穴にハマったアリスたち

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映画 プリキュアオールスターズ NewStage3 永遠のともだち:「ハートキャッチの見た夢」

2014年03月18日 | プリキュア映画シリーズ
昨日桃園さんのことを書いたら、続けて他のプリキュアさんのことも書きたくなった。

夢のシーンで謎だったことの一つが、花咲さんが花を育てている夢を見ていたこと。
「憧れの未来」を見せるのであれば、宇宙空間にいないと本編ラストと一致しません。
この件に関し、先日コメントで「宇宙飛行士といっても学者でもあるのだから、植物学をやっていても不思議ではない」との旨のご指摘を貰いました。納得。
私は「NASAの裏庭でヒマワリ育ててたのか?」とかで飲み込んでいたのですけど、「植物学を本業として、宇宙にも行く」の方が確かに自然です。
彼女は星間旅行したいのではなく、宇宙でお花を育てたいのですし。

ただ気になるのが、彼女のやった夢破りが「花が枯れないのは変だ」だったこと。
他の皆様はシリーズのテーマに沿った形で夢から覚めているのに、なんだか普通に推理で気付いている。
夢だと気づくのが早かっただけに、これはなんだかとても奇妙だ。

「ハートキャッチ」さんのテーマは概ね二つ。
一つは「チェンジしていこう」。これだと「ヒマワリが枯れない=チェンジしないのはおかしい」で破ったことになる。
それほど変な解釈ではないですが、じゃあ来海さんたちはどうやって破ったのかが良く分からなくなる。

もう一つは「人の事情は分からない(しかしお手伝いならできる)」。
こっちの方が個人的に面白かったので、その路線で考えてみる。

花咲さんはバク母によって夢を見せられた。
しかし「人の事情は分からない」バリアにより、見せられた夢が本質から外れたものだったんじゃなかろうか。
つまり彼女の夢は宇宙飛行士なのに、花を育てる夢を見せられたんです。お花が好きな子だから、という安直な理由で。



同様に来海さんも安易に「モデルになる夢」を見せられたんじゃないかと勝手に考えてみる。
もちろん彼女の夢はモデルではないので、早々に夢だと気付いて衣装作成に励んだんじゃないかな。
これを支える根拠は、同じデザイナー系の夢を見ていた夏木さんが「何度もデザインしては破り捨てている(見た感じでは問題ないデザインを描いているのに破いている。おそらく夢の力で補完されて勝手にデザインが出来上がっていくので「そうじゃない!」と猛ってたんだと思う)のに、来海さんは爽やかに制作していること。
もはやあの時点で、バク母の用意した規定の夢を放棄し、勝手に服を作っていたからだと思えば納得できます。来海さん、すげぇ。

そう考えると、劇中では出てこなかった月光さん・陽光さんの夢も予測がつきます。
月光さんはコロンや父が復活する夢、陽光さんは男装でびしっと道場を継ぐ夢とかでしょうか。
どちらも表面的には彼女らの「夢」のようだけど、本質的には外してるので、そこから夢だと気づいたとか。

ついでに「人の事情は分からない。しかしお手伝いならできる」の後ろ部分でいえば、「見たかった夢としては外しているけど、それはそれで役に立った」んじゃないかな。
来海さんはとても楽しそうですし。夢だから無尽蔵に服作れる!楽しい!とか思ってそう。
あの一瞬の時間で、新しいデザインアイデアとか着想を得ていそうです。

月光さんも「たとえ偽りの幻であっても、また会えて良かった。だからもう現実に戻る」とばかりに帰還してきたのかもしれないし、陽光さんも「こういう男装の人生も良かったのかもしれないし、僕のやってきたことは無意味ではなかった。おかげで踏ん切りがついたよ」と爽やかに笑ってたのかもしれない。

発端の花咲さんでいえば、「そもそもこれが憧れの将来を見せる夢である」と気づかないまま、普通に過ごしてたのかもしれません。
そして、「あれ、お花が枯れません」とぼんやりと気づいたと。
なまじ普段の生活と変わらないものを見せられたので、ああいうリアクションになったんじゃないかしら。
うん、他の3人と比べると微妙なノリだ。そこは花咲さんですしね…。


何せ「人の事情は分からない」の人たちなので(「どうしてパリにいたのか」を劇中で説明しないような人たちだ)、夢の詳細が描かれなかったのはかえって熱いです。
何かの特典とかインタビューで語られたりしないのかな。

(映画本編の感想はこちら
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映画 プリキュアオールスターズ NewStage3 永遠のともだち:「桃園さんの見た夢」

2014年03月18日 | プリキュア映画シリーズ
【前置】

「NS3」を思い返していて、ふと考えた。
この手のオールスターズものでは、「誰それは優遇されている」「誰それは不遇だった」といった話題がどうしても出ます。
で、「NS」シリーズで最も不遇なのは?と考えると、私としては桃園さんだと思う。

不遇かどうかは、出番の多さや台詞の有無ではないと思うんです。
「NS3」でいえば、喋っていないけれどビートさんは存在感があったし、リズムさんも端々で愉快なたおやかポーズを決めてて印象に残った。
対ロボ戦の月光さんも、無言だからこそ、かえって怖さが増してて良い。
同じ場面に出ていたエースさんには台詞がありましたが、むしろ喋ったことで相対的に小者に見えましたし。(もっともエースさんの性格的には勝利宣言する方が、らしいとは思いますが)

それよりも、本来のキャラクターを否定するような出番の仕方をする方が、マイナスだと思う。
その意味で桃園さんは辛い。
例えば「NS1」でいえば、「DX1」で因縁があるはずのフュージョンに(その機会はあるにも関わらず)何のコメントもないだとか、同じ新人なのに闇雲に殴るしかなかったフレッシュ組と比べ、きっちり解決して見せたスマイル組との差を感じるとか、まぁ色々。
特に「フュージョンから逃げる人々」のシーンに、桃園母が混ざってるのが切ない。
娘がプリキュアであることを知っているはずなのに、応援もせずに逃げるんですよ。これは違和感がもりもり湧いてくる。

そして今回の「NS3」。個人的にはこのシーンが非常にひっかかった。



桃園さん:
 「失敗しても何度でもやり直せばいい!」

このシーンでの桃園さんの台詞はおかしい。
だって彼女が見ている「いつもの3人と一緒にダンスコンテストで優勝する」は、決して叶わない夢だから。
実際、他の3人は(少なくともmktnとブッキーは)違う夢を見ている。それぞれ夢の形が違うので、桃園さんの夢は努力したところで不可能なんです。

まずいことに、「努力してもやり直せないことがある」は「おもちゃの国」でも語られた最大の障壁です。
「楽しいことはいっぱいあったはずだよ」⇒「でも僕たちは捨てられたんだ」と語る玩具達には、やり直すとか努力するとかの余地がない。
人生山あり谷あり、されど辿り着く先は一つなんです。

もしも桃園さんが見ていた夢が、自分一人で優勝しているだとか、ミユキさん達と踊っているだとかなら、問題なかったのに。
故に「扱いが悪い」し、「不遇だ」と思った。
出番自体は決して少なくはないのだけど。

【本題】

ですが、そこで終わってもネガティブな気持ちにしかならないので、「劇中で描写されていることは全て正しく、制作陣は意図して行っている」というスタンスに基づき、この違和感の謎を考えてみる。
違和感があるということは、それだけ特殊な状況にあるということ。
ぶっちゃけ制作側にそこまでの意図はないのでしょうけれど、それをあれやこれや考えるのが考察の醍醐味なので、「どうして桃園さんの夢がああだったのか」を考えてみた。

で、結論を書いてしまえば、「おもちゃの国」と同じ回答だったのだろうと思う。
つまり「世代を越えて転生する」の発想。
捨てられた玩具はもう元の楽しい生活には戻れないけれど、新しい持ち主の元で新しい思い出を作ることならできる。

桃園さんにとっての夢はあの3人と一緒にダンスコンテストで優勝すること。
だけど3人にはそれぞれの夢があるので、おそらくはすぐには叶わない。
では夢は不可能かというとそうでもない。

例えば余暇の時間に集まって、懐かしの地域イベントでダンスをするでもいい。
数十年後、家庭や仕事が落ち着いてから再びみんなで集まって、シニアの部で優勝を目指すでもいい。
今のこの若い時分に叶えられなくても、第二の人生で実現することはできる。

思うに彼女が見た夢は「いつもの3人と優勝する」⇒「それは無理だ(夢だと気付く)」⇒「でも何度でもやり直せる」⇒「数十年後に再結成したフレッシュ組が優勝する」であり、「そこに至るまでには人生の様々な苦労を乗り越える必要がある」と考えていたから「何度でもやり直そう」と発言したのではないでしょうか。
これから先、友人たちと離れてしまうことは避けられないが、それでも諦めずに努力してまた皆で会おうという決意の表れですね。
夢の中の桃園さんは見た目はお若いですが、バクの力では年齢操作はできないということなので、特には矛盾はないはず。

そう思うと、山のような絆創膏は、友と離れていた間にも頑張り続けた心の傷。さらりと言った「何度でもやり直せる」には熱い決意が込められていた。
「おもちゃの国」では再起不能になりかけたのに、今回は自力で笑顔で乗り越えておられる。
まぁ先にも書いたように、ぶっちゃけそこまで考えた上での演出ではないでしょうけれど、桃園さんの魅力が前にも増して深まったような気がします。
一時期はすぐに落ち込んでいたのに、強くなられたなぁ…。

【蛇足】

こうして考えると「不遇」な娘さんは原理的に存在しない気がする。
不遇に見えるということは、他の娘さんと比べて何か特徴があるわけで。
それこそ考察のし甲斐があるんじゃなかろうか。

(映画本編の感想はこちら
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