唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変  三性門 その(2)

2012-08-31 23:00:40 | 心の構造について

 「此の六転識は何の性にか摂むる耶。」(『論』第五・十七右)

 (この六転識は三性(善・不善・無記)の中のいずれの性になるのであろうか。)

  「論。此六轉識何性攝耶 述曰。此即問起。然前第八識。辨心・心所已。方説言是無覆無記。今者解識即辨其性。前顯心・心所法其性必同。所以解心所已方始解性。今者識後明性。顯此聚亦爾。但是影顯二文令相互照。又彼諸法不定通三性。此定通故。使後學之惠起異論端故 下答之中。初擧頌。下別釋。」(『述記』第五・五十六左。大正43・418b)

 (「述して曰く。此れは即ち問いを起こす。然るに前の第八識には心・心所を弁じ已って、方に説いて是れ無覆無記と言えり。今は識を解して即ち其の性を弁ず。前には心と心所法は其の性必ず同なるを顕す。所以に心所を解し已って方に始めて性を解す。今は識の後に性を明せることは此の聚亦爾なりと顕す。但だ是れ二の文を影顕して相互に照さしむ。又彼の諸法は定んで三性に通ぜず。此れは定んで通ずるが故に。後学の慧をして異の論端を起さしむるが故なり。」)

 三性門は前六識は善・不善・無記のいずれの性に摂められるのかということを分別する門です。

  •  初能変 ー 無覆無記
  •  第二能変 - 有覆無記(何故有覆というのか、染汚の法だからです。染汚法の働きを有覆というのです。理由は、有覆は外には聖道の無漏智を障え、内には自心を覆うという用きを持つのです。煩悩のはたらきですね。一切を「有」(煩悩)で覆ってしまう、自己関心というものに色付けされるのです。善をなしても雑毒の善となる、という。この第二能変の末那識は六識の所依であるわけです。
  •  第三能変 - 三性のいずれにも定まらないというのが六識の特徴になります。いずれにもなりえる、と。

 この問いに対して、次の科段で答えられています。「三性に通ず」と。

 「謂く善と不善と倶非との性に摂む。」(『論』第五・十七左)

 「論。謂善不善倶非性攝 述曰。此擧頌答。即顯六識並通三性。」(『述記』第五末・五十七右。大正43・418b)

 (「述して曰く。此れは頌を挙げて答えるなり。即ち六識は並びに三性に通ずることを顕す。」)

 


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