■感想:人魚の文化史(ヴォーン・スクリブナー)
[図説]人魚の文化史 神話・科学・マーメイド伝説 [ ヴォーン・スクリブナー ]
以前から人魚には興味はあったものの、ちゃんと本を読んだのはこれが初。今までの無知を恥じ入るばかり。とても面白かった。
カラーの図版・写真が約120点。しかも1枚1枚が、引用して語りたくなるような興味深い物ばかり。
先行研究はもちろんのこと書籍・建造物・新聞・神話・体験談等々も大量に紹介され、人類の人魚に対する熱意をこれでもかと感じられます。
序文
第1章:中世の怪物
第2章:新たな世界、新たな不思議
第3章:啓蒙時代の試み
第4章:フリークショーとファンタジー
第5章:現代のマーメイド
第6章:世界の海へ
終わりに
年代順に「マーメイド」がどう扱われてきたのかを見ていく構成で、なるほど「マーメイド」がどうしてこう魅力的なのかがよく分かる。
「ジュゴンを見間違えた」や「アンデルセンの人魚姫で広がった」ぐらいにしか思っていなかったのですが、現代マーメイドの直接の系譜は、中世の教会でマーメイドが使われたことだそう。
(41頁から引用)
画像は、両足をつかみ大きく股を広げた人魚の像。どちらも教会建築から。
「それは人魚なのか?」と疑問もわきますが、発端は「誘惑してくる怪物」であり、異常性と性的アピールの結果としてこうなったらしい。このデザインはスターバックスのロゴでも使われているほどで、人魚としてはむしろ伝統的で正統派といえます。
教会の教えとして使われた結果、当時の人々に人魚の実在が自然と受け入れられ、そのような下地があるから目撃談も出る。探し回りもする。
紹介されている図版や資料を見ると、つくづく多種多様な人魚で溢れかえっています。「ジュゴンの見間違え」の一言で片づけられることじゃなかった。
筆者は繰り返し「人魚はハイブリッド性ゆえに人々を惹きつけてきた」「人魚について考えることは、人間について考えることだ」と述べています。
読み始めこそ、「サカナと人間の組み合わせなんだからハイブリッドなのは当たり前だろう」とか「何を大げさな」とも思ったのですが、読み進める内に確かにと納得。
不可解なことに「マーメイド」は見た目ももちろんのこと、色々な面で矛盾を両立させています。
上述の通り当初から淫靡さを属性として持っているのに、なぜか真逆の清楚さや純真さも連想する。
無知な生き物として描かれることもあれば、予言やら知恵やらを授ける存在だったりもする。
肉体的にも非力なのか、強靭なのかよく分からない。
矛盾したイメージが、扱いたいテーマや場面によって使い分けられてしまう。
適切な例えか分かりませんが、現代日本のフィクション世界における「女子高生」が近いかもしれない。「子供・大人」「制約・自由」「無知・学徒」等々、矛盾するイメージをコンテンツにより使い分けられる。ありとあらゆるテーマで「主人公が女子高生」モノがあるように、同様のことが「マーメイド」にも言えるのかもしれない。
当然ながら、我々ひとりひとりの人間は、何か一つの属性に収まるものではない。各人が様々なハイブリッド性を持つし、集団になれば個々に特性も違う。
また特定の誰かに対し、決まりきった一つの見方をするのではなく、複数の矛盾した見方がありうる。
それらの矛盾を象徴的に表した先が「マーメイド」であり、「マーメイド」を通じて人間像が確かに見える気がします。
マーメイドと人類の付き合い方も面白い。
元々「教会も人魚の存在を認めている」ことから広がったのに、後の世では「人魚は聖書に描かれていない。だからいない」に転じたとか。
体系的な学術研究が始まった時代、「信頼のおける人物からの証言が多数ある」ことから、人魚の実在は「科学的に」証明されていた。当時の研究者は無知蒙昧なので信じたのではなく、ちゃんと「科学的な」プロセスで認めています。それが今では逆転している(反証と訂正は科学の基本なので、「悪い」ことではない)。
19世紀には人魚のミイラの展示などで大盛り上がりしたものの、「ミイラが偽物」と発覚した途端、急速にしぼみ実在説は一掃。「そのミイラが偽物だった」ことと「人魚がいない」ことに直接の関連はないのに。一般民衆の興味関心的には、むしろ理知的でない経緯で実在が否定されてしまった。
ところがそれはそれとして、急減した人魚熱は急上昇し(引用:「十九世紀の西洋人の様子をマーメイドとトリトンに夢中と形容するなら、二十世紀の人々は完全に取り憑かれているといっていい状態だった」)、映画や広告などで盛んに扱われたそう。フィクションならフィクションとして楽しめばよい。スターバックスのロゴもこの流れです。
「地上に人間がいるように、海にも知的生物がいるはずだ」という素朴な発想も、人魚の存在を後押ししたらしい。言われてみれば、いない方が変とも思えます(実際にはイルカやクジラやジュゴンがそれに相当するのでしょうけれど)。
そしてこれは言い換えると、「なぜ地上に人間はいるのか」や「他の動物と人間の違いは何か」にもつながる。
「尾びれがぴちぴちして可愛いから」ぐらいの入り口から入ったのに、想像もしない深い世界だった。何でこんなサカナに興味関心がわくのか自分でも分からなかったんですが、「夢中にならない方がおかしい」とすら思えてきました。
とても勉強になる本でした。人魚が好きなら必読だとお勧めしたい。
[図説]人魚の文化史 神話・科学・マーメイド伝説 [ ヴォーン・スクリブナー ]
以前から人魚には興味はあったものの、ちゃんと本を読んだのはこれが初。今までの無知を恥じ入るばかり。とても面白かった。
カラーの図版・写真が約120点。しかも1枚1枚が、引用して語りたくなるような興味深い物ばかり。
先行研究はもちろんのこと書籍・建造物・新聞・神話・体験談等々も大量に紹介され、人類の人魚に対する熱意をこれでもかと感じられます。
序文
第1章:中世の怪物
第2章:新たな世界、新たな不思議
第3章:啓蒙時代の試み
第4章:フリークショーとファンタジー
第5章:現代のマーメイド
第6章:世界の海へ
終わりに
年代順に「マーメイド」がどう扱われてきたのかを見ていく構成で、なるほど「マーメイド」がどうしてこう魅力的なのかがよく分かる。
「ジュゴンを見間違えた」や「アンデルセンの人魚姫で広がった」ぐらいにしか思っていなかったのですが、現代マーメイドの直接の系譜は、中世の教会でマーメイドが使われたことだそう。
(41頁から引用)
画像は、両足をつかみ大きく股を広げた人魚の像。どちらも教会建築から。
「それは人魚なのか?」と疑問もわきますが、発端は「誘惑してくる怪物」であり、異常性と性的アピールの結果としてこうなったらしい。このデザインはスターバックスのロゴでも使われているほどで、人魚としてはむしろ伝統的で正統派といえます。
教会の教えとして使われた結果、当時の人々に人魚の実在が自然と受け入れられ、そのような下地があるから目撃談も出る。探し回りもする。
紹介されている図版や資料を見ると、つくづく多種多様な人魚で溢れかえっています。「ジュゴンの見間違え」の一言で片づけられることじゃなかった。
筆者は繰り返し「人魚はハイブリッド性ゆえに人々を惹きつけてきた」「人魚について考えることは、人間について考えることだ」と述べています。
読み始めこそ、「サカナと人間の組み合わせなんだからハイブリッドなのは当たり前だろう」とか「何を大げさな」とも思ったのですが、読み進める内に確かにと納得。
不可解なことに「マーメイド」は見た目ももちろんのこと、色々な面で矛盾を両立させています。
上述の通り当初から淫靡さを属性として持っているのに、なぜか真逆の清楚さや純真さも連想する。
無知な生き物として描かれることもあれば、予言やら知恵やらを授ける存在だったりもする。
肉体的にも非力なのか、強靭なのかよく分からない。
矛盾したイメージが、扱いたいテーマや場面によって使い分けられてしまう。
適切な例えか分かりませんが、現代日本のフィクション世界における「女子高生」が近いかもしれない。「子供・大人」「制約・自由」「無知・学徒」等々、矛盾するイメージをコンテンツにより使い分けられる。ありとあらゆるテーマで「主人公が女子高生」モノがあるように、同様のことが「マーメイド」にも言えるのかもしれない。
当然ながら、我々ひとりひとりの人間は、何か一つの属性に収まるものではない。各人が様々なハイブリッド性を持つし、集団になれば個々に特性も違う。
また特定の誰かに対し、決まりきった一つの見方をするのではなく、複数の矛盾した見方がありうる。
それらの矛盾を象徴的に表した先が「マーメイド」であり、「マーメイド」を通じて人間像が確かに見える気がします。
マーメイドと人類の付き合い方も面白い。
元々「教会も人魚の存在を認めている」ことから広がったのに、後の世では「人魚は聖書に描かれていない。だからいない」に転じたとか。
体系的な学術研究が始まった時代、「信頼のおける人物からの証言が多数ある」ことから、人魚の実在は「科学的に」証明されていた。当時の研究者は無知蒙昧なので信じたのではなく、ちゃんと「科学的な」プロセスで認めています。それが今では逆転している(反証と訂正は科学の基本なので、「悪い」ことではない)。
19世紀には人魚のミイラの展示などで大盛り上がりしたものの、「ミイラが偽物」と発覚した途端、急速にしぼみ実在説は一掃。「そのミイラが偽物だった」ことと「人魚がいない」ことに直接の関連はないのに。一般民衆の興味関心的には、むしろ理知的でない経緯で実在が否定されてしまった。
ところがそれはそれとして、急減した人魚熱は急上昇し(引用:「十九世紀の西洋人の様子をマーメイドとトリトンに夢中と形容するなら、二十世紀の人々は完全に取り憑かれているといっていい状態だった」)、映画や広告などで盛んに扱われたそう。フィクションならフィクションとして楽しめばよい。スターバックスのロゴもこの流れです。
「地上に人間がいるように、海にも知的生物がいるはずだ」という素朴な発想も、人魚の存在を後押ししたらしい。言われてみれば、いない方が変とも思えます(実際にはイルカやクジラやジュゴンがそれに相当するのでしょうけれど)。
そしてこれは言い換えると、「なぜ地上に人間はいるのか」や「他の動物と人間の違いは何か」にもつながる。
「尾びれがぴちぴちして可愛いから」ぐらいの入り口から入ったのに、想像もしない深い世界だった。何でこんなサカナに興味関心がわくのか自分でも分からなかったんですが、「夢中にならない方がおかしい」とすら思えてきました。
とても勉強になる本でした。人魚が好きなら必読だとお勧めしたい。