スマイルさんに絡んで、もそもそと考えてたことを書いてみる。
先日、星空さんは夏休みの宿題を達成できず、いたく叱責されました。愚かしいことです。
それもこれもコツコツと計画的に取り組んでいなかったから。
やっぱり日ごろの努力は大切なんです。
…と、簡単に済む話じゃない。
私も人に指示を出す立場になりつつあるのですが、その一連で気づいたこと。
「計画的に行動する」=「無理なく確実に進める」と勘違いしている人が結構いる。
計画を立てると言うのは、ただ単に目的地とルートを設定するだけなのだから、負荷の軽減は全く含まれてません。
結局のところ、7月から毎日やろうが最終日にまとめてやろうが、絶対量は変わりません。
強いて言えば、自由研究のような時間が必要となる課題対策にはなる(そして、事実、星空さんは時間が足りなかった)。
でもそれは、楽かきついかという観点でいえば関係ないことだし、リスクもさして変わらない。
確かに星空さんは宿題が間に合わなかった。
ではもしも極めて堅実に、夏休み突入直後に猛勉強して根を詰めて頑張っていたら?
おそらくバッドエンド王国戦で、あっさりと全滅していたでしょう。
「毎日コツコツ」というのは、言いかえれば「一日たりとも休めない」無茶苦茶きついスケジュール。
そんな計画を立ててしまったら、楽しい夏休みが送れなかったかもしれない。もはや何のための計画だ。
(とはいえ宿題をやらないのは悪いことなのでは?という理屈もありますが、本筋から話題がずれるので省略。少しだけ書くと、宿題を達成したかどうか自体は学力向上や計画力と直接には関係ない)
宿題の件に限らず、星空さん達は非常に呑気です。
敵の侵略にもさほど深刻にならず、何か迎撃態勢をとるわけでもない。
大きな悩みや目標もなく、問題があることは認識しつつも、対策をとるでもない。
これと同じ状況を、現実の私たちで考えてみる。
私たちの生活も、種々の問題に溢れています。
例えば絶対的な事実として、今このブログを読んでくださってる皆さまは、遅くてもこれから100年以内には死ぬ。
昨今、穏やかな老後を過ごすのは非常に難しい社会情勢であることも、大多数の方が認識してるかと思います。
老後云々以前に、多くの人が介護や病気やその他様々な問題にも遭遇する。
これらは予定調和といってもいいほどに明白なこと。
では何か明確に対策を立てているか?といえば…。
少なくとも弊ブログを読んでいる暇がある時点で、全力で困難に立ち向かっていると言うのは厳しいでしょう。
あるいは昨年の震災を念頭に置きつつ、災害に対する備えを考えてみよう。
あちこちのメディア等々で、大規模な自然災害が起きることは予測されています。
ではどんな防災を心がけているのか。
多分、大多数の対策は「非常食を備蓄する」とか「避難所を確認しておく」だと思う。
これ、おかしくなかろうか。
前回の大震災でいえば、亡くなられた方の多くは地震発生直後なんです。
「非常食が足りなくて餓死者続出」とかじゃないんです。「避難場所を知らなかった」でもないんです。
であるならば、行うべきは「いついかなる時も、即座に外に飛び出せる臨戦態勢を維持すること」、これが有効な対策のはず。
でもこれは気軽に言えるほど簡単なことじゃない。
いざ地震が発生した時、もしもたまたまトイレで下痢に苦しんでいたら?
早々に何かを切り上げて、そのままの格好で避難所めがけて走れるだろうか。
たまたまシャンプーつけてる最中だったり、たまたま深酒して寝ていたり、たまたま眼鏡が見つからなくて探し回ったり。
そのほんの数分のロスが、生死を分ける可能性が大いにある。
実際、亡くなられた方の中には、そういった人たちもいたかと思います。
(念のために書きますが、その方々を侮辱する意図はありません)
「いつか災害が起きる」と誰しもが予測してる。
ですが多くの人は、対策として不可欠な「24時間臨戦態勢を維持する」なんてことはやってない。
平気で夜更かしして寝不足になるし、マラソン大会に出てわざわざ体力をゼロにしたりもする。
(余談ですが、ちょうど「津波が起こったら危険だから」との理由で、マラソン大会が中止になったとニュースで見かけた。私は決して、極端な話をしてはいない)
では対策をするのが正しいかと言えば、そうとも言い切れない。
下痢をしないように食生活を完璧に管理し、睡眠時の隙をなくすために交替で寝ずの番を立てたり、体力使うスポーツとか以ての外、テレビやラジオの前に張り付き災害情報に備え続ける、そんな日々。
普通に無理です。というか、もはや何のために生活してるのかが分からなくなってくる。
といったところで、星空さんの話題に戻してみる。
星空さんは確かに遊び呆けている。
明らかに来ると分かってる困難に、何か対策をとったりはしない。
でもそれはそれで良いのだと思う。
本気で応戦しようとしたら、生活が破綻します(上の地震の例のように)。
星空さんの発想に「日常を守る」があるのであれば、対策を取らされた時点で(日常が崩壊するのだから)負けとも言える。
この辺、同様に日常密着型プリキュアだった桃園さんとも、発想が大きく違う。
桃園さんは「迷ったり間違ったりしながらも、自分で考えて努力して進んでいく。それこそが幸せだ」な人だけど、星空さんの場合「困難を解決するために、苦しい努力を強要されたらその時点で負け。だから笑って日常を送れ」かなと思う。
多分、初期レモネとは理解し合えない。
そして「その笑って過ごした楽しい思い出が力になる」。
困難がやってくることは確定なのだから、必ずいつかその瞬間に遭遇する。
打つ手はないです、元々。だからいざそうなったら「気合い」だ。楽しかった思い出を全力で噛みしめつつ。
これは「困難に対し、対策不能として諦める」のではなく。
起きてしまったらもうその時は仕方がないから、強引にでもスマイルをチャージし、楽しい思い出を糧にして、気合いで立ち向かおう。そんなノリ。
別の視点でいえば、明確な準備ができないまま危機に立ち向かわなければいけない状況は、そのおかげでそれまで楽しく過ごすことができたとも言える。
星空さんは宿題をやっておらず、最終日の追い込みと補習で酷い目にあった。
が、だからこそ夏休みは楽しく過ごすことができた。だったら最後の苦しみは、粛々と受け止めればいい。
今、確かに苦しい。でもおかげで今まで楽しく過ごせた。それでいいじゃないか。
回避できない、いつかは来ることが分かっていた危機に直面した時に。
どうしてもっと計画的に準備しなかったのかと嘆くのか、計画的に遊んでおいて良かったさあついに来たか頑張ろう、と思うのか。
どっちもやってることは同じだけど、危機に立ち向かうエネルギーは違うと思うのです。
もちろん、これは行きすぎると無策に遊んでるだけになってしまう。
ピエーロ様のキーワードが「怠惰」なのは、そのせいかと思われます。
が、準備や対策に拘るとそもそもの意義を見失う。
星空さんは歴代主人公の中でも、特に明確な目標や夢を持たない子。
「現実はお伽噺のようにはいかない」と考えておられるのに、何かアクションを起こすのでもない。
ですが、「困難は来ると知りつつも、楽しい現実を送り続ける」のは凄まじく根性のいることです。
スマイルを浮かべるその下には、回避不可能な絶望と恐怖が蠢いてる。
それは現実逃避なのかもしれないけれど、解決する気のない不安や問題を口にして騒ぐ人たちよりも、よっぽど現実に立ち向かってるとも思う。
震災の後、作り手側も「アニメなんて現実に意味あるのか?」と悩んだそうですが、その答えの一つなんだろうと思います。
便宜上「来るべき困難」と未来のことのように書きましたが、大小すでに現実に直面してる。
しかし頭抱えて困っていても仕方ないのです。
確かにベストな対策はしてこなかったのかもしれないけれど、現実はお伽噺のようにはいかないんです。
だから笑え。そして気合いだ。
これから案外、諸々の問題に全力で取り組み始めるのかもしれないけれど、星空さんにはこのまま気合いの人生を続けて欲しいなと思ってみます。
先日、星空さんは夏休みの宿題を達成できず、いたく叱責されました。愚かしいことです。
それもこれもコツコツと計画的に取り組んでいなかったから。
やっぱり日ごろの努力は大切なんです。
…と、簡単に済む話じゃない。
私も人に指示を出す立場になりつつあるのですが、その一連で気づいたこと。
「計画的に行動する」=「無理なく確実に進める」と勘違いしている人が結構いる。
計画を立てると言うのは、ただ単に目的地とルートを設定するだけなのだから、負荷の軽減は全く含まれてません。
結局のところ、7月から毎日やろうが最終日にまとめてやろうが、絶対量は変わりません。
強いて言えば、自由研究のような時間が必要となる課題対策にはなる(そして、事実、星空さんは時間が足りなかった)。
でもそれは、楽かきついかという観点でいえば関係ないことだし、リスクもさして変わらない。
確かに星空さんは宿題が間に合わなかった。
ではもしも極めて堅実に、夏休み突入直後に猛勉強して根を詰めて頑張っていたら?
おそらくバッドエンド王国戦で、あっさりと全滅していたでしょう。
「毎日コツコツ」というのは、言いかえれば「一日たりとも休めない」無茶苦茶きついスケジュール。
そんな計画を立ててしまったら、楽しい夏休みが送れなかったかもしれない。もはや何のための計画だ。
(とはいえ宿題をやらないのは悪いことなのでは?という理屈もありますが、本筋から話題がずれるので省略。少しだけ書くと、宿題を達成したかどうか自体は学力向上や計画力と直接には関係ない)
宿題の件に限らず、星空さん達は非常に呑気です。
敵の侵略にもさほど深刻にならず、何か迎撃態勢をとるわけでもない。
大きな悩みや目標もなく、問題があることは認識しつつも、対策をとるでもない。
これと同じ状況を、現実の私たちで考えてみる。
私たちの生活も、種々の問題に溢れています。
例えば絶対的な事実として、今このブログを読んでくださってる皆さまは、遅くてもこれから100年以内には死ぬ。
昨今、穏やかな老後を過ごすのは非常に難しい社会情勢であることも、大多数の方が認識してるかと思います。
老後云々以前に、多くの人が介護や病気やその他様々な問題にも遭遇する。
これらは予定調和といってもいいほどに明白なこと。
では何か明確に対策を立てているか?といえば…。
少なくとも弊ブログを読んでいる暇がある時点で、全力で困難に立ち向かっていると言うのは厳しいでしょう。
あるいは昨年の震災を念頭に置きつつ、災害に対する備えを考えてみよう。
あちこちのメディア等々で、大規模な自然災害が起きることは予測されています。
ではどんな防災を心がけているのか。
多分、大多数の対策は「非常食を備蓄する」とか「避難所を確認しておく」だと思う。
これ、おかしくなかろうか。
前回の大震災でいえば、亡くなられた方の多くは地震発生直後なんです。
「非常食が足りなくて餓死者続出」とかじゃないんです。「避難場所を知らなかった」でもないんです。
であるならば、行うべきは「いついかなる時も、即座に外に飛び出せる臨戦態勢を維持すること」、これが有効な対策のはず。
でもこれは気軽に言えるほど簡単なことじゃない。
いざ地震が発生した時、もしもたまたまトイレで下痢に苦しんでいたら?
早々に何かを切り上げて、そのままの格好で避難所めがけて走れるだろうか。
たまたまシャンプーつけてる最中だったり、たまたま深酒して寝ていたり、たまたま眼鏡が見つからなくて探し回ったり。
そのほんの数分のロスが、生死を分ける可能性が大いにある。
実際、亡くなられた方の中には、そういった人たちもいたかと思います。
(念のために書きますが、その方々を侮辱する意図はありません)
「いつか災害が起きる」と誰しもが予測してる。
ですが多くの人は、対策として不可欠な「24時間臨戦態勢を維持する」なんてことはやってない。
平気で夜更かしして寝不足になるし、マラソン大会に出てわざわざ体力をゼロにしたりもする。
(余談ですが、ちょうど「津波が起こったら危険だから」との理由で、マラソン大会が中止になったとニュースで見かけた。私は決して、極端な話をしてはいない)
では対策をするのが正しいかと言えば、そうとも言い切れない。
下痢をしないように食生活を完璧に管理し、睡眠時の隙をなくすために交替で寝ずの番を立てたり、体力使うスポーツとか以ての外、テレビやラジオの前に張り付き災害情報に備え続ける、そんな日々。
普通に無理です。というか、もはや何のために生活してるのかが分からなくなってくる。
といったところで、星空さんの話題に戻してみる。
星空さんは確かに遊び呆けている。
明らかに来ると分かってる困難に、何か対策をとったりはしない。
でもそれはそれで良いのだと思う。
本気で応戦しようとしたら、生活が破綻します(上の地震の例のように)。
星空さんの発想に「日常を守る」があるのであれば、対策を取らされた時点で(日常が崩壊するのだから)負けとも言える。
この辺、同様に日常密着型プリキュアだった桃園さんとも、発想が大きく違う。
桃園さんは「迷ったり間違ったりしながらも、自分で考えて努力して進んでいく。それこそが幸せだ」な人だけど、星空さんの場合「困難を解決するために、苦しい努力を強要されたらその時点で負け。だから笑って日常を送れ」かなと思う。
多分、初期レモネとは理解し合えない。
そして「その笑って過ごした楽しい思い出が力になる」。
困難がやってくることは確定なのだから、必ずいつかその瞬間に遭遇する。
打つ手はないです、元々。だからいざそうなったら「気合い」だ。楽しかった思い出を全力で噛みしめつつ。
これは「困難に対し、対策不能として諦める」のではなく。
起きてしまったらもうその時は仕方がないから、強引にでもスマイルをチャージし、楽しい思い出を糧にして、気合いで立ち向かおう。そんなノリ。
別の視点でいえば、明確な準備ができないまま危機に立ち向かわなければいけない状況は、そのおかげでそれまで楽しく過ごすことができたとも言える。
星空さんは宿題をやっておらず、最終日の追い込みと補習で酷い目にあった。
が、だからこそ夏休みは楽しく過ごすことができた。だったら最後の苦しみは、粛々と受け止めればいい。
今、確かに苦しい。でもおかげで今まで楽しく過ごせた。それでいいじゃないか。
回避できない、いつかは来ることが分かっていた危機に直面した時に。
どうしてもっと計画的に準備しなかったのかと嘆くのか、計画的に遊んでおいて良かったさあついに来たか頑張ろう、と思うのか。
どっちもやってることは同じだけど、危機に立ち向かうエネルギーは違うと思うのです。
もちろん、これは行きすぎると無策に遊んでるだけになってしまう。
ピエーロ様のキーワードが「怠惰」なのは、そのせいかと思われます。
が、準備や対策に拘るとそもそもの意義を見失う。
星空さんは歴代主人公の中でも、特に明確な目標や夢を持たない子。
「現実はお伽噺のようにはいかない」と考えておられるのに、何かアクションを起こすのでもない。
ですが、「困難は来ると知りつつも、楽しい現実を送り続ける」のは凄まじく根性のいることです。
スマイルを浮かべるその下には、回避不可能な絶望と恐怖が蠢いてる。
それは現実逃避なのかもしれないけれど、解決する気のない不安や問題を口にして騒ぐ人たちよりも、よっぽど現実に立ち向かってるとも思う。
震災の後、作り手側も「アニメなんて現実に意味あるのか?」と悩んだそうですが、その答えの一つなんだろうと思います。
便宜上「来るべき困難」と未来のことのように書きましたが、大小すでに現実に直面してる。
しかし頭抱えて困っていても仕方ないのです。
確かにベストな対策はしてこなかったのかもしれないけれど、現実はお伽噺のようにはいかないんです。
だから笑え。そして気合いだ。
これから案外、諸々の問題に全力で取り組み始めるのかもしれないけれど、星空さんにはこのまま気合いの人生を続けて欲しいなと思ってみます。