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老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

再び映画「あんのこと」について

2024-09-14 11:18:42 | 社会問題
私はこの映画についてコラムに投稿したが、未だ書きたり無い事があったので書き足しておきたいと思う。

「あんのこと」という題名。
主人公は杏という名前なのに、何故平仮名の「あん」なのか。
これは私なりの解釈なのだが、映画の中で杏の生活に希望が見え始めた頃、彼女は一冊の可愛いノートを買った。
ノートに薬物に手を出さなった日は◯を付けその◯が次第に増えて行った。
このノートを買ったのは夜間中学で学び始めた時だったので、杏という字が書けなかったのではないか。
だからノートの最初に「あんのこと」と記されていたのではないか。
それが杏という一人の女性の半生を辿る映画になった。

もう一つ「誰か一人でも手を差し伸べる人が居たら」と私は 投稿文で書いたが、手を差し伸べる人達はいたのである。
結果として行き違いがあったり、それが杏の居場所を無くす事になってしまったが。 

コロナ禍がなかったら杏は居場所を無くす事はなかったのだろうか。
「サルベージ」という自助グループは閉鎖になっても、職場や夜間中学は未だ続いていた筈である。

多田羅という刑事と桐野というジャーナリスト。
人は誰かに手を差し伸べたられたとしても、その手が汚れていたら素直に縋る事が出来るだろうか。
多田羅の行為は結果として杏を傷付け居場所を奪ってしまった。
桐野は多田羅の告発記事を書く為に潜伏取材をしていたのだろうか。
それだけではない筈、杏の就職先を紹介したのは桐野だったのだから。

最後に二人は杏を思い、泣く。
多田羅のした事は悪い事だった。
その彼が一時であれ杏に希望を与えた。

この映画は観た私の中に棘の様な何かを残した。
それは少女を救う事が出なかった悔しさなのか、私には分からない。
曖昧なままの疑問を残した映画だった。
ただ、言えることは、私の隣に杏がいたかもしれないと、 そして今もいるのかもしれないと思ったことだった。

「護憲+BBS」「コラムの感想」より
パンドラ


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