唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

「唯識入門」第六回目講義概要 (3) 二種の我執について

2013-04-23 22:59:39 | 唯識入門

 恒相続の倶生我執は第七末那識の作用です。理由は『述記』に述べられています。先ず、問いを立てています。「何故に相続すること唯だ第七にのみある。略して二義有り」と。<o:p></o:p>

 一には、縁(生縁・現象が生じる原因の総称で、四縁がある。諸行の生縁に四種有り。一に因縁、二に、等無間縁、三に所縁縁、四に増上縁なり)少なきが故に。謂はく、眼と耳と鼻等(舌と身)と意と八と七との識は、或は九(眼識)と八(耳識)と七(鼻・舌・身識)と五(意識)と四(第八識)と三(第七識)とあるを以て、縁少なきが故に。」(『述記』一末・九左)<o:p></o:p>

  • 九は、眼識の九縁、明・空・作意・根・境・六識・七識・八識・種子。
  • 八は、耳識の八縁、明を除いたもの。
  • 七は、鼻・舌・身の三識は合中知であるから明・空を除いた七縁になる。
  • 五は、第六意識の根は、染浄依の第七識であって、明・空・作意・根を除いた五縁になる。
  • 四は、第八識は根・境が別であるから四縁がある。即ち、六識・七識・八識・種子が縁となる。
  • 三は、第七識が生起する縁、第七識の根は、第八識の境であることから、作意・第八・種子の三縁のみでる。<o:p></o:p>

 前に述べましたが、「此の第七識の本質をいはば即ち第八を以て境とす。第八は、一常に似り実我の相に似るに由って。故に第八を縁じて七の我恒に行ず。」といわれています。これは、第七末那識は第八阿頼耶識の見分を対境(本質)として自心の相分を浮かべ、そのものを常一主宰の実我と執する。唯だ第八識の見分は実がではないが、一類相続の為、常一主宰に相似し、その相似している見分を第七末那識は自己の相分を我であると錯誤して(実我)と執している。ですから相分は、第七識の見分からいえば染無記になり、第八識の見分に従っていえば、浄無記である。そして、第七識の我執は、第八識が一類相続であるので、第七識が無漏識になるまでは恒相続して生起するのである。無間断の我執、我執の根本はこの第七識の我執なのです。<o:p></o:p>

 次に、有間断の我執を、明日述べます。<o:p></o:p>

 


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