老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

歴史と歌と(4)(民衆運動と歌-2)

2020-10-03 11:17:31 | 社会問題
🔶添田唖蝉坊

壮士節も、川上音二郎のオッペケケ節も、憲法が制定され、自由民権運動が下火になるにつれ、一時の勢いを失っていた。その後を継いだのが、添田唖蝉坊。自由民権運動の活動家が歌う壮士節やオッペケケ節に影響を受け、この世界に入った。

唖蝉坊は、演歌から政治的主張を排除した純粋な演歌の道を目指して、自分自身で演歌の歌詞を書き、演奏した。いわば、明治の「シンガーソングライター」。彼が日本の「シンガーソングライター」のはしりと言われる所以である。

彼は、1905年(明38年)に知り合いの演歌師から依頼され、「ラッパ節」を作った。これが大流行。一躍有名人になった。ここから唖蝉坊の変身がはじまる。思想的には、平民社の堺利彦と知り合ったことが大きかった。唖蝉坊の歌は堺から大きな影響を受けた。

※ラッパ節
https://www.youtube.com/watch?v=wDRuiCn19HY&list=RDwDRuiCn19HY&start_radio=1&t=49
※社会党ラッパ節
https://www.youtube.com/watch?v=UxNNYxo6Lok
※足尾銅山ラッパ節
https://www.youtube.com/watch?v=FsNEr92rBD4&list=RDwDRuiCn19HY&index=6
※富の鎖 平民社社会主義の歌
https://www.youtube.com/watch?v=BwGZPjoLdqU&list=RDwDRuiCn19HY&index=14
※嗚呼革命は近づけり・・・添田唖蝉坊が一高寮歌(嗚呼玉杯に花受けて)の節で歌い有名になる
https://www.youtube.com/watch?v=tpGGbqjWWRk
※幸徳秋水を弔う革命家⇒この歌は添田唖蝉坊に直接関係ないが、上の歌をなぞっている。
https://www.youtube.com/watch?v=5xPiNLXp0Mc&list=RDtpGGbqjWWRk&index=2
※大杉栄追悼歌⇒この歌も上の歌と同じ。唖蝉坊と関係ないが、強く影響を受けている。
https://www.youtube.com/watch?v=SrqINqKsULg


🔶唖蝉坊の書いた労働歌

※あきらめ節 1906年 明治39年
https://www.youtube.com/watch?v=q7GsHYOZB7w
※ああ踏切番
https://www.youtube.com/watch?v=wxrBvU9D-8s
※解放節
https://www.youtube.com/watch?v=jmOsY6PIeY4&list=RDwxrBvU9D-8s&index=9
※貧乏小唄(船頭小唄の節で)
https://www.youtube.com/watch?v=aBmJzbpmg60&list=RDwxrBvU9D-8s&index=12
※労働問題の歌 この歌に掲載されている写真が見もの。堺利彦、竹久夢二、中里介山などが写っている。
https://www.youtube.com/watch?v=yC8UHtH1YuU&list=RDwxrBvU9D-8s&index=21
※新トンヤレ節
https://www.youtube.com/watch?v=XLf6eAxAZw8&list=RDwxrBvU9D-8s&index=15
※浮草
https://www.youtube.com/watch?v=4WEWiAprRa8&list=RDwxrBvU9D-8s&index=28
※四季の歌
https://www.youtube.com/watch?v=dRr-jW80Xj0
※地震小唄(船頭小唄の替え歌)
https://www.youtube.com/watch?v=EYESAQNsxuM&list=RDwxrBvU9D-8s&index=30
※デカンショ節
https://www.youtube.com/watch?v=SwtX8baSvag&list=RDwxrBvU9D-8s&index=38
※新ノーエ節
https://www.youtube.com/watch?v=qc8khSe_gyo

彼の関係した歌の一部を紹介したが、ファッショ体制下の厳しい思想統制時代(特に労働運動、社会主義運動)をきわめて洒脱に、時には笑い飛ばし、時には真正面から、時には斜めから洒落のめし、批判しながら、生き抜いてきた。1930年に引退するまで、唖蝉坊は、183の曲を残したと言われている。

彼の後は、息子添田知道が継いだが、添田唖蝉坊の碑は、浅草、浅草寺の鐘楼下に添田知道筆塚と共にある。

わたしは巨大な権力との戦いには、がっぷり4つに組んでは駄目。土俵一杯走り回り、飛び回って、スキを見つけてはけたぐりをしたり、足を取ったり、引き技をしたりと相手の力を利用した戦いをしなければ生き残れないと思っている。

レーニンの言葉に、「一歩前進、二歩後退」というのがある。戦前の日本のような巨大なファッショ的国家体制に戦いを挑むには、はた目には“後退”と見えても、最優先課題は生き残る事、という柔軟な戦術がいる。

添田亜蝉坊の戦いは、文字通り、歌を武器に攻めたり、引いたりの頭脳的な戦いだった。彼の一生は、見事なまでの強権的権力との戦いの一生だった、と思う。歌を武器に最後まで一歩も引かずに戦い抜いた一生だった。

🔶歴史と歌の結語

以前にも指摘したが、“歌は世につれ 世は歌につれ”というものはない。“歌は世につれ”以外ない。しかし、フォークゲリラが全共闘運動に共鳴する若者を育てたように、世の中を主導する歌を生み出した反体制運動は強い。

幕末の“ええじゃないか運動”のように、大衆を狂奔させるエネルギーを生み出す場合もある。明治維新を成功させた薩長軍は、“宮さん、宮さん”の歌とともに、江戸へ進撃した。これもまた明治維新成立の大きな要因の一つになった。

ちなみに“宮さん、宮さん”は、長州藩の品川弥二郎が作詞、大村益次郎作曲とされている。
https://www.youtube.com/watch?v=DVc-UNU48g0
 ※品川弥二郎 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/100.html?c=0
 ※大村益次郎 https://sites.google.com/site/hagijinbutsu/list/6
 ※司馬遼太郎の「花神」は、大村益次郎を描いた小説である。
  ※花神 https://bookmeter.com/books/7110552


つまり、時代の“歌”を制すると言う事は、時代の気分を制する事につながる。“ええじゃないか、ええじゃないか”の気分が時代を制するのである。

一強他弱と呼ばれた安倍政権時代、野党は時代の“気分”を制する事ができなかった。しかし、政権側も時代の気分を制するような“歌”を生み出していない。

野党が菅政権に注意しなくてはならないのは、菅政権の中枢は電通だ、という事である。“電通”が中枢に位置すると言う事は、“時代の気分”を制される可能性が高い。“野党”は意図的に“時代の気分”を制する歌などを積極的に創造する事に力を傾注する必要がある。

民主党が政権を握った時には、“コンクリートから人へ”とか“国民の生活が第一”などという時代の気分を捉えた“キャッチコピー”があった。選挙もそうだし、大衆運動もそうだが、自分たちが主導権を握った“歌”や“キャッチコピー”をどう生み出すかが、成功するかどうかの大きな鍵を握っている。ただただ真面目にスローガンを掲げ、真面目に訴えれば良し、とする選挙や運動は成功しない。

時代を捉えた“理論”と“気分”の双方を持たなければ運動は成功しない。歴史と歌の関係を考察してきたわたしの結論である。

「護憲+BBS」「明日へのビタミン!ちょっといい映画・本・音楽・美術」より
流水
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