経験による力である。心念、信念の力である。
その心の力でもって神を見るなら、見たもの聞いたものすべてを信じてはならない。
示す申す者は、善悪具足にしてあり、それが自然である。
宇宙の道理である。対立にあって共有し、分・別がある。
だから、知恵をもって、善いものに交われ。
人の常識を打ち破り、前に進め。惑わされるな、心を摩け!
精神を糺せ、質せ、正せ。
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