つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

「死んで花実が咲くものか」の嘘

2024-06-28 | Weblog
世界的にみても、隠し事ができない状況となっている。
今まで裕福にある者達の考えは非情なもので、自己中心的である。どうしてそんな非情な事しか思いつかないのか。例えば、高速道路が混むのは貧乏人も通るからで、料金を上げれば貧乏人は通ることができなくなる。自分たちは裕福なので、いくら上がっても構わない。そうすればいつ通っても渋滞はなく通れるので、裕福な者としての高速道路の意味がある。‥と平気な顔、真顔で言う。何とも情けない思いの人がいるものだとつくづくその人の顔を眺めた。世の中、往々にして、裕福な者ほど自己中心的考えをする。
「憎まれっ子世に憚る」である。情けない心の人達が闊歩する社会、それこそ世も末である。特に今の政治を見ても頷ける。義務として作り上げた税金の搾取、
それで生活している者たちは、裕福にあり、搾取される側は、貧困に喘ぐ。
今の自民党政権、裏金問題で脱税しても捕まらず、庶民には納税を義務として強要、一円たりとも逃さない。不条理極まりないことが罷り通っている。
いまだ悪代官蔓延りの世の中である。日に日に露骨に悪さを成していく。これでもかこれでもかと国民を虐げる。まさにハラスメント(嫌がらせ)の時代となっている。だが、世界的に見ても、これらの嫌がらせ(ハラスメント)事項が公に知らされてくるという事は、社会の変革にあるとも見て取れる。
あからさまに、なりふり構わない横暴さは、「憎まれっ子・・」の窮地にあることの表れとも見える。
地上は大きな転換期を迎えている。それこそポールシフト、地殻変動、
天変地異に見舞われ、汚いものの一掃となる。日和見にあるのも同類、運命共同体である。生き残るもの、14万4千衆と受す。その意思疎通はテレパシーである。
「死んで花実が咲くものか」と言われるが、魂に死は無い。肉体は魂のただの入れ物、肉体から離れてこそ真実を知る。
真実を諦か(明らか)に見た魂こそ、花実が咲くものとなる。
明らかにしなかった魂は、花も咲かず実もならず。

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