だめな高校は公立、私立とも退場してもらう――。大阪府の橋下徹知事の高校改革が今春、本格的に始まる。公私間の授業料格差を無くすため、府の私立助成を大幅に拡充。公私で生徒の獲得を競わせる。また、芸術やスポーツなどの分野で成果を上げた公立に助成金を約束するなど、公立同士の競争も後押しする。知事がこだわる「競争原理」は、大阪の教育の質を向上させられるのか。
(中略)
助成拡充の一方で、橋下知事は記者会見や議会で「競争を重視する制度の中では、経営的に成り立たない学校は倒れても仕方ない」と、クギを刺す。
(中略)
「『切磋琢磨(せっさたくま)』は『競争』と同義語。公立と私立で切磋琢磨して、授業内容も経営内容も上を目指してもらいたい」(3月1日、府議会)
「私立より怠けている公立ありますよ、いっぱい。だって倒産がないですから。だめな公立には退場してもらう」(2月1日、大阪私学保護者の集い)
「公立は税金が入ってくるので、倒れることがない。でも、勝ち負けのライン、公立撤退というルールはきちんとつくらないといけない」(2月2日、報道各社のインタビュー)
助成金を増やすのは良いのですが、その一方で随分と無茶なことも言っているようですね。まぁ「競争」の方は程度次第になるところもありますからこの場は留保するとして、では「経営」の方はどうでしょうか。これが営利企業であれば優良企業=経営に成功している企業と考えられますが、学校の場合はどうでしょうか? いかに教育内容に秀でていたとしても、それが直接的に学校へ金銭的な利益をもたらすわけではありません。教育の質は高いが経営状態は思わしくない学校もあれば、教育の質は低いが経営状態はすこぶる健全な学校もあるでしょう。学校法人として収益を高めることが高校の目的であるなら、「経営」を含めた競争原理の導入は理に適ったことと言えますが……
橋下理論では「倒産がないから」「怠けている」ということのようです。本当にそうでしょうか? むしろ反対に「倒産がないから」「思い切ったことができる」部分もあるはずです。これが仮に倒産の可能性が出てくるとしたらどうなるでしょうか? 教育の質は二の次、まずは運転資金の確保が優先ということにもなりかねません。教育に金を掛けるよりも、いかに低コストで多くの学生を集めるか――そういう方向にバイアスがかかっていくことでしょう。むしろ倒産の心配をなくして、人材を育てるためなら金銭に糸目を付けないぐらいの環境を整えた方が良いように思われます。人を育てることが目的であるならば。
府南部の府立高校校長は「全国1位など、脚光を浴びる生徒はごく一部。(学力的に)しんどい生徒を底上げすることが大阪全体の活性化につながるはずなのに、そういう努力をした高校が評価される仕組みになっていない」と指摘する。
(中略)
「東アジアの子どもは必死になって勉強している。国際社会は食うか食われるかの激烈な競争。日本が子どもを甘やかしていたら、仕事がどんどんなくなってしまいますよ。英数国理社だけじゃなくて、手に職をつけることでもいいし、体育でも芸術でも何でもいい。僕はもう絶対、どんなことがあっても子どもたちを競争させて、仕事ができるだけの能力を身につけさせる」(3月3日、府議会)
上段は「府南部の府立高校校長」の発言で、この人は所謂「一億総中流」的な考え方と相性が良さそうです。トップを鍛えるよりも底上げが重要、特色云々よりも「普通」の子を育てていくのに向いているでしょう。誰もがそれなりに教育を受けることで、誰もがそれなりに豊かな社会に近づきます。一方で後段は橋下の発言ですが、こちらはどうでしょうか。橋下の言う「体育や芸術」が仕事に結びつくのは本当に一握りのトップエリートだけで、むしろ芸術なんか早い段階で諦めさせた方が仕事には近づくような気もします(それで本人が幸せになれるかはさておき)。
「日本が子どもを甘やかしていたら、仕事がどんどんなくなってしまいますよ」とのことですが、求職する側がどうあろうとも仕事の口が増減することはないはずです。仕事があるか無いか、それは国内景気の問題であり、雇用者側の一存次第ですから。子供がどれだけ甘やかされようと、国内企業が求人を増やせば仕事は増えますし、逆に採用を止めれば仕事はなくなる、そういうものです。あり得るとしたらそれは、「日本が子どもを甘やかしていたら、企業の求める社畜の数が足りなくなる」ことでしょうね。低賃金労働依存の産業を維持し続けるためには、低賃金でも従順に働いてくれる人間を必要とします。でも少子化の中で恐るべき子供達ばかりが育てば、いずれ社畜が足りなくなってしまう、だから早い段階で子供をしっかり矯正しておかねばと、経営目線で考えればそういうことになるのでしょう。
順番が前後しますが「東アジアの子どもは必死になって勉強している」と、要するに東アジアが競争相手として念頭に置かれている点にも注意が必要です。では日本よりも豊かな国、欧米の子供達はどうなのでしょうか? 東アジア諸国以外との比較はあまり話題になりませんが、こちらで見た限り、日本より豊かな国の子供は家ではあまり勉強しない、逆に日本より貧しい国の子供は勉強熱心と見ることが出来そうです。どうも私には、日本が欧米型の社会ではなく東アジア型の社会を目指しているのように思えてなりません。日本より豊かな国ではなく、日本より貧しい国を目指しているわけです。先進国型の社会を作って豊かになることよりも、貧しくなる=人件費が安くなることで東アジア諸国に対抗しよう、そういう考え方が主流なのではないでしょうか。だから橋下も欧米/日本より豊かな国ではなく、東アジア/日本よりも貧しい国に目を向けるわけです。
即物的な勝ち負けや安直な比較で手っ取り早く優位に立とうとする嗅覚の鋭さはさすがと言うか何と言うか。
まあ逆に言えば、ただそれだけの人間でしかないということの裏返しでもあるのですが。
あと、「平均的」(という単語は曖昧につかっていますが)な学校におけるカリキュラムとしては、理科では物理の力学分野をおおくの人に理解してもらい、さらに社会科では「日本」史という教科を廃止して現代社会を必須にし、さらに金融業の肥大化に対抗するために『ファイナンス基礎』(金融知力普及協会)をつかった金融の授業をくわえるべきだとおもいます。
あと、東アジアが競争相手の件ですが、まあただ単に「自分たちよりも苦しくとも頑張っている人たちがいるんだから、わがまま言うな。」ということではないでしょうか。いずれにしろ経営者目線のひどい発言ですけど。
懲戒請求騒動のときみたく、他人にけしかけておいて、自分は「面倒くさいからやらなかった」なんてオチにならなきゃいいですね。
切捨てや異様に勝ち負けや強い弱いに拘る姿勢がみられます。
こういう小泉的価値観はどこかで根絶しないととんでもない災いを招くと思います。
既に手遅れかもしれませんが。
芸術への助成金をカットしておきながら「芸術でも何でもいい」ですから、まぁ無責任としか言いようがないですよね。自分で椅子を減らしておきながら努力しろと迫るようなものです。
>ポールさん
今回のもたぶん、有権者へのウケは悪くないのでしょうね。その辺の嗅覚は大したものですが、教育水準を引き上げるだけの政治力となると、たぶん正反対のような気がしますけれど。
>貝枝五郎さん
まぁ彼の頭の中には、彼にとって都合の良い人しか存在しないのでしょう。そして橋下の想像力の外にいる人間のことなど無視されたまま、と。
>まりさん
千葉も神奈川も埼玉も微妙ですし、名古屋も負けちゃいませんね。まぁ全国的な傾向ですから。
>GXさん
学生がどう努力しようが、それで採用数が増えるワケじゃありませんからね。まぁ需要がなくとも経営努力で何とかしたがる企業のごとく、求人がなくても学生側に責任を押しつけようというのがトレンドでもあるのでしょう。
>バサラさん
ある意味、裁判員のように「高みから/安全なところから」裁く感じとも言えるでしょうか。「自分は悪くない」と居丈高に構えているわけですが、そういう輩がまた問題だったり……
>コンポコさん
まぁ、そういうものを好む気風が小泉を生み、橋下を生んだのかも知れません。国民自身が変らない限り、その筋の政治家しか選挙で勝てない、悪循環が続きそうです。
>凡人69号さん
そうした多様な価値観、判断基準を尊重しないところに橋下の人気の秘密がありそうです。これもある種の「一元化」と言うべきでしょうか、異なる立場に配慮すると依怙贔屓みたいに言われることも多いですから。
人格否定とかレイシズムに基づかなければ、「教育方針は、学校のやりたいようにさせろよ」と思います。
「教科書だって学校の自由にできれば」と思います。
体育や芸術で一流になれるかは、「僅かな可能性に賭ける」という感じです。「裏方さんの仕事でも生活の糧としてはどうだろうか」というのがあります。自分が親ならそういうことは部活の一環としてならOKで、きちんと進学させるでしょう。
橋下は「進学強化の対象校を実績によって年度ごとに入れ替える」と言い出していますが、自分の母校が強化指定から外れる可能性を頭に入れているかどうかが見えません。
>「東アジアの子供は必死になって勉強している」
不平不満を逸らすための方便ですね。レイシズムの臭いがするのは自分だけかもしれませんが。もしくは「銀のアンカー」のコピペでOKでしょうか。あれも最終回で似たようなことを言っていましたから。
勉強ができるに越したことはないのですが、その何倍も「学問ができる人間」を育てる方が大切でしょう。
司法試験時代の師匠がその世界でも有名な方らしいのですが、それが事実なら「合格法以外何も学ばなかったのかよ」とツッコミの一つも入れてやりたいです。「反面教師」と橋下が思えば「万死に値する」ということは確実です。