つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

仕合わせになる

2014-09-05 | Weblog
誰かと繋がっていないと不安でしょうがないという人がいて、
携帯電話命という人がいる。
とりとめのない会話に金を払って
友と呼ぶ人と場所を離れて時間を共有する。

どうでもよいことをどうにでも話し、
相槌という語らいを交し合う。そうして、一人ではないということを確認しあう。

母胎を介して生まれてくるものの、
一人ひとり皆独りで生まれてくる。
そして、互いに交流しながらも、一人ひとりで生きている。
だから、終もひとりである。

どんなに繋いでも独り。
思いは、彩をもって繕うが、とどのつまり、独り。
彩を豊かに持っても、人生の始めと終わりは尚更一人。
生きていて、一人ひとり、独りにして生きているものである。
だから、
釈然にして一人を好め、喜びも悲しみも動じなくなる。
仕合わせというものである。

コメント
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