老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

言葉の意味が分かっているのだろうか

2015-02-16 22:05:58 | 自民党政治
世の中、へー こんな地位・立場にある方がよくもマアってことに馴れさせられて久しいように思うこのごろだが、どうもこれだけはというのをいくつか。

新しい順(?)に言えば、まずはこれ。

渋谷区が、同性カップルに存在証明のようなものを発行することにしたのについての区長の談話(断片的なツマミ食いのような報道で、全体を捉えているかどうかについては、いささか心もとないが)。「こういう措置を執ってくれるということが知られれば区の人口増にもつながる。」

エッ、そんな認識?。個体の増加は、確かに絶対数の増加ではある。しかし、それで終わり。今言われている人口問題は、ゼロ歳児が年々減少している問題。同性カップルはいくら増えてもそれでお終い。

次は事例に事欠かないことながら、大臣が違法献金を受けたことについての釈明。「判った時点で返したから問題ない。」ソォー、それじゃおよそ刑法犯のほとんどは無駄な裁判でもろもろを無駄にしているということね。ごめんなさい、お返ししますを筆頭にほとんどは水に流され、綺麗になる。

以下の二つは、最も深刻。

一つは、「私は全責任者だ。全ての責任は私にある。」人はミス・過ちをしないことを最大の留意点として事にあたる。不具合が生じたということは、取りも直さず、それが全うされていなかったということ。そこで、その影響の大小により責任の取り方が問われる。頭をペコリで済まされるのは、よほどの軽度である。自分一人の手に負えないこと(世の中、ほとんどがこれ)は人手を借りて成し遂げる。それが一つ一つ積み上がって物事は完成する。ネジ一つ留めることをしなくても、ことによっては最高責任者が責任を取ること 多々である。「全責任者」と嘯くあなた。「責任の取り方」を心得ての物言いなのだろうか。

もう一つは、「この稼業」と嘯くあなた。いくら身内同然の集まりでの発言とは言え 如何なものか。「稼業」とは、「消費する分のお金を稼ぐ」ということ。「政治」という場は、金を稼ぐための場なのか。負託を受け、代議することに身命を奉げてくださることに対する「謝礼」として、なにがしかを戴いているの気持ちが伝わって来ること皆無の発言というべきであろう。

重箱の隅突きで、意気も上がらぬままに。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
百山

=====

よくぞ言ってくれました!私も昨今の権力者、とりわけ安倍首相とその取り巻きによる詐欺師的言葉遣いに、言葉にしたくないほどの不快感を持ち、それがまかり通るモラル崩壊の空気に強い危惧を覚えています。

>大臣が違法献金を受けたことについての釈明。「判った時点で返したから問題ない。」 ソォー、それじゃおよそ刑法犯のほとんどは無駄な裁判でもろもろを無駄にしているということね。

違法献金だけでなく、差別主義者と閣僚との濃密な関係も、NHK会長を始めとする社会常識を平然と覆す発言も、全て「問題ない」と話を打ち切る「問題ないオバケ」こと、菅官房長官。権力維持、自己防衛の煙幕で、国内を視界不良にしたまま、飛行を続けていて大丈夫なんですか?日本の外からは、政権の迷走振りが丸見えですよ!

>私は全責任者だ。全ての責任は私にある。」・・「全責任者」と嘯くあなた。「責任の取り方」を心得ての物言いなのだろうか。 

安倍首相が「最高責任者」と言うのは、意識の上では「最高権力者」ということなんですね。「責任をとる」とは、すなわち「権力者である自分の思い通りにする」ということで、気分はもはや‘独裁者’。世間の皆さんはよくこれを看過できると不思議です。

>「この稼業」と嘯くあなた。「稼業」とは、「消費する分のお金を稼ぐ」ということ。「政治」という場は、金を稼ぐための場なのか。

「選挙ほど楽しいものはない♪」・・・ですか。多額の税金を使って、自分達の都合に合わせて選挙をやって、野党のヤツラの虚をついてやったぜ~、政治家は~気楽な稼業ときたもんだ、、、なんですかね。

ついでに付け加えると、「丁寧にご説明して」の言葉にも「???」を感じます。彼等の言う「丁寧に」とは「・・・と思うわけでございます。」など、「ございます」という丁寧な言葉遣いで、自分達のやりたいことを押し付けることなのでしょうか?!

シャレにならない傍若無人ぶりに、夜な夜なうなされる日々。こんなことを許し続けていて、日本は大丈夫なのか。本当に何とかならないものでしょうか。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
笹井明子
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平和はいつの日?

2015-02-16 17:00:31 | 戦争・平和
些事も些事、書き込むことも憚られる些末なことながら、旧臘まだ浅い頃、もうこの一年も~の感傷を引きちぎるように、天井の片隅から昔懐かしい物音が聞こえ始めた。

やや! である。遥か昔に聞いた物音。どこから入り込んできたのか。思い巡らしても、そのような特別通路を設けた覚えもなし、簡単に入り込めるような造りでもあるまいに を尻目に、日一日と傍若無人ぶりは増し、寝静まった頃合いには室内にもご降臨の印を残すまでになった。間もなく飾り付けるお鏡も、人形の住まいを拝借せねばの状態。ままよと粘着物でからめとる仕掛けを置いたところ、見事連夜の成果と相成った。

ここからが驚きである。物音一つしなくなった。連夜の成果ながら、まだまだの余韻が一両日続いていたのに、である。総員点呼とか危険予知能力とか。そんなものを備えているはずもなかろうに、を裏返しにしての「驚き」である。

翻って、霊長類の最右翼に坐すと自認の「ヒト」の世界はどうであろう。
 
かつては己の拳、やがてはささやかな道具を考案しての「力」の誇示。有史以来、人の上に立つを生を受けての使命・目的とするがごとき歴史を飽くことなく綴り来たって、いまだなお止まらず。用いる「道具」は「必要の母」に援けられ、これまた、とどまることのない進歩(?)。他のそれを上回ることに心血を注ぐ。近時は、一滴も血を流さずにの神の御心を具現しての「無人化」に励むが、相手も座している筈もなしで、これまた開発合戦の繰り返し。

愚かなことではある。わが身は自分で守るの二丁拳銃時代の意識から抜けきれない大国やら、停戦協議の仲介役が、一皮めくれば、兵器の輸出大国であったりなどなど。繰り返し放映される「国」を名乗るテロ集団が手に手に持つ武器。百人力を得たような様をなんと見るのか。

「核兵器・生物、化学兵器」の非人道は言うまでもないが、通常兵器といえども、その実は五十歩百歩となぜ気づかないのか。

邪魔になる「平和憲法」をなんとかすれば、もっとおおっぴらに武器輸出もできるのにという下心が見え見えのどっかの国。口は重宝というが、「平和主義」を言うなら「軍備縮小」を前面に掲げてのものであって欲しい。

「チュウ族」ですら備えていそうな「危険回避能力」。「ヒト」がその座に相応しい能力を発揮してこの星を「平和の楽園」とするのは、あと何年先になるのでしょうか。

「護憲+コラム」より
百山
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