つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

ひとりぼっちは独り法師

2014-09-21 | Weblog
人は群れて生活していくものだ。
だから、
混雑しているところは苦手と言いながら、
淋しい
つまり、閑古鳥が鳴いているようなところへは行きたがらない。
どこへ行くにも渋滞にはまりながら行き返りするのを好むのが日本人という人種。
それでいてブーブー文句を垂れながら、自分だけは達観している人のようにして、
滞りの無い事物やら場を好むのだが、寂しいところには殊更行きたがらないものだ。
そこいらのという
ごくごく普通の、いや、それ以下の(嫌らしい)という心で生きているものだ。

何事にも興味を抱き、見てみたい、してみたいというのは前向きでいいように思われるが、
場当たり的にそそられるのは卑しいものであると戒めなければならないものである。

生き様に大切なことは、時経るごとに達観にあらねばならないことである。
ただ生きているというのであれば死人に等しい。

時追うごとに知識を得て、経験の値を高めることである。
その知恵は、是をもって浄化と為すに沿えば、あらゆる立場で守護神となるものであるが、
悪智恵として働かせれば、終には身を崩す羽目となるものである。
いかなる場合にも、是をもってして理解し、無常に生きる故、かたちを円く治めて
守護されるものである。
指し以て、悪智恵を効かせて角を立て回るも円となり、それを地獄の沙汰という。

どうか正しく理解して、善悪顚倒せぬように日々巡らすことである。
是に、善悪は無いものであるから。

独り、法の師に学ぶ!
師は、是である。
コメント
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