非国民通信

ノーモア・コイズミ

それは政治家の責任だ

2010-08-30 22:58:19 | ニュース

「裏で長官代えろ」「官僚に取り込まれた」=宣伝戦も過熱―菅、小沢陣営(時事通信)

 9月1日告示の民主党代表選で再選を目指す菅直人首相、出馬表明した小沢一郎前幹事長をそれぞれ支持する議員は27日午前、TBSのテレビ番組に出演し、相手を批判しつつ、支持をアピール。両陣営の「宣伝戦」も過熱した。

 菅陣営の寺田学首相補佐官は番組の中で、小沢氏サイドから「裏で官房長官、幹事長を代えろ、委員長を誰にしろという話があった」と暴露。小沢陣営の松崎哲久氏は「直接聞いてないことを公共の電波で言うのはおかしい」と批判すると、寺田氏は「(首相から)聞いた」と反論した。一方、小沢陣営の森裕子氏は、菅政権での2011年度予算概算要求基準に触れ「財務副大臣が『官僚に取り込まれた』と(言っている)」と官僚主導と断じた。

 菅内閣があまりにも酷いだけに、現体制が続いて欲しくないという思いはないでもありません。ただ、トップが小沢に変われば何かが良くなるかと言えば、全くそんなことはないであろうだけに虚しいところです。小沢にできたのは自民党を引きずり下ろすところまで、そこから先は何もできなかったのですから。小沢に概ね歩調を合わせてきた鳩山内閣時代でできなかったことが、小沢が自ら首相になれば実現されるなんてことはあり得ません。どのみち、菅と小沢の違いはそう大きくないですし。

 さて今回引用したニュースでは、森裕子議員が菅政権での2011年度予算概算要求基準に触れ「財務副大臣が『官僚に取り込まれた』と(言っている)」と官僚主導と断じたそうです。この人、国会事務所で日刊ゲンダイを配ったり、「検察をトップとする官僚機構と国民の代表である民主党政権との全面的な戦争です。一致団結して最後まで戦う」などと発言した民主党でも指折りの痛い人でもあります(参考)。こんな議員を相手にするのも馬鹿馬鹿しい話ですが、ただ似たような趣旨の発言は別の人からもまた随所で見られるのではないでしょうか。

 自身の支持政党や支持する政治家が支持者の信条に反する政策を採ったり、あるいは公約を違えたりしたとき、しばしば口にされる決まり文句がこの『官僚に取り込まれた』です。つまり鳩山なり小沢なり民主党なりが支持者の期待を裏切ったのではない、本人にやる気はあったけれど、官僚の妨害によって果たせなかったのだと、そういう風に語る人が少なくありません。本当に悪いのはあくまで官僚であって、決して鳩山や民主党ではないのだと、そういう世界観を固く信じて疑うことのない人もまた目立つわけです。

 そもそも鳩山自身が先陣切ってそういう世界観を掲げ、支持を集めてきました。自民党では官僚支配から脱却できない、だから自民党ではダメなのだと、そう訴えてきたはずです。つまり、鳩山にとって「主犯」はあくまで官僚であり自民党ではなかった、ゆえに自民党そのものを批判するよりも、官僚との関係をこそ批判してきたわけです。この世界観は民主党内部にも、また民主党支持層にも引き継がれ、また少なからぬメディアや無党派層にも浸透していると言えます。

 しかし、「官僚」であると言うことそのものに否定的なニュアンスを持たせるのは理性的ではありません。政策はその提言者が官僚であるか否かに関わらず評価されるべきであり、官僚だからダメだというのは明らかにおかしいでしょう。ましてやウケの良さそうな政策は政治家の手柄とし、批判を浴びた政策は官僚の企てだとするのならば、それこそ卑劣な振る舞いとして糾弾されるべきものです。しかるに「政治主導」とやらを声高に唱える連中ほど、この卑劣な振る舞いを恥じるところがないように見えます。彼らにとって「政治主導」とは官僚に責任を押しつけること、政治が責任から逃れようとすることを指しているようです。

 結局、政治家が官僚に従う義務はないわけで、官僚からの提言を容れるか退けるか保留するか、その辺は政治家の責任のはずです。官僚筋からの要請に添って行動して、その結果として批判を浴びたとしても、そこで『官僚に取り込まれた』と言い逃れするとしたら、甚だ無責任な態度としか言えません。部下の提案を採用した結果としての失敗であっても、責任を負うべきはGOサインを出した上司であり、そこで責任を負えない、全てを部下のせいにして保身に走るのであれば、そのような人には決して権限を与えてはいけないはずです。「政治主導」と称して不都合なことは何でも『官僚に取り込まれた』せいだとする人は、政治家としての根本的な資質を欠いていると思います。

 ちなみに、一口に「官僚」といっても決して思想信条の統一された集団ではないわけです。官僚と言えばすべからく諸悪の権化みたいに描かれますが、それは黒人の顔を全て同じように描くのに等しい行為でしょう。小泉時代だって官僚は「抵抗勢力」に位置づけられましたけれど(ですから本当に反・小泉カイカクの立場を取るのなら官僚組織は「敵の敵」となるはずです)、決して全員がそうだったわけではない、主流派は「抵抗勢力」であったとしても、小泉カイカクに積極的に荷担した官僚も少なからずいたはずです。官僚といっても全員が同じことを考えているわけではありません。たとえば法務官僚であれば全員が死刑執行推進派なのでしょうか? 千葉法務大臣の変節の責任を官僚に負わせようとする人の頭の中では、そういうことになっているのかも知れません。でもこの辺もまた大いに疑わしいものです。何かにつれ「官僚」という嫌われ者を敵視しておけば「国民の味方」を気取れるところがありますけれど、いい加減に色眼鏡を外して政策本意で物事を判断する必要があるのではないでしょうか。

 

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