つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

般若心経の説くところの意

2014-09-24 | Weblog
般若心経で説かれる「空」とは、
死後の世界のこと。
つまり、輪廻する生命の空白の間である。

この世に生れ落ちて死ぬまでを一人生。その業により縁あって
再びこの世に生れ落ちるまでの間を
生命は死後の世界で生きている。生命には死が無いためである。
それは、法則が、いわゆる是が無くなることのない円運動となっているためである。
是はエネルギーである。生命もエネルギーである。是による変化の刺激を受けて、
それぞれの生命エネルギーとなって現象、存在となっている。
死後の世界は、
肉体の持たない世界であるが、記憶の現象であるために、
生前の記憶がそのままあの世となっている。だから、
記憶の肉体となって存在しているものである。そのため、今まで(生前)と
少しも変わらない世界となっている。
心の現象の世界が死後の世界であるために、
一切反応を示さないものとなっている。そのため、
決して知ることのできない世界となっている。それは、
夢を見ている人の夢を知ることができないのと同じである。
どんなに達観して悟りを開いても、
死後の世界は知ることができないのである。それゆえ、死後の世界を一切反応を示さない世界として、
生命の空白の間であるとして、「空」と説いているのが心経である。
「空」とは、死後の世界のことである。それは、是によって、
「色即是空 空即是色」と輪廻していくと説いているものである。
「この世は是によって即あの世となり、あの世も是によって即この世となる」と、
輪廻の法則となっていることを説明しているのである。つまり、円運動となっているための永遠である。
円運動となっているのは、エネルギーの自由である。

恐怖を抱いて死んでいけば、恐怖のなくなることがなく、
つまり、
地獄の世界となっている。
苦しみに耐えきれずに自ら死を選んで、
この世からおさらばしたとしても、
あの世もそのまま苦しみの世界となってしまうのである。

肉体は心の向上のための媒体である。
使い方によっては悪くもなるものである。
だから、
是を覚り無知を破らなければならない。
すべてが無くならないためにということを覚らなければならないのである。
無くならないものであるために、心して生きなければならないのである。
無くならないものであるために、苦が作られると苦がなくなることがないために、
永遠に苦しむ羽目になってしまう。往々にして人は無知であるために、
苦しむ羽目になるのであるが、
そこから救われるのは一つ、心の問題である。つまり、心の在り方にある。
心にどう思うかということが要となる。
臨機応変というように、心の都合によって無の解釈を変えることである。
「無くならないものは無い」として思うことである。それが、絶対という世界からの抜け出せる方便である。
法則(是)の慈悲である。
慈悲の慈は天国であり、悲は地獄である。どちらを選ぶかは本人の自由である。
どうか、心して般若心経の説くところの意を正しく解釈して、
行為としていくことである。それが生命の幸せへの道である。
般若心経こそ、我々娑婆の人の悟りへの導きである。

コメント
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