つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

智慧でみる、般若心経・・・その4

2006-02-24 | Weblog
 「無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽」

「地獄の世界が創られると、地獄の世界が無くならず、尽きてなくなることも無い。
また、老いて死ぬ恐怖も無くならず、老いて死ぬ恐怖が、尽きて無くなることも無い。」

 無明とは、地獄の世界のことで、死後の世界が、法則の絶対世界であるために、
死後の世界が、地獄の世界となってしまうと、地獄の世界が無くなることが無く、
無無明尽として、その世界が尽きてなくなることがないとなっている。
そして、老いて死んでいくことに恐怖を覚えると、おびえた世界となって、その世界が尽きて無くなることがなく、その恐怖の世界からぬけだせなくなってしまう。

 「空」とは、死後の世界のことで、けっして知ることのできない世界であるために、「空」と表している。
「空」の世界は「是」の世界で、法則の絶対世界となっている。
「是」とは、日が正しいと書いている。日の運行を示した文字で、
日が、東より昇り、西に沈む、この法則が永遠に変わることの無い法則で、無くなることのない絶対法則であるために「是」としている。
すべてが、この下の存在となって作られている。
すべてが、この法則(是)の下の存在であるために、
法が無くなることが無いために、すべてが無くなることの無い存在となっている。
そのために、人は死んで、肉体はなくなっても、生命はなくなることがなく、
人生何十年かの経験が、記憶となって、その記憶が死後の世界となっていくとしている。そのため、
死後の世界は記憶の現象の世界となっている。

「法」とは、円の動きで、これがエネルギーの性質となっていて、
このエネルギーの性質があらゆるものを生んでいる。
広大な宇宙も、微細な原子の世界も、エネルギーの性質でつくられているために、
丸い形となっている。円となっている。
エネルギーの性質が、円の動きであるために、あらゆるものが、回る動きとなって、始まりも終わりもないものとなって、繰り返していて、
そのために、無くなることが無い動きとなっている。
必ず元に戻る。
一時も止まることが無く回っている。

人も生命エネルギーであるため、意識に関係なく、止まらず動いている。
体の中は、循環している。まわっているのである。
人の動きも、朝、出かけては、帰ってくる回る動きとなっている。
時も、一日も、星も、宇宙も、原子の世界も、すべてが、円運動している。

あらゆるものが、繰り返して進み、もとにもどる。
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