しばらく前に買った本を書いてみる。
■検証 陰謀論はどこまで真実か
[Amazonより引用]
政治や国際社会、仕事や日常生活等の場で様々に囁かれる陰謀の噂―。そこで、と学会会長や大学教員、超常現象謎解きサイトの管理人、『陰謀論の罠』著者などが集まり、個別の事例を検証することで、私たちがどう陰謀論に立ち向かったらいいかを探る。34事例を取り上げたまさに陰謀論大全。
[引用終]
「NASAは月に行っていない」「9・11テロは自作自演だ」「地球温暖化は嘘」「集団ストーカー」。
多分、ネット上で見かけたことがある人も多いと思う。
そういった有名な陰謀論の数々の、ネタバレをする本です。
これらがどれだけ間違っていて、どれほど愚かかよく分かる。
「超常現象の真相」のような話は好きです。
多分、私と同世代の人なら聞いたことはあると思う「古代の宇宙人の描かれた石板」とか「南極大陸を描いた地図」とか「メキシコの巨大UFO」とか「ムーとアトランティス」とか。
これらの真相は物凄く馬鹿らしい。
その馬鹿馬鹿しさが面白くて、今回もそれを期待して読んだのですが、軽く憤りを覚えた。
超常現象や都市伝説は、まぁ許せるところがある。実際にはホメオパシーのように死人が出る劣悪なものもあるのですけれど。
ですが陰謀論はそれ以上に悪意を感じます。
冒頭に挙げた陰謀論は、リアル知人から聞いたこともある。
そういった人たちがどの程度信じているかは別として、流布しているということ自体、背筋が寒くなるものがある。
気をつけないと、本気で騙されるし、悲惨なことになりかねない。
信じている内容自体が問題なんじゃない。もしかしたら、本当に陰謀はあったのかもしれない。
問題は、理屈になっていないことを理屈だと信じたり、論理的な考え方ができていないこと。
本著では、個々の陰謀論のネタバレそのものもですが、陰謀論の特徴が分かりやすく書かれています。
[引用]
9・11テロ事件から10年近く経つ現在、陰謀論も洗練され、巧妙化してきている。経験を積んだ陰謀論者は、次から次へと疑惑をまくしたてるが、「誰が真犯人か?」などという確信についての仮説を立てるようなことはせず、自ら積極的に検証するという態度もとらない。自作自演説の多くはすでに反証済みなので、下手なことを言うと、簡単に反論されてしまうからだ。よって、「陰謀だとは一言も言っていない。公式見解には無視できないほど多くの疑惑があり、その再調査を要求しているだけだ」という論調をとることが多い。
[引用終]
[引用]
○誘導尋問を多用する。たとえばその手法は、自説に都合がよい情報のみを聴衆に提示し、「我々は事実を示すだけで、何が真相か結論を下すのは皆さんです」と、公正を装う。論的にも同じ情報を提示し、「これを見てどう思いますか」「これだけを読んで公式説が正しいと言えるのですか」と、イエス・ノー式の単純な回答を、しかも即答せよと迫る。論敵が単純な回答をしないのを「(単純)明確に答えられない」、即答できないのを「口ごもった」と批判するためである。また、多数の情報が公開済みであってもあらかじめ情報を限定して披露し、持説に都合のよい回答しか出てこないパターンを作り上げる(①)。
○議論で追い込まれた場合、もしくは陰謀論を否定せざるをえないような場合、「わかりません。だから再調査が必要なのです」という逃げの一手に出る(②)。
○「真相究明」を叫びながらも、自己判断すると公式説に都合のいい(持説に都合の悪い)返答をせざるを得ないことを絶対に避けるため、「自分たちの目的は公式説の疑問点を提示し、再調査の開始もしくは皆を納得させるような回答を要求することにあります」と返答する(③)。
[引用終]
要約すると「疑問は一方的に投げかけるが、自分が説明することは一切しない」「なぜなら、自分から説明してしまうと、論破されるから」。
破綻していることは過去の経験で学んでいるので、矢面に立たないようにする。
「自分は何かを主張しているわけではない。疑問を述べているだけだ」の立ち位置になるように腐心する。
持説に反論が行われても再反論はしない。なかったことにして、全く別の疑問を無根拠に提示する。
それが駄目ならまた別の疑問。それも駄目ならまた別の。
どれか一つでも相手が口ごもれば、「このように非常に疑問な点ばかりです。それでもあなたは絶対に正しいと信じるのですか?」とつなぐ。
定番の決まり文句は「表現の自由」と「両論併記」。
「どんな内容であっても表現するのは自由だ」
「公式説には疑問点があるのだから、他の論も各論併記すべきだ」
と、こう述べる。
もちろん実際には筋違い。公式説に些細な疑問点があったとしても、それは陰謀論を対等に扱わないといけない理由にはならない。確からしさの精度が違うのだから。
しかも「疑問点」とやらの大半は、ただの無知か嘘によるものなのが面白いし、恐ろしいです。
現代社会の我々は、以前と比べれば基礎的な論理力は向上していると思う。
ですが同時に、「数字や根拠を示されると、簡単に信じてしまう」という弱点も背負ってると思う。
今から20年ほど前に行われた、アメリカのスペンサー教授による有名な心理学実験があります。
実験者に対し、(当人が元々は信じていない)何かを信じさせるという実験で、この時に何らかの根拠(例えば「幽霊の存在は物理学者の誰それの実験により証明されている)を示すと、劇的に効果が出るそうです。
それこそ「貴方の両親は宇宙人である」といった荒唐無稽な説であっても。
内容にもよりますが、平均して70%以上もの人が、あっさりと信じてしまうという結果が報告されています。
このように「根拠付きで示される」と、人はあっさりと騙されてしまうことが統計的に分かってる。
…というように、適当に数字や権威を並べると、それっぽく見えてしまう。
前の段落に書いたことは、全て適当に捏造したもので、そんな実験も結果も存在しません。
でも一見まともに見えると思う。
身も蓋もないことに、陰謀論の大半はこのパターン。
「調べてみたら、そもそも疑問として提示されている現象は存在しない」とか「当事者はそんなことを証言していない」とか、そんなのばっかりです。
実にアホらしいのだけど、ネタを知らないと真に受けて「その根拠が正しい」という前提で議論をしてしまう。
(だから議論の根拠となる参考文献や引用文献は、検証可能な形で示されないといけない)
こうなったら陰謀論者の勝ちです。この辺は、以前に「造物主の選択」のときに書いたトリックそのまんま。
実際のところ、陰謀を口にする人を論破することはできても、説得することはできません。
[引用]
陰謀論を唱える人物は、自身の思想信条に基づいて、強力なバイアスのかかった主張をしてきます。そして、決して自分の主張を曲げることはないので、議論するだけ時間の無駄です。かかわり合いにならないよう無視するのが一番賢いやり方でしょう。
[引用終]
ただ、トリックを知らないと騙されるし、騙されると復帰するのは大変です。
「嘘は嘘であり、まともに相手にする必要はない」と、はっきり認識することは大事だ。
表現の自由?両論併記?
そういうことは、最低限度の根拠と論理を示してからにしてくれ。
「どこがおかしいのか」「どう対処すればいいのか」という点で、非常に参考になる本だと思う。
ちなみにこの本の著者のブログによれば、第二版では指摘のあった箇所の補足や訂正がされているそうです。
指摘されたら再反論や説明をする。間違いがあったら訂正する。
正しい姿勢だと思う。
「科学は自分たちが絶対に正しいと信じ、間違いを認めない」
「陰謀論や疑似科学を宗教だと言うが、否定論者や科学は『否定論や科学』という宗教を信じているだけだ」
「だから立場は等しく、両論併記すべきだ」
こういう奇妙な指摘は頻繁に見かけますが、全くの逆。
その姿勢の差が、図らずとも現れているところに真摯さを感じました。
Amazonさんのレビューで他の方も書かれてますけど、読んでいて本当に陰鬱になってくる。
「こんな馬鹿なことを本気で信じる人はいるのか?」と不思議に思い、試しに検索してみたところ本当にバシバシとヒットしてしまったときの失望感は更にそれ以上。
同著者による超常現象の解説本は楽しんで書かれている感を受けましたが、この本では危機感が伝わってくる。その気持ち、非常によく分かる。
■検証 陰謀論はどこまで真実か
[Amazonより引用]
政治や国際社会、仕事や日常生活等の場で様々に囁かれる陰謀の噂―。そこで、と学会会長や大学教員、超常現象謎解きサイトの管理人、『陰謀論の罠』著者などが集まり、個別の事例を検証することで、私たちがどう陰謀論に立ち向かったらいいかを探る。34事例を取り上げたまさに陰謀論大全。
[引用終]
「NASAは月に行っていない」「9・11テロは自作自演だ」「地球温暖化は嘘」「集団ストーカー」。
多分、ネット上で見かけたことがある人も多いと思う。
そういった有名な陰謀論の数々の、ネタバレをする本です。
これらがどれだけ間違っていて、どれほど愚かかよく分かる。
「超常現象の真相」のような話は好きです。
多分、私と同世代の人なら聞いたことはあると思う「古代の宇宙人の描かれた石板」とか「南極大陸を描いた地図」とか「メキシコの巨大UFO」とか「ムーとアトランティス」とか。
これらの真相は物凄く馬鹿らしい。
その馬鹿馬鹿しさが面白くて、今回もそれを期待して読んだのですが、軽く憤りを覚えた。
超常現象や都市伝説は、まぁ許せるところがある。実際にはホメオパシーのように死人が出る劣悪なものもあるのですけれど。
ですが陰謀論はそれ以上に悪意を感じます。
冒頭に挙げた陰謀論は、リアル知人から聞いたこともある。
そういった人たちがどの程度信じているかは別として、流布しているということ自体、背筋が寒くなるものがある。
気をつけないと、本気で騙されるし、悲惨なことになりかねない。
信じている内容自体が問題なんじゃない。もしかしたら、本当に陰謀はあったのかもしれない。
問題は、理屈になっていないことを理屈だと信じたり、論理的な考え方ができていないこと。
本著では、個々の陰謀論のネタバレそのものもですが、陰謀論の特徴が分かりやすく書かれています。
[引用]
9・11テロ事件から10年近く経つ現在、陰謀論も洗練され、巧妙化してきている。経験を積んだ陰謀論者は、次から次へと疑惑をまくしたてるが、「誰が真犯人か?」などという確信についての仮説を立てるようなことはせず、自ら積極的に検証するという態度もとらない。自作自演説の多くはすでに反証済みなので、下手なことを言うと、簡単に反論されてしまうからだ。よって、「陰謀だとは一言も言っていない。公式見解には無視できないほど多くの疑惑があり、その再調査を要求しているだけだ」という論調をとることが多い。
[引用終]
[引用]
○誘導尋問を多用する。たとえばその手法は、自説に都合がよい情報のみを聴衆に提示し、「我々は事実を示すだけで、何が真相か結論を下すのは皆さんです」と、公正を装う。論的にも同じ情報を提示し、「これを見てどう思いますか」「これだけを読んで公式説が正しいと言えるのですか」と、イエス・ノー式の単純な回答を、しかも即答せよと迫る。論敵が単純な回答をしないのを「(単純)明確に答えられない」、即答できないのを「口ごもった」と批判するためである。また、多数の情報が公開済みであってもあらかじめ情報を限定して披露し、持説に都合のよい回答しか出てこないパターンを作り上げる(①)。
○議論で追い込まれた場合、もしくは陰謀論を否定せざるをえないような場合、「わかりません。だから再調査が必要なのです」という逃げの一手に出る(②)。
○「真相究明」を叫びながらも、自己判断すると公式説に都合のいい(持説に都合の悪い)返答をせざるを得ないことを絶対に避けるため、「自分たちの目的は公式説の疑問点を提示し、再調査の開始もしくは皆を納得させるような回答を要求することにあります」と返答する(③)。
[引用終]
要約すると「疑問は一方的に投げかけるが、自分が説明することは一切しない」「なぜなら、自分から説明してしまうと、論破されるから」。
破綻していることは過去の経験で学んでいるので、矢面に立たないようにする。
「自分は何かを主張しているわけではない。疑問を述べているだけだ」の立ち位置になるように腐心する。
持説に反論が行われても再反論はしない。なかったことにして、全く別の疑問を無根拠に提示する。
それが駄目ならまた別の疑問。それも駄目ならまた別の。
どれか一つでも相手が口ごもれば、「このように非常に疑問な点ばかりです。それでもあなたは絶対に正しいと信じるのですか?」とつなぐ。
定番の決まり文句は「表現の自由」と「両論併記」。
「どんな内容であっても表現するのは自由だ」
「公式説には疑問点があるのだから、他の論も各論併記すべきだ」
と、こう述べる。
もちろん実際には筋違い。公式説に些細な疑問点があったとしても、それは陰謀論を対等に扱わないといけない理由にはならない。確からしさの精度が違うのだから。
しかも「疑問点」とやらの大半は、ただの無知か嘘によるものなのが面白いし、恐ろしいです。
現代社会の我々は、以前と比べれば基礎的な論理力は向上していると思う。
ですが同時に、「数字や根拠を示されると、簡単に信じてしまう」という弱点も背負ってると思う。
今から20年ほど前に行われた、アメリカのスペンサー教授による有名な心理学実験があります。
実験者に対し、(当人が元々は信じていない)何かを信じさせるという実験で、この時に何らかの根拠(例えば「幽霊の存在は物理学者の誰それの実験により証明されている)を示すと、劇的に効果が出るそうです。
それこそ「貴方の両親は宇宙人である」といった荒唐無稽な説であっても。
内容にもよりますが、平均して70%以上もの人が、あっさりと信じてしまうという結果が報告されています。
このように「根拠付きで示される」と、人はあっさりと騙されてしまうことが統計的に分かってる。
…というように、適当に数字や権威を並べると、それっぽく見えてしまう。
前の段落に書いたことは、全て適当に捏造したもので、そんな実験も結果も存在しません。
でも一見まともに見えると思う。
身も蓋もないことに、陰謀論の大半はこのパターン。
「調べてみたら、そもそも疑問として提示されている現象は存在しない」とか「当事者はそんなことを証言していない」とか、そんなのばっかりです。
実にアホらしいのだけど、ネタを知らないと真に受けて「その根拠が正しい」という前提で議論をしてしまう。
(だから議論の根拠となる参考文献や引用文献は、検証可能な形で示されないといけない)
こうなったら陰謀論者の勝ちです。この辺は、以前に「造物主の選択」のときに書いたトリックそのまんま。
実際のところ、陰謀を口にする人を論破することはできても、説得することはできません。
[引用]
陰謀論を唱える人物は、自身の思想信条に基づいて、強力なバイアスのかかった主張をしてきます。そして、決して自分の主張を曲げることはないので、議論するだけ時間の無駄です。かかわり合いにならないよう無視するのが一番賢いやり方でしょう。
[引用終]
ただ、トリックを知らないと騙されるし、騙されると復帰するのは大変です。
「嘘は嘘であり、まともに相手にする必要はない」と、はっきり認識することは大事だ。
表現の自由?両論併記?
そういうことは、最低限度の根拠と論理を示してからにしてくれ。
「どこがおかしいのか」「どう対処すればいいのか」という点で、非常に参考になる本だと思う。
(左画像) 検証 陰謀論はどこまで真実か パーセントで判定 (右画像) 悪霊にさいなまれる世界〈上〉―「知の闇を照らす灯」としての科学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) |
ちなみにこの本の著者のブログによれば、第二版では指摘のあった箇所の補足や訂正がされているそうです。
指摘されたら再反論や説明をする。間違いがあったら訂正する。
正しい姿勢だと思う。
「科学は自分たちが絶対に正しいと信じ、間違いを認めない」
「陰謀論や疑似科学を宗教だと言うが、否定論者や科学は『否定論や科学』という宗教を信じているだけだ」
「だから立場は等しく、両論併記すべきだ」
こういう奇妙な指摘は頻繁に見かけますが、全くの逆。
その姿勢の差が、図らずとも現れているところに真摯さを感じました。
Amazonさんのレビューで他の方も書かれてますけど、読んでいて本当に陰鬱になってくる。
「こんな馬鹿なことを本気で信じる人はいるのか?」と不思議に思い、試しに検索してみたところ本当にバシバシとヒットしてしまったときの失望感は更にそれ以上。
同著者による超常現象の解説本は楽しんで書かれている感を受けましたが、この本では危機感が伝わってくる。その気持ち、非常によく分かる。