偶然のいきさつで、映画を見てきました。
ちなみに原作は連載ベースで第1話の頃から読んでいて大好きです。
■デトロイト・メタル・シティ
主人公の根岸くんは音楽で人に希望を与えるのが夢だった。
彼の好きな音楽はポップミュージック。
いつかはそれで皆に夢を与えたい!
が、悲しいかな。彼にはポップミュージックの才能が全くなかった。どうしようもないほどなかった。
けれど成り行きで始めたデスメタルの世界で成功してしまい、本人の意思とは関係なく、バンド「デトロイト・メタル・シティ」のボーカル・クラウザー2世として祭り上げられていく…というそんなお話。
ジャンル的には「本当は温厚で気弱な青年が、周囲から『とんでもない奴』と勘違いされて大騒ぎする」系。
ただ、同系統の話と決定的に違うのが、その彼には本気で才能があり、それによって周囲が幸せになっていってること。
「そしてみんな不幸になりましたとさ」の不幸系オチではなく、ハッピーエンドでオチるところがとても好き。
映画化と聞いたときは、そこが再現されなかったら嫌だなと思っていたのですが、スタッフさんはきちんと分かってくれていた。
台詞は下品だし、決して褒められる行為をしてるわけではない。
でも彼のメタルを必要としている人がいて、しかもそれは彼にしかできない。
劇中でやってるギャグは本当にしょうもない。
そしてしょうもないからこそ、そのギャグがひっくり返って感動に転化したとき、気持ちよく笑うことができる。
クライマックスの「ファンとともに走るクラウザーさん」のシーンは、「ギャグ」と「感動」の絶妙な具合だったと思う。
笑えるからこそ泣けるし、泣けるからこそ笑える。
安易な一発ギャグや顔芸、嘲笑系の笑いでもなく、安易な「人が死んだ」とか恋愛系の涙でもない。だから良い。
クラウザーさんにしても、その信者にしても周囲の人にしても、皆いい人で優しいんですよね。やってることは極めてアホでバカでピントも外れているのだけれど。
この話で絶対悪として描かれてるのは、そういった人たちを(勝手に)上からの目線で一方的に否定し、自分たちの文化・趣味以外を見下してる類の人たち。
彼らに対するクラウザーさんの「報復」は、だから見ていてとてもすっきりする。
クラウザーさんの衣装はチープだし、歌もたいしたことはない。
言動も冷静に見ればしょぼいし、破綻してる箇所も多々ある。
だけど、それでも貫き通せばヒーロー足りえる。ヒーローがヒーローを演じ、観客がヒーローをヒーローとして認めきってしまえば、些細な違和感なんて消失する。
その過程自体がギャグであり感動的なのだと思う。
(この辺の理屈は、アニメを見て、例えば作画ミスがあったときにそれを批判しまくるかそれすら演出として肯定的に受け入れるか・販促シーンを見て商業主義で冷めると否定するか、それともそこに「熱さ」を見出せるか、そういったことと理屈は同じ気がする)
「ヒーロー」が虚構であることは分かってる。
クラウザーさんが「ただの人」なことも当たり前にみんな理解してる。
だからこそ、そこを捻じ曲げて「魔王」「悪魔」と崇める行為がギャグとして成立するのだし、だからこそ、それによって夢を与えられてることが感動的なんです。
根岸くんの「僕の歌で、人に夢を与えたい」という夢は、一度は完全に破れます。
でも彼がやりたかったのと全く逆のベクトルの音楽で、全く逆の客層には夢を与えることはできる。
彼がやりたかったのは「夢を与える」ことであって、手段が「ポップ」なのか「デスメタル」なのかは本来些細な問題。それをギャグで演出するからこそ、面白い。
原作の対クラウザー1世編のラストバトルの盛り上がりなんか、まさにそこだと思いますよ。根岸くんが無駄に誇りに目覚めてる。本当に『無駄に』なところがまた良い。
原作の良さもそういったところにあると思ってます。
他の方の感想を見てると、「もっとギャグを」「綺麗にまとめすぎ」のようなものを見かけましたが、ちょっと視点が違う気がしてならないです。
単なるギャグ漫画ならこうも人気は出てないんですよ。積み重ねたギャグが布石となっているところが、この漫画の素晴らしいところなんじゃないかな。
スタッフさんやエキストラの信者の方、その他悪ノリしつつ盛り上げていたファンの人たちの愛を感じた映画でした。
クラウザーさんが、クラウザー『様』ではなくクラウザー『さん』であるところの微妙なニュアンスがとても重要だ。
2時間の尺で、上記に書いたことを表現するのは相当面倒だったと思いますけれど、安易なギャグに逃げることなく、きっちり仕上げてくれたことに感謝したいです。
いつもこのブログを読んでくださってる方向けに蛇足するなら、「クラウザーさん」は「プリキュアさん」に置き換えても成立します。
日曜朝や土曜朝の住人ならば、この映画にも耐性があるんじゃないかななどと勝手に思ってみたり。
ちなみに原作は連載ベースで第1話の頃から読んでいて大好きです。
■デトロイト・メタル・シティ
主人公の根岸くんは音楽で人に希望を与えるのが夢だった。
彼の好きな音楽はポップミュージック。
いつかはそれで皆に夢を与えたい!
が、悲しいかな。彼にはポップミュージックの才能が全くなかった。どうしようもないほどなかった。
けれど成り行きで始めたデスメタルの世界で成功してしまい、本人の意思とは関係なく、バンド「デトロイト・メタル・シティ」のボーカル・クラウザー2世として祭り上げられていく…というそんなお話。
ジャンル的には「本当は温厚で気弱な青年が、周囲から『とんでもない奴』と勘違いされて大騒ぎする」系。
ただ、同系統の話と決定的に違うのが、その彼には本気で才能があり、それによって周囲が幸せになっていってること。
「そしてみんな不幸になりましたとさ」の不幸系オチではなく、ハッピーエンドでオチるところがとても好き。
映画化と聞いたときは、そこが再現されなかったら嫌だなと思っていたのですが、スタッフさんはきちんと分かってくれていた。
台詞は下品だし、決して褒められる行為をしてるわけではない。
でも彼のメタルを必要としている人がいて、しかもそれは彼にしかできない。
劇中でやってるギャグは本当にしょうもない。
そしてしょうもないからこそ、そのギャグがひっくり返って感動に転化したとき、気持ちよく笑うことができる。
クライマックスの「ファンとともに走るクラウザーさん」のシーンは、「ギャグ」と「感動」の絶妙な具合だったと思う。
笑えるからこそ泣けるし、泣けるからこそ笑える。
安易な一発ギャグや顔芸、嘲笑系の笑いでもなく、安易な「人が死んだ」とか恋愛系の涙でもない。だから良い。
クラウザーさんにしても、その信者にしても周囲の人にしても、皆いい人で優しいんですよね。やってることは極めてアホでバカでピントも外れているのだけれど。
この話で絶対悪として描かれてるのは、そういった人たちを(勝手に)上からの目線で一方的に否定し、自分たちの文化・趣味以外を見下してる類の人たち。
彼らに対するクラウザーさんの「報復」は、だから見ていてとてもすっきりする。
クラウザーさんの衣装はチープだし、歌もたいしたことはない。
言動も冷静に見ればしょぼいし、破綻してる箇所も多々ある。
だけど、それでも貫き通せばヒーロー足りえる。ヒーローがヒーローを演じ、観客がヒーローをヒーローとして認めきってしまえば、些細な違和感なんて消失する。
その過程自体がギャグであり感動的なのだと思う。
(この辺の理屈は、アニメを見て、例えば作画ミスがあったときにそれを批判しまくるかそれすら演出として肯定的に受け入れるか・販促シーンを見て商業主義で冷めると否定するか、それともそこに「熱さ」を見出せるか、そういったことと理屈は同じ気がする)
「ヒーロー」が虚構であることは分かってる。
クラウザーさんが「ただの人」なことも当たり前にみんな理解してる。
だからこそ、そこを捻じ曲げて「魔王」「悪魔」と崇める行為がギャグとして成立するのだし、だからこそ、それによって夢を与えられてることが感動的なんです。
根岸くんの「僕の歌で、人に夢を与えたい」という夢は、一度は完全に破れます。
でも彼がやりたかったのと全く逆のベクトルの音楽で、全く逆の客層には夢を与えることはできる。
彼がやりたかったのは「夢を与える」ことであって、手段が「ポップ」なのか「デスメタル」なのかは本来些細な問題。それをギャグで演出するからこそ、面白い。
原作の対クラウザー1世編のラストバトルの盛り上がりなんか、まさにそこだと思いますよ。根岸くんが無駄に誇りに目覚めてる。本当に『無駄に』なところがまた良い。
原作の良さもそういったところにあると思ってます。
他の方の感想を見てると、「もっとギャグを」「綺麗にまとめすぎ」のようなものを見かけましたが、ちょっと視点が違う気がしてならないです。
単なるギャグ漫画ならこうも人気は出てないんですよ。積み重ねたギャグが布石となっているところが、この漫画の素晴らしいところなんじゃないかな。
スタッフさんやエキストラの信者の方、その他悪ノリしつつ盛り上げていたファンの人たちの愛を感じた映画でした。
クラウザーさんが、クラウザー『様』ではなくクラウザー『さん』であるところの微妙なニュアンスがとても重要だ。
2時間の尺で、上記に書いたことを表現するのは相当面倒だったと思いますけれど、安易なギャグに逃げることなく、きっちり仕上げてくれたことに感謝したいです。
(左画像) デトロイト・メタル・シティ 1 (1) (ジェッツコミックス) (右画像) 魔界遊戯~for the movie~(初回生産限定盤) |
いつもこのブログを読んでくださってる方向けに蛇足するなら、「クラウザーさん」は「プリキュアさん」に置き換えても成立します。
日曜朝や土曜朝の住人ならば、この映画にも耐性があるんじゃないかななどと勝手に思ってみたり。