唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

法執の所依を顕す。(6) (真如について)法性に約す

2013-10-04 23:26:59 | 心の構造について

 第四は、不動無為について

 「苦ー楽ー受滅せるを以て、故(カレ)不道と名づく。」(『論』第二・六左)

 不動無為は、色界第四静慮で顕れてくる真如。第四静慮では、苦受と楽受とが滅せられて、苦にも楽にも揺れ動かない不動の心(不苦不楽受)が確立される時に顕れる真如であるという。

 色界には、初静慮から第四静慮が有るといわれています。初静慮は、離生喜楽、生は、欲界のこと、欲界を離れて初めて静慮に入った喜びがある静慮で、(初禅天ともいう)。第二静慮は、定生喜楽。第三静慮は、離喜妙楽(リキミョウラク)という。第二静慮で受ける喜びを離れて妙なる楽を受けるありようで、離喜楽ともいう。そして、これらの楽をも離れて捨念清浄という静慮に入り、ここが不動無為になります。

 捨念清浄 - 色界第四静慮のありよう。心が動揺してかたむきがなく平等になり、対象を明晰に記憶して忘れることが無い状態をいう。

 色界第三静慮までは、喜や楽が有ります。三災頂(サンサイチョウ)という、三つの災害が及ぶ頂があると、『瑜伽論』(巻第二)に説かれています。所謂、火災・水災・風災の三つで、大の三災とも云われています。初静慮は、火災。第二静慮は水災。第三静慮は風災があり、その頂は火災は第二静慮。水災の頂は第三静慮。風災の頂は第四静慮になります。災は、世界を破壊する災害であると云われ、火災・水災・風災の三つが説かれています。

 第四静慮において、すべての喜・楽を離れて捨受のみであることを以て不動、不動無為と云われているわけです。

 「若し第三静慮の欲を離れて一切の苦楽受の滅を得す、即ち此の真如を説いて不動と名づく。」(『述記』)


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