介護が必要になった者に保健医療サービスや福祉サービス・給付を行うために、1997年(平成9年)12月17日に公布、2000年(平成12年)4月1日に施行された介護保険法。…介護する家族の負担を軽減し、社会全体で介護を支える新しい仕組みとして誕生した介護保険制度。
施行当時、主権者、国民全般が大歓迎、大いなる期待を集めて、発足したものだった。今日の急速な高齢化社会(人口動態)も予測でき、高齢者や障害者も、身近にいる、感じる、そんな状況だった。政府は、従来の健康保険法等での対応では、財政が破綻するとばかりの状況判断だったのかもしれぬが…。
実は、私の父も、当時既に脳内出血で障害の残る障害者で、高血圧などの治療を受けていた。今では想像も出来ない位、家族も、介護業者も、介護を志す人々も、将来への、未来への篤い希望と期待を持って始まったものだった。どう言えばこの国民的高揚を表現できるのか苦労するくらいの、熱風が渦巻いていた。
例えば、父・母(後に障害者)、言えば「家」を担当した優秀なヘルパーさん、大田黒さん、杠(ゆずりは)さんらは、能力も高く、意欲横溢した、ススンデ家事を引き受ける、篤い従事者だった。
当時も、時給・対価も良くない、交通費も出ない、そうした劣悪な環境であったように記憶する。この国民的高揚をススンデ活用し、福祉・介護・医療の分野を一大産業化していたら、どんなに良かったかと思わずにはいられない。政府はこれを見事に裏切った。劣悪な職場環境に貶めた。
現在も、基本、これと変わりない。僅かな待遇改善もあるかも知れぬが、その将来が、平均給与が、一般より月10万円も低く固定される、劣悪な職場の侭だとは、予想、想像すらも出来なかった。期待感が、誰彼と言わずあったように思う。
この劣悪な環境、職場の元・根源は、政府の、手当を安価に抑える公定価格制度(最近では、逆で、時給に合わせたサービスを目指すかのよう)にある。自由、競争を許さぬ政府(財政)の姿勢である。
その後、『税と社会保障の一体改革』と称して、実行中の、政府による、社会保障(給付・手当)の抑制である。他方では、違憲立法し、戦争法を強行、その施策を着々と進めながら。憲法違反の安倍政権の下、こちらには、歯止め、抑制が効かないようである。
主権者、国民の希とは相反する、安倍コベ政策! 民主主義、法の支配、主権者の地位をも脅かしかねない政府とその手法、言動。極めて遺憾な事態というほかない。
序でに、言えば、最高裁が、法の支配の管理者として、法に則り、その管理権限を示すか疑問無しとしない中、遂には、主権者の出番となり、主権者のみの許される権能・権限をふるい、その権利、人権を行使し、人権も、定めた最高法規=日本国憲法も、明記された人権も護る為、自覚的に、その意思を実現、実行しようと迫られているのかも知れないと思う、今日この頃。主権者としての立場に思いを致そう! 主権者の皆様、各位。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mmasuda/ronbun/0901_shuugiinn.html
介護保険制度をめぐる現状と課題 - Biglobe
>はじめに
介護保険制度が2000年4月に実施されてから本年(2008年)で9年目に入った。
2000年の実施の頃を振り返ると、保険者である市町村関係者や被保険者となった高齢者やその家族、サービス提供事業者である医療・福祉関係者、新たに事業主負担を求められた経済界、制度創設に批判的な人も多かった研究者など、介護保険制度は全国民的な関心事であった。新聞紙上では、実施に向けてのカウントダウンが始まり、毎日、関連の記事が掲載された。関係者は不安と期待をもって4月1日を迎えた。
厚生省(現在の厚生労働省)では、施行前日の3月31日に省内組織である介護保険制度実施推進本部の会議を開催し、実施に当たっての最終確認を行い、市町村からの緊急連絡に即応できる窓口を設置して施行日を迎えた。4月1日午前零時、深夜訪問のホームヘルパーが訪問介護事業所から要介護者宅へ向けて出発した。同日の午前中には、小渕恵三首相(当時)が丹羽雄哉厚生大臣(当時)とともに都内の特別養護老人ホームを視察した。介護保険制度の実施は一大イベントであった。
当時、介護保険制度は、「20世紀最後の大事業」あるいは「介護革命」などと呼ばれたように、社会保障分野のみならず国民生活に一大変革をもたらすものとして、大きな「期待」と「高揚感」をもって迎えられた。
あれから丸8年が経過した。残念ながら現在では、介護保険制度への期待は色あせたかのように見える。増大する保険財政から将来の持続可能性が疑問視されている。2005年の制度改正によって介護サービスを利用しにくくなったという声が聞かれる。「仕事のわりに給与が低い」という評価が定着して事業者は介護従事者の人手不足に苦慮している。2007年には民間最大手の訪問介護事業者が不正行為等から介護事業分野からの撤退を余儀なくされた。
なぜこのような事態に陥ってしまったのだろうか。この小論では、施行から今日までの介護保険制度の実施状況を踏まえて、その「光」と「影」を浮き彫りにし、今後の方向性を考察する。
(以下略)
☆ご参考
http://news.kaigonohonne.com/article/305
介護で今なにが起きているのか?介護職の賃金・待遇改善の動き まとめ【2015年3月版】
>介護業界の中で最大の課題である介護職の賃金・待遇
http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/kentou/15kourei/3.html
「2015年の高齢者介護」 - 厚生労働省
http://www.kaigonw.ne.jp/topics/2005_10_28_1topics.html
介護トピックス:介護情報ネットワーク
「護憲+コラム」より
蔵龍隠士
施行当時、主権者、国民全般が大歓迎、大いなる期待を集めて、発足したものだった。今日の急速な高齢化社会(人口動態)も予測でき、高齢者や障害者も、身近にいる、感じる、そんな状況だった。政府は、従来の健康保険法等での対応では、財政が破綻するとばかりの状況判断だったのかもしれぬが…。
実は、私の父も、当時既に脳内出血で障害の残る障害者で、高血圧などの治療を受けていた。今では想像も出来ない位、家族も、介護業者も、介護を志す人々も、将来への、未来への篤い希望と期待を持って始まったものだった。どう言えばこの国民的高揚を表現できるのか苦労するくらいの、熱風が渦巻いていた。
例えば、父・母(後に障害者)、言えば「家」を担当した優秀なヘルパーさん、大田黒さん、杠(ゆずりは)さんらは、能力も高く、意欲横溢した、ススンデ家事を引き受ける、篤い従事者だった。
当時も、時給・対価も良くない、交通費も出ない、そうした劣悪な環境であったように記憶する。この国民的高揚をススンデ活用し、福祉・介護・医療の分野を一大産業化していたら、どんなに良かったかと思わずにはいられない。政府はこれを見事に裏切った。劣悪な職場環境に貶めた。
現在も、基本、これと変わりない。僅かな待遇改善もあるかも知れぬが、その将来が、平均給与が、一般より月10万円も低く固定される、劣悪な職場の侭だとは、予想、想像すらも出来なかった。期待感が、誰彼と言わずあったように思う。
この劣悪な環境、職場の元・根源は、政府の、手当を安価に抑える公定価格制度(最近では、逆で、時給に合わせたサービスを目指すかのよう)にある。自由、競争を許さぬ政府(財政)の姿勢である。
その後、『税と社会保障の一体改革』と称して、実行中の、政府による、社会保障(給付・手当)の抑制である。他方では、違憲立法し、戦争法を強行、その施策を着々と進めながら。憲法違反の安倍政権の下、こちらには、歯止め、抑制が効かないようである。
主権者、国民の希とは相反する、安倍コベ政策! 民主主義、法の支配、主権者の地位をも脅かしかねない政府とその手法、言動。極めて遺憾な事態というほかない。
序でに、言えば、最高裁が、法の支配の管理者として、法に則り、その管理権限を示すか疑問無しとしない中、遂には、主権者の出番となり、主権者のみの許される権能・権限をふるい、その権利、人権を行使し、人権も、定めた最高法規=日本国憲法も、明記された人権も護る為、自覚的に、その意思を実現、実行しようと迫られているのかも知れないと思う、今日この頃。主権者としての立場に思いを致そう! 主権者の皆様、各位。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~mmasuda/ronbun/0901_shuugiinn.html
介護保険制度をめぐる現状と課題 - Biglobe
>はじめに
介護保険制度が2000年4月に実施されてから本年(2008年)で9年目に入った。
2000年の実施の頃を振り返ると、保険者である市町村関係者や被保険者となった高齢者やその家族、サービス提供事業者である医療・福祉関係者、新たに事業主負担を求められた経済界、制度創設に批判的な人も多かった研究者など、介護保険制度は全国民的な関心事であった。新聞紙上では、実施に向けてのカウントダウンが始まり、毎日、関連の記事が掲載された。関係者は不安と期待をもって4月1日を迎えた。
厚生省(現在の厚生労働省)では、施行前日の3月31日に省内組織である介護保険制度実施推進本部の会議を開催し、実施に当たっての最終確認を行い、市町村からの緊急連絡に即応できる窓口を設置して施行日を迎えた。4月1日午前零時、深夜訪問のホームヘルパーが訪問介護事業所から要介護者宅へ向けて出発した。同日の午前中には、小渕恵三首相(当時)が丹羽雄哉厚生大臣(当時)とともに都内の特別養護老人ホームを視察した。介護保険制度の実施は一大イベントであった。
当時、介護保険制度は、「20世紀最後の大事業」あるいは「介護革命」などと呼ばれたように、社会保障分野のみならず国民生活に一大変革をもたらすものとして、大きな「期待」と「高揚感」をもって迎えられた。
あれから丸8年が経過した。残念ながら現在では、介護保険制度への期待は色あせたかのように見える。増大する保険財政から将来の持続可能性が疑問視されている。2005年の制度改正によって介護サービスを利用しにくくなったという声が聞かれる。「仕事のわりに給与が低い」という評価が定着して事業者は介護従事者の人手不足に苦慮している。2007年には民間最大手の訪問介護事業者が不正行為等から介護事業分野からの撤退を余儀なくされた。
なぜこのような事態に陥ってしまったのだろうか。この小論では、施行から今日までの介護保険制度の実施状況を踏まえて、その「光」と「影」を浮き彫りにし、今後の方向性を考察する。
(以下略)
☆ご参考
http://news.kaigonohonne.com/article/305
介護で今なにが起きているのか?介護職の賃金・待遇改善の動き まとめ【2015年3月版】
>介護業界の中で最大の課題である介護職の賃金・待遇
http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/kentou/15kourei/3.html
「2015年の高齢者介護」 - 厚生労働省
http://www.kaigonw.ne.jp/topics/2005_10_28_1topics.html
介護トピックス:介護情報ネットワーク
「護憲+コラム」より
蔵龍隠士
