つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

有無相通じるという自由

2014-09-13 | Weblog
絶対善ということはどういうことであるか?
それは、
‘善悪が無い為’にという事にある。

幸せということはどういうことであるか?
それは、
‘幸不幸思わない’という事にある。

無ということはどういうことであるか?
それは、
‘応えられない’という事にある。

不ではなく、不可ということにある。
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希なる望みという

2014-09-13 | Weblog
私は余命いくばくも無くというところにいるのだろうが、
未だ真に智慧を得ていないために、この期に及んでという様であるが、
あがきに徹してという感じで、
栄光にして覚ることに専念、日々、身の垢を落としている。
何も持たない、何ものも無いという様に呈して、
執着がこれほどまでに身をやつれさすものかを知るに、
知恵一つにしてすべてを徳として持つものである。
識者であるとするものにも何ら臆せるものではない力に守られる。
それは、ただ一つ智慧から来る力であり守りであると知る。
その知恵は、自然にして然りであり、ただそこに学び得るものである。
難しいことは数字にして難解こと極まるが、単純にをすべてが髣髴していて、
心を澄ませば知らなくても知れてくるものである。
それは、鳥が羽が無ければ飛べないように、
羽が無くても空を飛ぶ夢の中の自分のようにあるものである。
それをつかみ取るには、無理とする思う心になく、
無理とせず智慧を宿すところに得られるものである。為す術を知る。
武空術とは、無知と戦うための武、自分との「武」である。
自由自在に空を舞う術。それはただただ心の中にあり、顕示顕現するも
知恵一つの力である。

邪悪なものには、決して触ることも見ることすらできない力であり、
時空の及ばない力である。

耳なし芳一が、心経を書き忘れられた耳を取られたように、
般若心経の智慧の力が物語る。書かれてさへすれば、取られることも無かったように、その命が物語る。

般若の心を正しく摩け。それが唯一、手っ取り早く智れる術である。
先ずそこからである。すれば、すぐにも武術上達の域となる。
だから、不思議な力である。希望の力である。
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