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おはようございます。
昨日は、僕の一言で大切な人の心を傷つけてしまいました。後悔先に立たずですが、思考と意思決定は、過去に自分が何を考え、どのような行動をとってきたかに由るわけです。
現在の行動は、自分はこのようなことを考えていたんだなと、教えられるのですね。こうのように書いている瞬間もうすでに過去の出来事なんです。何回も同じことを言いますが、現在は過去の集大成であり、未来は現在の集大成であるわけです。同じことの繰り返し、同じことの過ちを犯してしまうのは、何を基準として日暮をしているのかに関わってきます。金子大栄師は「人生をはやり直しはできないが、見つめ直すことはできる。」と教えてくださいました。
これは、自分の依り所、自分の立ち位置を確認しなさいということなのですね。
ここで云えることは、人生には師が必要であるということです。貴方の師は誰ですかと問われたときに、私の師は誰それですと答えられるのか。
しかし、ここにも問題はあるのですよ。何を以て師とするのか、師と仰ぐことが出来るのか。
自分の功利心に迎合するような発言をする人は師とはいえません。
また、慚愧心の無い人も師とはいえません。慚愧心が無いと、傲慢にならざるを得ないからです。
それは何故かといいますと、迎合する発言を繰り返す人や、慚愧心の無い人の発言には永遠性がなく、いつ崩れ去るかもわからないからです。そのようなものを自分の立脚地とはできないからですし、立脚地としてはならないからです。
私たちは知らず知らずの間に、自分の都合のいいような生き方を選んでいるのですが、今一歩退いて「これでいいのか」という問いを持たなければなりませんね。永遠性に触れなければ、必ず壊れます。それは何時壊れるのかは分かりませんが、はっきりしているのは、僕はですよ、昨日の発言でも知らされるように、すでに壊れているんです。それに気づくことが無かったわけですが、それで、その事実に対して修復はできないかもしれませんが、ただひたすら頭を下げるしかありません。自分の問題なのですね。貴方の依り所が間違っているよと指摘されたのです。
人生という大舞台で、貴方は主役です。これは間違いのないところです。しかし、主役は脇役が輝いて、主役として花が咲くわけです。その脇役を輝かせるのは主役である貴方の仕事です。
今日は雑感になってしまいました。
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