唯識に学ぶ・誓喚の折々の記

私は、私の幸せを求めて、何故苦悩するのでしょうか。私の心の奥深くに潜む明と闇を読み解きたいと思っています。

第三能変 煩悩の心所 (11) 根本煩悩の体と業について (9) 慢の心所 (4)

2014-03-25 23:10:43 | 心の構造について

 慢の種類について

 「此の慢の差別なること七・九種有り、謂く、三品と我と徳との処に於て生ず。」(『論』第六・十三右)

 この慢について、七慢或は九慢という種類がある。つまり、三品と我と徳の所において生ずるのである。

 三品(上品・中品・下品)と我と徳の五つの状況(五法)に於て、七慢・九慢が生じる。『述記』の記述から順を追って考察します。

 「論。此慢差別至我徳處生 述曰。有七・九種。不過於五法上生。謂上中下三品。及我。并勝徳處生。此義云何。如五蘊論説 謂七慢中。於下品及中品起第一。謂於劣計己勝。於等計己等。於中品於上品起過慢。謂於等計己勝。於勝計己等。於上品起慢過慢。謂於勝計己勝。於我蘊起我慢。自恃高擧。於未證勝徳。起増上慢。雖得少分。於所未得謂己已得。於上品起卑慢。謂他多分勝己。謂己少分不及。 己於無徳。謂己有徳起邪慢。此邪慢者全無謂有。其増上慢己得少勝。謂多殊勝。此即二別也。然於三品起四。滅起一。於徳起二。於五處起七慢也 九慢者。大乘中不見文。顯揚第一云。如經説三慢類。我勝。我等。我劣慢類。婆沙等第一百九十九。及倶舍第十九説有九慢。前三爲三。有勝・有等・有劣爲三。無勝・無等・無劣爲三。過慢・慢・卑慢如次初三。卑慢・慢・過慢如次中三。慢・過慢・卑慢如次後三。依本論及品類足兩説大廣。然九 依我見後生。三品處起。此與諸見相應無失。」(『述記』第六末・五右。大正43・444b~c)

 「述して曰く。(慢に)七・九種有り、五法の上を過ぎては生ぜず。謂く上中下の三品と及び我と并に勝徳との処に生ず。
 此の義は如何。五蘊論に説くが如し。

  • (1) 謂く七慢の中に、下品と及び中品とに於て、第一の慢を起こす。謂く劣に於て己は勝たりと計し、等に於ては己は等しと計す。

 自分と他人とを比較して、劣というのは、相手が自分より劣っているという状態(下品)の時に、自分の方が勝れていると思う慢心が生ずる。或は相手と自分が同等である場合、相手と自分とは同等であると思う慢が生じる。彼奴も俺も同じようなものであるというのが慢心であるというのです。これは自他分別心から生じる煩悩なのですね。他を意識した時に、自我意識が頭をもたげてきて、他より劣っているとは認めない、勝れているか、同等であると思うわけですね。これが第一の慢で、これが根本になります。

  • (2) 中品に於て上品に於て過慢を起こす。謂く等に於て己は勝れたりと計す。勝に於て己が等しと計す。

 「等に於て」、相手と自分が同等であるという場合(中品)ですね、この場合に、相手よりも自分の方が勝れていると思うのですね。或は、相手が自分より勝れている場合(上品)にも相手と自分とは同等であると思う、思いたいわけです。

  • (3) 上品に於て慢過慢を起こす。謂く勝に於て己が勝なりと計す。

 相手が自分より勝れている場合でも、自分の方が勝れていると云う思いです。計(ケ)は、考えること、分別することですが、相手と自分とを量って、自分の方が勝れていると思う考えかたです。

  • (4) 上品の於て卑慢を起こす。謂く他は多分に己に勝れたり。謂く己は少分に及ばずという。

 相手が自分より数段に勝れていると云う場合に於ても、自分は相手より少しだけ劣っている、たいして変わりはないのであるという思いです。絶対に相手を認めようとはしません、それが慢の正体なのです。

 以上が三品における状況の中で生じる慢(慢・過慢・慢過慢・卑慢)を説明しています。

 次が、我と徳における状況の中で生じる慢が説明されます。   (つづく)

 


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