穴にハマったアリスたち

生きてれば楽しい事がいっぱいある!の証明の為のページ。ぴちぴちピッチを大応援。第三期をぜひ!
→新章開始!ありがとう!

ニュース:運動会で強い「瞬足」、累計2000万足突破

2010年03月26日 | アニメ・日曜朝 感想その他
ニチアサヒーロータイムといえば「戦隊ヒーロー」さんに「仮面ライダー」さん。時々稀に「プリキュア」さん。
そしてそれらに加えもう一方。
「最も熱いのは彼らだ」とまで囁かれる、例の人たちがニュースになってた。

運動会で強い「瞬足」、累計2000万足突破

[引用]
 アキレスは25日、2003年に発売した子ども用運動靴「瞬足」の累計販売足数が、1月末で2000万足を突破したと発表した。

 学校の運動場のトラックが左回りであることに着目し、左側の靴底に重点的に滑り止めを付けた「左右非対称ソール」が人気を集めた大ヒット商品だ。
[引用終]

御存じ「瞬足」。
最近では新CMも公開されました。無駄にテンションが上がる。
私も耐摩耗性が3倍にアップする、そんな人生を歩みたい。

「左右非対称ソール」とか、「そこまでやるか」という発想が素晴らしいです。
レース用のバイクタイヤも非対称だったりするそうなんですが、もはや勝つためには日常性を捨てています。
意地でも左回りしかしない。誇らしい。

公式ページ「瞬足」(注:音が出ます)

無駄に設定が練られてた。本当に無駄です。
CMだけではさっぱり分からないし、そもそも分かったところでどうにもならないのに。
彼らは左回りしかない世界で、一体何を見たいのか。

とりあえず明らかなことは、街で誰かに追いかけられたなら「右回り」で逃げるべきだということです。
こちらが瞬足を履いておらず、相手がもしも履いていたとしたら「左回り」を選ぶのは、死を選ぶのと同義。
大事なことなので、いざというときは必ず思い出そう。逃げるときは、「右回り」。
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侍戦隊シンケンジャー 第四十六幕「激突大勝負」

2010年01月18日 | アニメ・日曜朝 感想その他
毎年この時期のニチアサさんは頭おかしいけれど、今年は特におかしい気がする。

■侍戦隊シンケンジャー 第四十六幕「激突大勝負」

侍戦隊・シンケンジャー。
圧倒的に強い殿様と、その下に集った4人の侍さんのお話。
いよいよクライマックスに突入。

何せ殿は強いので、「部下を危険に晒したくない」と一人で戦うことに拘ったり。
でも健気についてくる部下の姿に、少し頼ってみたり。
だけどやっぱり弱いので、最後は結局自分で戦うしかなかったり。

そんな葛藤や成長を乗り越えて、殿と部下の絆も確かになってみた。
結果、敵の首領であるところのドウコクさんも、最終回1ヶ月以上も前に撤退。
もはや勝ちは決まったかに思えたところに、大どんでん返し。

桃姐さん:
 「(殿は)あの女の子の、影武者ですか」

殿が、殿じゃなかった!

敵の目を欺くために、影武者として立てられた殿。
仕事は完璧に果たした。
そして降臨する本物の「殿」こと、「姫」。

今までのことは全て嘘だった。
あんまりな事実に、家臣一同大パニック。
もちろん「殿」の辛さも分かるので、彼を恨むわけもない。
しかも困ったことに、姫はとても良い人です。強いし人格者。
おかげで誰かを罵るわけにもいかず、何をどうしようもない。ただただパニック。

寿司:
 「お前ら…本当にあのお姫様と一緒に戦うのか…」
緑:
 「もっと憎たらしいお姫様だったら、簡単だったのにな」

怒りのやり場もなく、そもそも怒っているのかも分からない。
混乱を抱えたまま、真・レッドと共に家臣は戦う。
くどいようですが姫は普通に優秀なので、問題なく戦闘できてしまう。



殿:
 「………。。」

影武者の任を解かれた殿が、自分のいない「侍戦隊」の巨大ロボ戦を見上げる様が胸にきた。
殿が居なくても、戦える。
適切な表現かどうか微妙ですが、こういうのは会社でもある。
「この人が居ないと仕事にならない」と思われてるようなエース級の人でも、いざ辞めても案外どうにでもなる。
仕事に明け暮れて、仕事に誇りを持っていても、お役御免となったその時、振り返ったら何もなかったりする。

殿:
 「…俺は殿様じゃない自分は初めて見た」
 「びっくりするほど何もないな」

そんな殿に、敵さんが声をかける。

戦闘狂:
 「俺と戦う。それだけで十分だ」 
 「お前がするべきことは、戦いのみ」
殿:
 「…確かにこれだけは本物だ」
 「一切、嘘はない。」

ああう。殿が…。殿が外道に落ちる…。
「全てが嘘ではなかったはずだ」の爺の言葉も虚しく響き、殿は血濡れの戦いに没入。
最終回まで残り3話。もう敵を倒すとか倒さないとか、そんな次元の話ではない。


(左画像)
侍戦隊シンケンジャー写真集 天晴!

(右画像)
侍戦隊シンケンジャー 銀幕版 天下分け目の戦(特別限定版) [DVD]


【今期のOP】



本編の尋常ならざる展開の前振りを受けて流れるOP。
異常に熱いです。これだけで軽く泣ける。
1年間見てきて良かったとつくづく思う。

【今期のラスボス】

既に大ボスが力尽きてるのがまた状況に拍車をかける。
(お話的には復活して最後に華々しくバトルするんでしょうけれど)
敵はいない。後はとどめを刺すだけ。それがかえって「どうしようもない」感を掻き立てる。

大体、そのラスボスさんにしても「惚れた女の大事なものを取り返すために玉砕」です。
その際に主人公勢は成す術もなく負けてます。
単に相手が無茶をして自滅したので、今の優位がある。
そこだけ見れば何やら良い人。意味分かんない。何考えてるんだ「シンケンジャー」。
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映画「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」

2009年12月20日 | アニメ・日曜朝 感想その他
一言で言うと「上手い」。もしくは「凄い」。
シリーズ全体を通じて、よく構成を思いついたなぁと感嘆が先に立ちました。
いつも「仮面ライダー」映画は腐れ縁の友人と見に行って、終わった後は一杯やりながら突っ込みを入れるのが慣習になってるのですが、どうにも上手く言葉が出なかったくらい。

■映画「仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010」

ディケイドさん:
 「俺は戦うことでしか世界と向き合えなかった」

シリーズ同士の対立、あるいは原典と二次創作の対立。
それを仮面ライダー同士の戦いに喩えてきた(と思っている)「ディケイド」ですが、「対立することでしか向き合えない」という発想は目からうろこでした。
確かに、部外者でしかない私たちは、番組の感想だとか二次創作だとかでしか「世界」と向き合えない。
結局どんなに立派な感想を書こうが、面白い二次創作を作ろうが、所詮は偽物であってこの文脈で言う「対立」でしかない。
で、それが「悪」かというと、まぁ「悪」なのだけど(著作権だとか他番組への批判だとかを含むので)、これらが無いと番組は停滞してしまう。

オリジナルキバさん:
 「ディケイドと戦うことで、物語が再び動き出した」

もしも「ディケイド」が存在しなければ、「キバ」は今年初めの時点で終わってます。続きはない。
そもそも「キバ」がどんな話だったか、覚えてますか?
あれはまだ今年のことなのに、既に記憶の彼方ですよ。

「ディケイド」のテレビ版は半端な終わり方をした(個人的にはそう思いませんが)際の批判として、「子供はすぐ忘れるから3ヶ月後の映画ではダレる」というのを見かけました。
これはそのまんま「ディケイド」のテーマになっていた。
最終回を迎えてしまったら、もうそこで終わりで、1年もしない内に忘れられてしまう。
そうやって埋もれてきた過去の仮面ライダーたち。
でも今なら、過去の全ライダーを懐かしく思い出せるし、もうそうそう忘れはしない。「ディケイド」のおかげで。

そうやって物語が活性化し、オリジナルもパラレルも復活したけれど、「ディケイド」は消えたまま。

オリジナルキバさん:
 「ディケイドに物語はありません」
鳴滝さん:
 「ディケイドに、物語など必要ない!」

「ディケイド」なんて、あるいは二次創作なんて、本編を活性化させるために存在するだけであって、それ以上の何かは不要。むしろ害でしかない。
そんな鳴滝さんやオリジナルキバさんの言葉は、実際正しいことは正しいんだと思う。
所詮は、二次は二次だ。一応、感想ブログなんてやってる身としては、自戒の念を込めてそう思う。私らのやってることは、他人のふんどし借りてる劣等行為だ。

でも、それでもやっぱり二次創作であっても、それを通じた思い出や楽しさがあることは事実なわけで。
「ディケイド」の半年間の放送は、確かに私たちの記憶にも残ってる。
復活したディケイド兄が、記憶の断片をくぐりながら歩いてくるところは、不覚にも涙腺が緩みました。
あの「記憶」は全部偽物だし、正史の「仮面ライダー」にはカウントされない。場合によっては、「余計なことしやがって」と批判の対象にすらなりえる。
そんな紛い物であっても、「ディケイド」の記憶であることは確かで、それを見ていた自分たちの体験も本物です。「ディケイド」の物語は、ここにあった。

その後に続く「ビギンズナイト」のアンサーも素晴らしかった。
偽物は、偽物だ。Wさんはきっぱりそう断言し、偽おやっさんを否定することを選択する。
でも同時に、パラレルおやっさんの言葉には素直に涙を流してる。
安っぽい「ダミー」は否定する。「ダミー」を使って自分の利益を得ようとするのものも認めない。
けれど、芯の通った「パラレル」は認めるということなのかな。


いかにもそれっぽい「真相」として「ディケイドの正体は大ショッカーの作った生物兵器だったんだ(超生命体にひっかけて)」とか「各種ライダーに変身できるのは、対ライダーの研究成果だ」とか「パラレルワールドはディケイドに対抗するために作られた戦闘用フィールドだ(もしくは大ショッカーのシミュレータ)」とか、まぁそんなのは幾らでも思いつきます。
問題は、とてもつまんないってことだけで。これでは10周年記念企画、更には00年代最後を飾る企画としてあまりにしょぼい。
今回のこの展開には批判的意見も多いでしょうが、私は大絶賛したい。

今回の映画のキャッチコピーに「本当の終わり」と冠されてた「ディケイド」さんですが、これはこれで一つの「ビギンズナイト」と捉えることも出来ると思いました。
ここから幾らでも話を続けられる。というか、話を続けられるということそれ自体がテーマみたいなものじゃなかろうか。
これからまた10年後に「ディケイド2」をやらないかなぁ。
ディケイド兄が劇中で倒した仮面ライダーの中に、さりげなく「未来の」仮面ライダーであるスカルが混ざってたところに時間や番組を越えた部分を感じました。
伏線だとかそんなんじゃなくて、「ディケイド」は(ひいては「仮面ライダー」シリーズやそれを取り巻く環境は)、ここで終わりじゃない、的な感じで。


(左画像)
東映ヒーローMAXスペシャル W×DECADE (タツミムック 東映ヒーローMAX SPECIAL)

(右画像)
ネット版 仮面ライダーディケイド オールライダー超(スーパー)スピンオフ [DVD]


「マーメイドメロディーぴちぴちピッチ」という番組があります。2005年に最終回を迎えました。
「ふたりはプリキュアSplashStar」という番組があります。2007年に最終回を迎えました。
けれどこの両番組は、今でも出演者たちの自主ライブによって、リアルタイムで物語が進行中です。
もちろん自主ライブなので非公式。堂々と「ぴっち」や「プリキュア」の名は使えないし、使おうともしていない。
そして先日、主催:テレビ朝日という舞台で、「正史」の関係者たちも見に来ている中、ライブを行いました。

この一連の活動は、「ディケイド」のテーマともとても近しいと感じます。
番組が終わったからって、そこで本当に終わってしまうわけじゃない。
「完結」や「正史」、あるいは「リメイクは侮辱だ」「伏線は全て回収されなければいけない」「金を払わないと提供されないのはおかしい」等々、凝り固まった考え方は、もう時代遅れなのだと思う。


その他の感想を列挙。

1.
行った先の映画館では、子供よりも大人の方が多かったです。
また小さな女の子と親御さんだけ、という組み合わせもちらほら見かけました。
もう「小さな男の子向け」という括りは無意味なんだろうと実感した。

2.
パンフレットより。
電波人間タックル役の広瀬さんの「34年ぶりにタックルが蘇る」、
ユウスケ役の村井さんの「クウガはオダギリさんからお借りしたキャラクターだから自分の仮面ライダーとは堂々と言えない。だからアルティメットが出た時にとても嬉しかった」、
プロデューサさん対談の「追体験」、等々。
物凄く共感できる。

3.
「ストロンガー」を見たことが無いので、実際に当時のファンがどう捕えたのかは分かりませんが、「タックルが蜂女に一矢報いる」というのは結構なカタルシスだった。
「ディケイド」がなければ、タックルさんは無惨に戦死したまんま。
それをちゃんと続きを描けたのは「ディケイド」があったから。テーマに沿った、良いゲストを選んだなぁ…。

4.
冒頭のスカイライダー戦からカブト戦までの流れが熱かった。
ディケイド兄さん、容赦も躊躇もなさすぎる。
数を頼みに襲いかかればブレイドさんのように逆利用され、単体で挑むと各個撃破される。これは、勝てん。

5.
サイドバッシャー!!
「ライダー大戦?Jが最強だろw」的な浅い意見を、逆に嘲笑うかの如く。
我らのカイザの必殺兵器が火を噴いた。格好良すぎる。

6.
一方で、いきなりカード化してるたっくんに泣いた。た、たっくん…。
彼の腕振りファイティングポーズがまた見たかった。
(なお個人的には今回戦ってたライダーはオリジナルライダーだと思ってる。でないとストーリー的にもテーマ的にも話が繋がらないのでは)

7.
一旦、中途半端なところで終わった劇場版。
あの瞬間、批判的に見ていた人たちは「やっぱり今回もぐだぐだなまま、途中で投げ出したw」と鬼の首をとったように思ったんでしょう。
その反応すらも逆手に取った演出が、物凄く痛快でした。これは上手い。

8.
ダミーを追いかけたWさんたち、気が付いたら風都から離れて荒野へ。
そこに悠然と浮かんでる謎の巨大飛行物体。な、なんだあれは!?
しょぼい怪人を追いかけてたはずなのに、いきなりとんでもねぇクライマックスに放り込まれたWさんたちに涙が止まらない。

9.
オロナミンCはどこに…。

劇場版「仮面ライダー」の真の主役、オロナミンCさんの姿を発見できませんでした。
私が見落としてただけなのか。
若菜姫の飲んでたドリンクが密かにオロナミンCだったとかなら拍手喝さいなのですが、何か普通のドリンクっぽいし。

「オロナミンCが出ない仮面ライダー」、ある意味これが一番「ディケイドは偽物である」ことを象徴してる気がしてきた。そういうことにしよう。
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小説「555(ファイズ)」 感想

2009年09月10日 | アニメ・日曜朝 感想その他
「ディケイド」の勢いで読んでみた。

■小説「555(ファイズ)」

[引用]
 「ファイズはもういない。それを認めるのは、とてもおそろしいことだけれど」

  ――――――――菊池啓太郎」
[引用終]


555(ファイズ)

お馴染み「仮面ライダー555」の劇場版「パラダイス・ロスト」のノベライズ。
基本的に映画の内容ですが、サイガを削る等々でコンパクトになっています。
でもその分、心理描写にページを割いてる。

映画では見せ場や尺の関係もあってか、「何故、木場さんがオーガを選んだのか」は割と淡泊に流してます。
まぁ丸顔に裏切られたと思い込んだとか、最低限の演出はあるものの、あんなあからさまな罠に普通はかからんだろーと誰もが思う。
その辺を補完してくれています。

木場勇治さんは一度他界されています。
その後、元気に蘇り、馬フェノクとして第二の生を謳歌しているわけですが、「俺は化け物じゃないか」と悩んでおられます。
まぁ馬だし。贔屓目に見ても動く死体ですし。人間じゃない。

しかし「生きて」いることは変わらない。人格だって元のまま。
オルフェノクだからといって邪悪なわけでもなく、「人間ではない」というだけのこと。
だからヒトとの共存を夢見て、それに理解を示す丸顔のお姉さんを慕い、理想の実現のために戦っておられます。

で、そんな馬に慕われる丸顔のお姉さん。
彼女は馬にも人間にも等しく接し、みんなの希望として崇められています。
ほとんど聖母扱い。顔は丸いですけれど。

特に木場さんにとっては、生きる最後の希望と言ってもいい。
「自分は化けものかもしれない」と思い悩み、自殺すら行っていた彼にとって、「オルフェとか馬とか関係ない!」と言ってくれる人はまさに救済です。
彼女がいるから生きていける。人を信じられる。自分を信じられる。顔は丸いですけれど。

その彼女が格別の信頼をよせるのが、本編主人公にして人類最後の希望・たっくん。
しばらく行方不明の生死不明でしたが、どうにか無事に戻ってきました。
その際に、ちょっとしたいざこざが。

[引用]

 「考えてもみろ。ベルトを作ったのは、もともとスマートブレイン社なんだぞ。オルフェノクを庇護してここまで増やした張本人だ。巧、おまえはまさか…」
 水原のその声に、若者たちは顔を見合わせた。
 おびえたように巧を遠巻きにし始める。と……。
 「やめてよ!」
 真理が叫んだ。
 水原が振り向くと、真理は本気で怒っていた。
 きまずそうに口を閉じたが、もう遅い。
 「なに言ってるの!巧がオルフェノクだなんて。そんなはずないでしょ!」
 啓太郎も怒っている。
 「そうだよ。俺たちはタッくんとは長い付き合いなんだ。タッくんのことはよく知ってるよ」

[引用終]

我らのたっくんにオルフェ嫌疑をかけられて、お怒りになる丸顔の図。
この時点ではたっくんがオルフェであることは判明しておらず、ここだけ切り出せば彼女の怒りは至極もっともです。
そう。「至極もっともだ」と思ったのならば。それが「本音」を表している。

[引用]

 <巧……わたし、嘘つきかもしれない>
 勇治は砂利を踏みしめて歩いていた。
 聞くな、と本能が告げた。でも、耳をふさいでも流れ込んできてしまう真理の声を、どうしろというのか。
 真理は泣いていた。しゃくりあげる声が続いた。
 <木場さんに……わたし、嘘をついたのかもしれない……>
 会話の相手は巧らしいが、そちらの声は聞こえない。巧がどう受け答えしているのかはわからなかった。
 <さっき、人間とかオルフェノクとか関係ないって言ったとき、心の中をザラザラしたいやなものが埋め尽くしたんだ
 (中略)
 水原くんが巧のことをオルフェノクかもしれないなんて言い出したでしょう?あのとき、わたしも啓太郎もすごく怒ったよね。
 (中略)
 「そんなはずないでしょ」って。わたしあのとき、すごくいやだったの。巧がオルフェノクかもって言われたことが。オルフェノクがいやだったの。ひどいよね、わたし……。だから、わたし……>

 真理は泣いている。
 巧はなんと答えているんだろう。
 想像もできない。悪いほうに悪いほうに決めつけてしまいそうで、考えるのもこわい。

 <わたし、嘘つきかもしれない……。木場さん、ごめん……。ごめん、ね……>

 ――勇治は立ち止まった。
 その顔は能面のように無表情だった。

 たったいま、一つだけ残されていた希望を失ったのだ。

[引用終]

今では顔の丸いお姉さんも、オルフェノクよりも性質の悪いファンガイアの女王になられてるわけですが、そんなことはさて置いて。
「巧はオルフェノクじゃない!」、こう思ってしまった時点で、オルフェへの正直な気持ちを吐露してしまってる。
これ映画もでしたけれど、構成が上手いし残酷ですよ。視聴者をも罠にかけてるもの。構図を理解したお子様は、結構悩んだんじゃないかと思うのだけど、どうなのだろう。

かくして絶望した木場さんは、帝王のベルトを求めてスマブレ社へ。

[引用]
 「<帝王のベルト>か……」
 勇治は一人でスマートブレイン社に向かおうとした。オルフェノクの王になどなりたくはなかったが、だからといってどうしたらいいかもわからなかった。
 「ベルトが……あるのが悪いんだ。あれさえなければ、俺は王になんてならなくていいし、それに、もしかしたら……」
 水原の言葉を反芻する。
 あの男はともかく、巧と真理は、スマートブレイン社から<帝王のベルト>を奪って人間の手に渡せば、勇治のことを、信頼できる人間の仲間だと再び信じてくれるかもしれない。
 確証はなかった。
 だがその仮定にすがりつきたかった。
[引用終]

そしてその希望も打ち砕かれ、めでたくオーガに就任。
やってきたファイズと殴り合いを始めます。
その途中で、たっくんの正体がやっぱりオルフェと判明。

[引用]
 勇治が殴り合っていた手を一瞬止め、目を見開いた。
 震え声で、
 「信じられない……。おまえが、俺と同じ……オルフェノクだったなんて」
 巧も拳を握りしめて構えながら、困ったように、
 「そうらしいな……。俺も驚いている。気付かなかった」
 そう呟くと、勇治の鳩尾に強いパンチを放った。
 (中略)
 そこに、檻の中から真理の叫ぶ声が聞こえてきた。
 「巧っ!巧っ!」
 「……なんだよ。うるせぇな」
 「わたしさっ、巧が人間でも、ファイズでも、オルフェノクでも、関係ないからさっ!」
 「はぁ?」
 「ずっとあんたを信じてついてきたんだもん。あんたはすごいやつだったもん。これからだっていっしょだよ。わたしは巧についていく。あんたが人間でも、オルフェノクでも、関係ない。だから……」
 勇治の顔が歪んだ。
 巧があきれたように、
 「……なんでおまえが泣くんだよ」
 「聞きたかったんだ、それを。あぁ、力抜けた。死ぬわ。じゃあな」
 勇治がニッコリ笑う。
 そして……、
 どさっと崩れ落ちた。
[引用終]

「オルフェであっても関係ない。巧は巧だから」。
映画では、それを聞いた時のたっくんの笑顔が印象的でしたが、この時点で木場さんも救われてたんだろうな。
その後のバトルで突然にオーガが弱体化したのも納得。

「555」の特徴的なところは「悪の親玉」がいないことで、設定からして「敵を倒して大団円」がありえない。
人類の進化型オルフェノクは、スマートブレイン社がなくなっても現れ続ける。
かつて私たちの祖先は、自分たちホモ・サピエンス以外のホモ属を絶滅させています。歴史を見る限り、凄まじく悲しくて孤独な結末しか見えやしない。

隣人は果たして人間なのか。そして人間でなければいけないのか。人間であれば信じ合えるのか。
小説中で貫かれている孤独への恐怖には、心が冷えます。
そんな小さな星の物語。期待していた以上に、面白かったです。どうせなら「異形の花々」も読むか。


(左画像)
仮面ライダー555 パラダイス・ロスト ディレクターズカット版 [DVD]

(右画像)
仮面ライダーファイズ正伝―異形の花々 (マガジン・ノベルス・スペシャル)


【蛇足】

上の感想記事からも想像つくかもしれませんが、肝心のたっくんの出番はたいしてありません。
ほとんど木場さんや周囲の人にフォーカスが当たっています。
主人公なのに。それがたっくん。(なお小説では『タッ』くんと表記されています。カタカナだったのか。でも平仮名の方が『らしい』のでそう書き続けよう)

あと冒頭で引用した啓太郎の台詞は、小説の最初のページに章見出しとして掲載されています。
これを読んで、私も友人も爆笑した。
だって、たっくんなんだもん。いや笑うところじゃないし、その後しんみりしたのだけど、でもだって、たっくんなんだもん。
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仮面ライダーディケイド 第31話(最終回)「世界の破壊者」

2009年08月31日 | アニメ・日曜朝 感想その他
私としてはこの展開は諸手を挙げて大歓迎です。

■仮面ライダーディケイド 第31話(最終回)「世界の破壊者」

今まで巡ったライダーの世界が融合して、それぞれが消滅の危機に。
「相手の存在を否定すれば自分たちの世界は助かる」。
そう信じて潰し合いを始めたライダーさんですが、「仲間」のキーワードを耳にして、ライダーとしての本質を思い出す。
かくして世界の枠を越えて協力し、悪の根源・大ショッカーを打ち倒しました。
これで世界は平和になってめでたしめでたし。

…と思わせたところでの、どんでん返し。

相羽さんの感想とほとんど同じなのですが、オリジナルキャストのブレイド、キバが出てきたあたりで大興奮ですよ。
各番組同士で罵り合ってたところに、「いやお前ら全部、まがい物じゃん」と問答無用の一撃。熱すぎる。
世界の視点がぐらっと揺れるくらいの転覆展開。

言うなれば、カップリング論争とか二次創作とかどのシリーズが最高かとかでいがみ合ってた人たちが、「でも私たちは同じ趣味を共有する仲間だよね!お互いに良いところあるし、協力していこうね。多様性万歳!」といかにもな和解をしたところに、本家本元がずがんと一発喰らわせた感じ。
ディケイド兄が旅するたびに世界は救われて行ってたはずなのに、鳴滝さんはずっと「世界は破壊された」を連呼してたのも納得です。
二次世界を優先してしまったら本末転倒。彼らの言っていた「仲間」や「世界」なんて、そんな程度の次元の話でしかなかった。

無論バンダイ様としては二次創作批判をしたいわけではないのでしょうから、ここから劇場版で和解だか共存だかが描かれるんでしょうけれど、かなり刺激的な展開だと思った。
VS著作権や、原作讃美と二次創作の跋扈は、こういう趣味をやってると色んなところで目にします。
バンダイ様の回答が何なのか、どういう展開にするのか、気になって仕方がない。
予告で散々繰り返されてた「本物」や「本当の」といった単語が熱すぎます。
「本当の○○が始まる」的な煽り文句はベタですけど、これはハマりすぎている。

個人的には二次創作はどんなに面白かろうと二次であって、本家へのリスペクトは忘れてはいけないと思う。
(私が事あるごとに「プロ舐めんな」「客は所詮客」という書き方をしてるのもそのせい)
ですので、「ディケイド」はとても面白いシリーズだったけれど、「一番好きな仮面ライダーシリーズは?」と聞かれたときに「ディケイド」とは答えたくない気持ちもある。あくまで他の絶対的に確立した各シリーズがあるからこそ成り立ってるのだから。

それと同時に二次創作は素晴らしいものだとも思う。
演劇だって音楽だって、最初の原作からは大きく変わりながらリメイクされ続けてるし、本歌取りやオマージュ等々、あらゆる分野で見ます。
例えば料理だって、時代に合わせて材料や調理法が変わる。これだって二次創作。

で、どこの分野でもやっぱり「原作」や「原典」は重要視されるし、「それはやっぱ○○として許せないよ」と二次に不平不満が漏れることはある。
原作VS二次創作。それを映像として熱く描いて見せてるのは本当に凄い。
「ファイズVSカブト」とかで大盛り上がりしていたと思ったら、実は「ファイズ&カブト VS 二次ファイズ&二次カブト」とか。思いついた人は凄すぎる。

続きが3ヶ月後、というのは賛否両論ありそうですが、個人的には映画の方が盛り上がるのでこれはこれで満足。
強いて言うなら、このタイミングで「W」に移行しなければいけない理由がよく分かりません。
単純に過去ライダーの世界を回るだけでは1年もネタが続かないよ、てことなら分かりますけれど、この展開なら十分引っ張れたと思うのだけどな。


(左画像)
Ride the Wind

(右画像)
仮面ライダーディケイド オリジナルサウンドトラック

サントラ買いました。そのものずばり2曲目の「ディケイド」テーマ曲が好き。


【蛇足】

なし崩しでファンガイアの女王様はライダーに粉砕されました。

アポロさん:
 「おのれ、よくも我が花嫁を…」

全くだ。
あんな綺麗で格好いい新妻を虐殺されたら、誰だってキレますよ。
てか顔の丸いお姉さんじゃないか!なんて羨ましい!

…あれ?これはオリジナルキャストと言うんじゃなかろうか。さりげなく。

…あ、もうちょっとタイミングがズレてれば、オリジナル555 VS 丸顔ファンガイアが見れたのか。惜しい。

…そして丸顔のお姉さんのカエルが潰れたような断末魔の声を聞けたので、私はとてもとても満足です。

あとキバサイドからしたら、「ブレイドとディケイドが急襲してファンガイア女王を殺害した」ようにしか見えません。
波風立たないように上手く説明していたクウガの兄さんは、地味に良い仕事してる。
彼はポジション的にかなりの異分子(オリジナルキャストではないのにオリジナル側に回ってる)なので、映画では物凄いキーパーソンになる気がする。

【蛇足2】

オリジナルブレイドさんの変身シーン。
几帳面にターンアップをディケイド兄さんにぶつけてて、ちょっと笑った。
いくらそういうギミックだからって、生身の人間相手に。ひどい。
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劇場版 仮面ライダーディケイド「オールライダー対大ショッカー」

2009年08月22日 | アニメ・日曜朝 感想その他
先週末に見てきました。
毎年恒例の某映画館で、毎年恒例の悪友と。
この謎同窓会も長く続いたもんだ…。

■劇場版 仮面ライダーディケイド「オールライダー対大ショッカー」

「10年に1度のお祭り企画」のみならず、これまでの「仮面ライダー」の集大成のようなお祭り企画でした。
全くもう、前日の夜に酒飲みながら考えた企画書を、そのまま推敲なしでゴーサイン出すなとあれほど…。
作ってたスタッフさんの大盛り上がり具合が伝わってきて、それが何より楽しかった。

で、細かいところは突っ込まれまくってると思うので、個人的に強く思ったところを。

ようやく辿り着いた「ディケイド」の世界。
そこで色々あって自分の世界に絶望しきったディケイド兄さんは、心身ともにズタボロになりながら、夏みかんさんのところに逃れてきます。
場所はいつもの写真館。そこはディケイド兄の帰るべき場所。

けれど夏みかんさんは、きっぱりと言い切ります。

夏みかんさん:
 「私の世界に、逃げ込まないでください」

閉じられる扉。追い出されるディケイド兄。「俺にはもうここしかないんだ」の言葉も虚しく、夏みかんさんは完全拒絶。
テレビでやってきた「帰る場所」云々は何だったのかと言いたくなるほどの冷たい対応です。
でも物凄く納得がいった。

ちょっと話が飛びますが、ミヒャエル・エンデ作の小説「はてしない物語」(ネバーエンディングストーリー)を思い起こしました。
現代の少年がファンタジー世界に迷い込んで大冒険、という割とよくある世界設定なんですが、特異的なのが「長時間、ファンタジー世界にいると現実世界のことを忘れて廃人になる」設定。
「夢いっぱいのファンタジーや想像力は大事だけど、そればっかりだと死ぬよ?」という、要はネット廃人の出現を予言したかのようなお話です。

翻ってディケイド兄さん。
過去の「仮面ライダー」の世界を旅し、「仮面ライダー」の能力を使いこなす夢の設定です。
でも、じゃあ「自分の」世界はどうなのかと。

楽しい旅や夢に没頭するのも結構ですが、それが自分の世界の戦いからの「逃げ」になってしまったら問題です。
我が身に置き換えてみると、酷く胸に突き刺さりました。
24時間年中無休でプリキュアさんのことを愚妄して現実逃避してる身としては、実に耳に痛い。

美翔さん:
 「私の世界に逃げ込まないで欲しいの」

返す言葉もありません。

二次世界で気分転換するのは悪いことではもちろんない。
でもやりすぎたら元も子もない。
アニメやゲームに限らず、野球やサッカーで暴徒と化すほど熱狂してる人たちや、逆に仕事にのめり込みすぎてる人等々、何かに夢中になることが「逃げ」になってしまってるケースは多々あります。

これを受けて、劇場版の前半戦では各種の過去ライダーの能力で景気よく戦っていたディケイド兄が、後半戦では己の能力のみで戦っていたのが印象的でした。
最終的な決め技も、自分自身のファイナルフォームライド。
そしてそうやって己の戦いに向き合った時、それでも本当にどうしようもない時、必ずヒーローは助けに来てくれる。

敵さん:
 「お前たち仮面ライダーは、死んだはずではなかったのか!」
歴代ライダーさん:
 「俺たちは死なない。必ず助けに現れる」
 「それが仮面ライダーだ」

根拠なんざない。ソースなんてない。でも必ず奴らはやってきて、共に戦ってくれる。
熱いのは、ディケイド兄自身もまた「仮面ライダー」であること。
もしも他の仮面ライダーがピンチに陥ったならば、やっぱりディケイド兄も助けにやってくるんでしょう。それが、仮面ライダーだからだ。

そしてそれを言い切るだけの覚悟を持てるのは、自分自身の世界に全力でぶつかっていってるからこそと思う。
この季節、同窓会やら盆やらで昔馴染みとも会いますが、この1年間で自分は成長してるんだろうかとかそういうことを思うわけですよ。
「オールスター」もののコンテンツを見るたびに、「ああ、良いなぁ」「ああいう仲間が欲しいなぁ」「ああいう戦いをしてみたいなぁ」とか思うわけですが、同時に「果たして自分はそれに見合うだけのレベルに達してるのだろうか」とも思うわけですよ。
現実世界でも、特に根拠もなく、居合わせた人たちやこれまでの縁で共闘する機会は少なくないです。
でもそんな機会に立ちあっても、自分自身の戦いから逃げてたら胸を張って戦いに参加できない。どんなに別世界に精通しようとも。

繰り返しですが、決して二次世界に(そしてスポーツや仕事やその他諸々に)熱中することは悪いことではない。
ディケイド兄とは逆に、自分の世界に引きこもっていたディケイド妹(変身しそうだ)もまた、違う意味でダメダメです。
線引きは非常に難しいけれど、どちらに逃避することもなく、自分自身の戦いが起こった時には、ちゃんとそれに向き合わないとダメだ。
そしてきちんと向き合うとき、必ず「彼ら」は助けに来てくれる。
逆に「彼ら」がピンチになってる時、必ず助けに行ける。

そんなことを強く思った映画でした。


(左画像)
劇場版仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー オリジナルサウンドトラック

(右画像)
決定版 劇場版 仮面ライダーディケイド オールライダー対大ショッカー超百科 (テレビマガジンデラックス 200)


【蛇足1:これも集大成】

もはや劇場版の真の主役:オロナミンC。
今回の登場シーンも、とても格好良かったです。
やっぱオロナミンCの兄貴が出てくると、「ライダー」映画は引き締まるな!

【蛇足2:たっくん】

私は「555」の信者なので、あえて書きたい。

歴代最強ライダーの話題になると必ず出てくるバイオライダー。
その液状化能力を打ち破ったのは我らの555でした。
彼の「相手を固定して撃ち抜く」キックの特性は、確かにバイオライダーに突き刺さります。
対カブト戦でも活躍したりと、555はジョーカーみたいな強さを誇るなぁ…。
これが仮に、バイオではなくロボライダー相手だと、普通にはじき返されそうなところもまた素敵。

ライダー全員集合の際、微妙に立ちポーズが遅れてたのも目立ってて可愛かったです。
たっくん555の特徴「片手をがしゃりと振る」をやるかどうかちょっと迷って、そのせいで出遅れました、みたいな感じ。
555はどうしてこうも癒しポジションなのだろう。

映画の帰りに、パンフレットはお約束として、衝動的にストラップも購入してしまいした。555の目当てで。
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ディケイド蛇足:ルーシーモードモンゴメリもハピネスハリケーンの悪夢を見てる

2009年07月23日 | アニメ・日曜朝 感想その他
数時間の差で早い者勝ちした。わぁい。

メタ解釈的「仮面ライダーディケイド」(ランゲージダイアリーさん)

読んで感じたことを私も書いてみる。

「ディケイド」さんにはメタ的側面を非常に強く感じます。
劇中で語られてることが、自分らの今の環境とひどくマッチするような気がするんですよ。
音也父さんの「このシリーズが最高なんだ!見ろ!」という押し付けも、鳴滝さんの「原典を一切汚すな変えるな続編もリメイクも認めん」も、長期シリーズものではよく見かけるもの。

そういう自分にとって大事な番組があること自体は良いことなんですけど、大事に思うあまり批判のための批判をするの良くないなぁと。
批判もテンプレ化して来ていて、酷いのになると「見るまでもなく駄作」「明らかにつまらない」「批判は作品のためだ。無条件で受け入れろ」等も珍しくありません。
逆に批判以外の感想もテンプレ化してしまって、コンテンツを物凄い勢いで食いつぶしていってる面もありますし。

で、最近はネットを見ててもそういったシリーズ毎の対立や批判・テンプレに辟易し始めてる人が増えて、反動が来てるように感じます。
そのタイミングで「ディケイド」のこの展開は絶妙だなと、勝手に感動してしまってる。
やっぱバンダイ様や東映様は凄いや。

私の場合「555」に一番思い入れがあって、単純なストーリー上の面白さ等々とは違う部分に格納されてます。
「ディケイド」の影響で、「555」劇場版を初めて見た時のことを思い出しましたけれど、熱かったなぁ…。
クソ暑い夏休み中に、自転車こいで映画館まで見に行って、感動したんで友人に連絡とって呼びつけて、そのまま2周目を見ました。
そういう思い出が「帰る場所」「原典」としてあるもんだから、ストーリーが変わったとか設定変更されたとか役者が違うとか、そんなもんではブレないです。
大喜びして受け入れられる。

ついでに書くと、その時の友人とは毎年ライダー映画を見に行くのが恒例行事になってます。
ちょうど盆の時期だし、プチ同窓会。
多分今年も行く。今の30代前後の層だと、こういう人も多いと思うんですよ。
私みたいなのの他にも、学生の頃に「ライダー」を見てて今はお子さんと見てる人とか。
「10年に一度のお祭り企画」ってのは、単に10周年という以外にも、こういうタイミング的な部分も大きいんじゃなかろうか。

ニチアサさん他、週末朝アニメが他コンテンツと比べて圧倒的に優位なことに、放送曜日と1年シリーズということがあるように思う。
繰り返しになりますけど、もはやお話それ自体だけでなく、見ていた当時の思い出とリンクしてる。
「週末の朝」なんてその時々の生活を如実に映します。嗚呼、そう言えばこの回の頃、休日出勤してたなぁとか。この回の後、どこそこに出かけたなぁとか。
1年できっちり区切りもつくので、益々その影響が顕著。例えば「ケロロ軍曹」も10周年ですが、あちらさんは毎年それほど内容が変わらないので、あまりこういう懐かしさ的なものがありません。
(逆に変わらない安心感という強みを持つので、総合的にどちらが優秀かということでもないですが)

前に「何でもディケイド化できる」「でも思い出や原典がある限り、破壊ではない」と書いたものの、こういうバックボーンがないと逆にディケイド化もできない気がする。
「ディケイド」がただのパロディではなく「ディケイド」として成立するための必須要件は、「テーマを抽出している」ことにあると思ってます。
取りたててテーマも何もない短期消費型のコンテンツだと、これが出来ない。
ということは定義から言って、「ディケイド」化できる話は決して「ディケイド」化によって「破壊」されないってことになるのかも。

で、もう一つ↓を読んで思った関係があるんだかないんだかなこと。

少女創作の二作目~ルイザ・メイ・オルコットはハピネスハリケーンの夢を見たか?~

私は「赤毛のアン」がベースの人なのでそれ基準で書くと、真面目に言って「プリキュア」さんは100年後には「赤毛のアン」と似たような立場にいるんじゃないかと思う。
たかがアニメで…という声もあるかもしれませんが、それを言ったら「赤毛のアン」もただの娯楽小説です。
別に御大層な文学小説として書かれたわけではない、ただのお遊びコンテンツ。それが今日までこうして残っているのだから、「プリキュア」さんだってそうなっておかしくないと思うんだ。

それと「赤毛のアン」も結構なシリーズが出ていて、シリーズ毎にファンの対立があったりします。
対立というか、第1巻「赤毛のアン」が強すぎてそれ以降の巻を蛇足と呼ぶ人が少なくない感じですけれど。
「好きなキャラは?」「マリラ!ブライスの方の!」が持ちネタの私としては肩身が狭い。

「赤毛のアン」は(事実上公式の)劇場版も作られました。
主演のミーガンさんは3000人のオーディションを文字通り血肉を削って生き残り、アン・シャーリーとしてしばらく生活して心身ともに改造しきった後に撮影開始という病的な苦行をする羽目に。
それくらい「原作」が重要視されてました。
ちなみに映画の続編は、何を間違ったかほとんどオリジナル展開に走ってしまい、各方面からバッシングの嵐。
原作に準拠してるかどうか以前に、色々問題のある映画ではありましたが、ファンの原作に対する拘りは半端じゃない。

何が言いたいかといえば、「赤毛のアン」時代から人気が出ればシリーズ化されてたし、そうなると各シリーズにコアなファンもつく。
迂闊に改編やメディア化するとオールドファンが大騒ぎするのも昔から同じ。
特に「公式」でそれをやることに拒否反応を示す人はかなり多い。「非公式」ならば「赤毛のアン」ミュージカル等々、幾らでもありますけれどね。
「同人誌は認める(というか気にしない)けど、公式での改編は不可」というのと同じ心理だと思う。

それを踏まえると、改めて「公式」で改編をやってる「ディケイド」は思い切ったことをしたなぁと。
大げさに言えば神話の時代からシリーズコンテンツは存在するわけですけど、その時代から今日にいたるまでこの手法は実行されてないんじゃなかろうか。
まぁグリム童話や太古の歴史書等々はそんなノリな気がしないでもないですけど、「原典」が公開情報の状態でやったのはなかなかない気がする。

ところでテーマさえ抜き出せば「ディケイド」になるのだから、「赤毛のアン」や「若草物語」でも「ディケイド」はできますね。

ディケイド姉:
 「…想像に浸る毎日は、現実から目を逸らしているだけなのかもしれない」
 「でも人はそうやって、辛い日々に小さな幸せを見出していくことができる」
 「そして曲がり角の向こうの景色を見るために、力強く歩いていくのよ!」
 「まだ失敗のない今日と明日を信じてね!」

 がしゃこん!

 『Rider of Arts ... Century!』

 ジャーラララジャーラララッジャーラララッジャーラララ、ラララッ♪


…しまった。また世界が浸食された。おのれ世界の破壊者め!
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仮面ライダーディケイド 第25話「外道ライダー、参る!」

2009年07月20日 | アニメ・日曜朝 感想その他
今年の夏休み商戦は賑やかで熱いです。
前々から偉い人たちが「ヒーロータイムの連携を強めていきたい」と株主総会等々でおっしゃっていましたが、本格的に実りだした気がする。
これが、組織力…!

■仮面ライダーディケイド 第25話「外道ライダー、参る!」

ディケイド兄さんがやってきた新しい世界、そこは「仮面ライダー」とは全く違う「シンケンジャー」の世界。
あまりにも違いすぎる世界だというのに、やってみたら意外としっくりコラボってしまいました。
そしてそれは、「シンケンジャー」の世界の破壊も意味していた。



鳴滝さん:
 「ディケイドに侵入された世界は破壊される」
 「既にライダーの浸食が始まっている」
 「ライダーなど全く不要だったはずのこの世界で、最初のライダーが現れてしまった」 
 「ディケイドのせいで…!」

「戦隊もの」として確かな世界観を持っていたはずの「シンケンジャー」なのに、「ディケイド」の世界と融合できてしまった。
すなわち、最早「原典」などというものが存在できない。
何でもかんでも、「ライダー」フォーマットで描写できてしまうのなら、オリジナルにどんな意味があるというのか。

けれどその懸念は、違う疑問で塗り替えされました。



夏みかんさん:
 「仮面ライダーがいたら…」
 「ディケイドがいたら、ダメなんですか?」

蜜柑娘のその発言は、とても重く響きます。

「シンケンジャー」と「仮面ライダー」の融合。もっと言えば旧来の「仮面ライダー」と「ディケイド」の融合。
かなりの思い切ったアプローチだったと思いますし反論もあったかと思いますが、冷静に考えてみるとこの疑問に当たります。
「シンケンジャー」の世界に、「仮面ライダー」がいて何が悪いのか。

今までのシリーズだって、単に描写されていなかっただけで同じ世界に戦隊やライダーが存在したのかもしれない。
それがたまたま合流したからって、何が問題なのか。
いやそれ以前に、異なる世界の異なる登場人物が共闘したからって、それは「世界の破壊」と悪しざまに言うようなことなのか。
だったら「新しい敵の出現」や「続編」だって「破壊」だし、二段変身や新アイテムによる世界の変化だって「破壊」じゃないか。
当初と異なる環境に置かれるという意味で、両者にさしたる違いはないはずです。

続く台詞も重いです。



ディケイド兄:
 「待ってる人間がいれば、そこが帰る場所だ」
 「這ってでも帰ってくるもんだろ、そういう場所」

仮面ライダーがいたからって悪いわけじゃない。
そうは言っても、何の土台もなく自由にやりすぎれば話が成立しないのも確かです。
じゃあその拠り所となる土台は何かと言えば、結局「原典」になる。
ここでいう「原典」は単なる「元の番組」という意味ではなく、それを見た当時の思い出や思い入れも含んだ広い意味での「原典」。
今まで長い間見てきた私たちにとっては、ただの「面白い話」だとかデータ的なことを越えたものを、その番組に対して抱いている。

察するに、それが「帰る場所」なんじゃなかろうか。
仮面ライダーが出ようと、if世界の展開になろうとも、「帰る世界=原典」があるのならそこに戻ることができる。
楽しくお祭り騒ぎをして、終わったら元の世界に戻って元の展開に立ち返れる。ファンはそこでずっと待ってる。原典もそこで待ってる。

「ディケイド」化に限らず、二次創作も続編も、全てそういう要素を持ってると思います。
原典が好きでリスペクトしているからこそ、改編や続編、パロディも安心して楽しめる。
だって帰る場所を、私たちは知ってるんだから。

「シンケンジャー」の世界は確かに侵食されたけれど、それで番組がダメになってしまったわけじゃない。
一つのエピソードとして、上手く取り込んでいってます。
次回からはまた安心して、いつもの世界に戻っていける。

「ディケイド」展開により、世界は変わってしまったし、そういう意味では「原典」も破壊されてしまったのかもしれない。
だけど少なくとも私たちファンの中にある「原典」への想いは変わらないし変えられない。
それが「帰る場所」たる不変の「原典」なのかなと思ってみた。
公式設定がいくら変遷しようとも、楽しんで番組を見た思い出は変わらないし、その思い出がある限り、どれだけ「ディケイド」化しても破壊されることはないのだろうと思う。

「シンケンジャーの世界」なんてネタ以外の何者にも思えないのに、こんなに考えさせられるとは思いませんでした。
平成ライダーの世界でお祭り騒ぎをしたあとなだけに、構成が上手いです。
自分たちの一喜一憂を、見事に取り込んで回答してくれてる気がする。

…で、当の「ディケイド」さんが悩むことになるんだろうか。

彼にとっては「原典」がない。「原典」は今まさに作ってる最中だけど、それは既に「ディケイド」化している。
だから過去もないし、記憶もない。原典がないんだから。
根なし草の旅を続けるしかなく、彼は「通りすがりの」仮面ライダーでいるしかない。

最後はどう落とすんだろう。
自分で自分たちの世界に行く展開はあってもおかしくないかもしれない。第1話はそんな感じだったような気がしますし。
今年のヒーロータイムはつくづく目が離せない。


(左画像)
Journey through the Decade

(右画像)
CAST-PRIX SPECIAL 侍戦隊 シンケンジャー 公式ヴィジュアルブック 五侍粋変化 (GLIDE MEDEIA MOOK 35)


【蛇足1】



夏みかんさん:
 「何ですかあれ!」

突如出現した巨大兵器を前に戦くライダーヒロインの図。
文化の違いを垣間見たようです。
彼女は「巨大ロボの存在しない世界」のヒロイン様。

【蛇足2】



桃緑寿司:
 「よっしゃ!」
青黄鍬:
 「よし!」

個々の戦闘で勝利し、歓声を上げる各チームが熱かった。
これが夏の劇場版と言われても納得できるスケールです。
テレビサイズでこれなら、劇場版はどんなことになるんだろう…?
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仮面ライダーディケイド 第24話「見参侍戦隊」

2009年07月12日 | アニメ・日曜朝 感想その他
正直に言って、これはやられたと思った。

■仮面ライダーディケイド 第24話「見参侍戦隊」

異なる世界を旅するディケイド兄さん。
既存の「仮面ライダー」の9つの世界は回り終わり、ついでに謎世界を2つも回り、今日は新しい世界へやってきました。
そこは「仮面ライダー」の存在しない世界。

すなわち。



「シンケンジャー」の世界でした。

今週は「シンケンジャー」さんはゴルフ中継でお休み。
そんな休日スケジュールを利用した、ニチアサヒーロータイムだからこそ出来たコラボレーション企画です。
素直に凄いと思った。

何が凄いって、きちんと話として成立しています。
この手のコラボ企画は得てしてただの蛇足回で終わりがちなものですが、「ディケイド」の根幹に関わる展開をさらりとやってのけている。
「シンケンジャー」はかなり強固な世界観を持つ戦隊番組です。
今までのシリーズの中でも確固たる設定を持っている。
それを上手く取り込み、「仮面ライダー&戦隊」の展開に全く違和感を覚えさせないのは凄い。

そして違和感がないことに、静かな恐怖を覚えた。



鳴滝さん:
 「侵食される…」
 「この世界もやはり、『ライダー』に」

やっと、鳴滝さんの懸念を理解した気がしました。
「シンケンジャー」ほどしっかりと作られた番組ですら、違和感なく「ディケイド」に取り込まれてしまう。
これが世界の破壊でなくてなんなのか。

この分だと、「プリキュア」の世界に「ディケイド」がやってくる展開も違和感なく受け入れてしまいそうです。
実写セーラームーンクラスの再現度の実写プリキュアと、ディケイド兄の共闘とか、ネタじゃなくマジであってもおかしくなさそう。
少なくとも私はそれくらいではもう驚かないですよ。それは「ありえる」の範疇になってしまった。

直接的に「ディケイド」が登場しなくても、「ディケイドプリキュア」は誰もが連想しました。
ていうか、実際にやった人も少なくありません。(私もやった。「ディケイドプリキュア」
ですが「ディケイド」登場前には、こういう方向性のリメイク&セルフパロディな話を考え付いた人はほとんどいなかった。

今までにもコラボ企画や全員集合ものはありましたが、ここまで大々的に改編をアリだとしたのは「ディケイド」が初に近いと思います。
それもただの改編じゃない。
「スパロボ」のような「同一世界に○○が同時存在していたら」でも、スターシステムのような全く別の世界観でも、単なる性格反転や「if世界」でもなく、「既存テーマはそのままでストーリーが違う」というのは斬新に感じました。
この手法は本気で強力だし魅力的。これがアリなら、今までのお話作りの概念が崩壊します。
もう何でも「ディケイド」化できる。まさに世界の破壊者。もう、昔の発想には戻れない。



鳴滝さん:
 「始まった」
 「やはりこの世界にも『ライダー』が生まれてしまった」

これは鳴滝さんが恐怖するのも当然です。
過去のコンテンツが崩壊するだけでなく、今後のコンテンツまで崩壊した。
何を作っても「ディケイド」化できるのなら、どんな新番組を見ても「これが本物唯一絶対の展開ではない」となる。

例えば今後毎年、新しい「仮面ライダー」シリーズが始まると同時に、「劇場版ディケイド - ○○の世界」をやれてしまう。
まだ番組が終わってないのに、ディケイド化。もはやどっちが本家かも分からない。
実際にはそういう映像が作られなかったとしても、私たちはそういう展開を連想できてしまうし、受け入れてしまえる。一度この発想を与えられてしまったら、もう戻れない。

他の例。私事ですが、上述の「ディケイドプリキュア」ネタを考えた時に、現在放送中の「フレッシュ」の世界もでっち上げてみました。
テーマとゴールは明白なのだから、番組が終わってなくても「ディケイド」ネタは作れてしまう。
もちろん途中の細々した展開は全く予想できませんが(そしてそれが楽しみなわけですが)、大筋は既にはっきりしてる。

ブレずにテーマを貫いてくれることには絶大な信頼があるシリーズですから、逆に最後が予想できるし、だったら「ディケイド」化できる。
で、なまじ「ディケイド」的にクライマックスをでっち上げてしまったら、何か既に完結したような気分になってしまいました。
だってテーマを抽出して、美味しい所だけまとめてしまったら、話が終わっちゃうじゃん!

無論、「本家本元」と私ごときが適当に考えた展開を比較するなんておこがましいにも程があります。当然、予想を外したりテーマを読み違えることもありえます。
ただ、現段階の自分の中での「最終回」は作れてしまう。
ストーリー予想は確実に外すだろうけど、テーマ上の最終回は近いものが作れるだろうし、「ディケイド」理論に則れば、それも立派に「フレッシュ」の世界になる。

正直なところ、ここ最近のパッション登場の大山場に上手くノリ切れてなかった部分があるのですが、この辺が影響してる気がする。
やばい。せっかくの楽しみどころが…。おのれ『世界の破壊者』め…。
(一応言い訳すると、「なかよし」版で内容を先行して見ていたから、というのもあります。あと夏バテ)

と、同時に。言うまでもなく、ここから色んな新しいものも生まれます。
実際に「ディケイドプリキュア」をこそこそ考えた身としても、このネタは魅力的すぎる。
考えてて面白いし、切り口を変えて同じテーマ・キャラクターを描写することで、新しい世界を表現できる。
番組が終わったらそこで終わりの使い捨てが多い中、再度命を吹き込まれ、動きだすのは大きな可能性を感じます。
旧シリーズの復活は素直に嬉しかったし、感動しました。しかも、これが「アリ」ならまだまだ続くこともできる。

これらを「破壊」と取るか、「創造」と取るか。恐ろしい番組だ「ディケイド」。


(左画像)
Journey through the Decade

(右画像)
CAST-PRIX SPECIAL 侍戦隊 シンケンジャー 公式ヴィジュアルブック 五侍粋変化 (GLIDE MEDEIA MOOK 35)


ヒーロータイムは毎年定期的にお休み回があります。
あんまり定期的にお休みなので、自棄になった人たちが好き放題に脳内感想を書き捨てまくるのが常になってます。
思えば私も、随分と駄文を書き連ねた。

で、今回はそれを本家本元にやられた気分。
お休みだからって好き放題に嘘番組を流しやがって…。
公式に全力で悪ふざけされたら、素人の立場がないじゃないか。もっとやってください。


【蛇足】

ディエンドフォームの「隙間」からナナシさんが沸いて出たのは妙に納得。隙間ばっかりですね、あのライダー…。

【蛇足2】

今日はピンクの人がいつも以上におめかししてた気がする。お茶目さんだ。
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仮面ライダーディケイド 第19話「終わる旅」

2009年06月02日 | アニメ・日曜朝 感想その他
ひとまず一区切り。

■仮面ライダーディケイド 第19話「終わる旅」

最後の「響鬼の世界」も巡り終わり、ディケイド兄さんの旅は一旦終りを迎えました。



(YouTube:10年間の大合奏)

対立する流派。師匠と弟子。全てが一体となっての大合奏。
これは…卑怯だ…。
「歌を忘れた生き物は滅びればいい」(こじまめ名言集より)を強く支持する私としては、こんなことやられたら投了するしかない。
「ぴっち」でも合唱&仲間パワーの演出はやっていたけど、歌は全員主旋だからなぁ…。
この演出は羨ましくてずるすぎる。

「響鬼」単体の演出もですけど、これを最後に持ってきたのも上手すぎます。
深読みというかベタな読みとしては、描かれていた流派の対立は、リメイク反対派やシリーズ毎のファン・アンチも意味してるんでしょうし、師弟協力は平成と昭和ライダーの共闘やら何やらも象徴してるんだろうと思う。
受け継ぐのは「仮面ライダー」の名前や基本設定じゃない。「仮面ライダー」という魂を受け継ぐことなんだ。

これで9つの過去シリーズは一通り全て終了。
個人的にちょっと微妙な世界もあるにはあったけど、全般に本編をくみ取りつつ、更に昇華させてるものばかりで異常なまでに面白かったです。
「ライダー」さんは毎年中だるみするのがネックだと思うのですけど(「ライダー」に限らず戦隊さんも「プリキュア」さんも)、短期決戦形式だとこんなに熱いのか。

ぶっちゃけのところ「ディケイド」の面白さは飛び道具みたいなものであって、他シリーズと単純比較するのはアンフェア。
とはいえ、その10年に一度しか打てない飛び道具を、完璧以上に撃ちこんでるのが凄い。
これは…20年後が楽しみだ…。


(左画像)
東映ヒーローMAX Vol.29 (タツミムック)

(右画像)
東映ヒロインMAX Vol.7 (タツミムック)


そしてこうも素敵なことを「ライダー」さんでやられてしまうと、否応がなしに「ディケイドプリキュア」への期待が高まります。
4年後の10周年にやるのか、10数年後の10シリーズ目でやるのかは分かりませんが、やりますよね?やらないわけがないですよね?
もうそれだけを楽しみに人生を歩んでいく所存。

(パラダイス・ロスト的展開の後)
キュアディケイド:
 「たとえ世界中の全ての夢と希望が潰えても…」
 「世界中の全ての人が絶望しても…」
 「彼女は決して諦めない」
 「それがみんなの夢と希望を背負うということだからよ!」
 「私?…通りすがりのプリキュアよ」

みたいな。
しかし「ディケイド」シリーズは幾らでも話が思いつきそうでいて、本編テーマを昇華しつつ、人気の小ネタや番組外ネタまで組み込もうと思うと、滅茶苦茶難しいですね…。
それをこなしてみせてる今年の「仮面ライダー」さんは、つくづく凄いと思う。
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