非国民通信

ノーモア・コイズミ

ビジネス本とコンサルが勘違いを育てる

2010-08-06 22:56:40 | ニュース

292名前:仕様書無しさん[]2010/06/01(火) 19:32:26

入社1ヶ月で資料提出を期限日を指定され、了承した。
私「これはこうでよろしいのですか?」上司「どうすればいいと思いますか?」
私「~にすればいいのでしょうか?」上司「貴方がそれで良い思うようにしてください」
私「間違っている点なのありましたらご指摘願いたいのですが」
上司「なぜわからないんですか?」(薄笑いを浮かべながら)
私「すみません、こうで宜しいのでしょうか?」上司「本当にそれでいいと思いますか?」
私「はぁ。一応見る限りでは手落ちはないと思いますが」上司「ならそれで提出してください」
私「はい、では確認お願い致します」期限日3日前に提出
上司「例の資料ですが全然駄目、再提出してください」期限日当日
私「すみません、いつまでに出せばよろしいですか?」
上司「提出日は今日ですよね?」私「今日中にはちょっと、不備な点など教えていただけませんか?」
上司「貴方はどこが悪いと思いますか?」私「すみません、わかりません」
上司「何故わからいなのですか?提出期限を了承してできないことについてどう思いますか?」

毎日こんなやり取りです。死にたい。

 こういう上司って、この頃は多いのではないでしょうかね。入社1ヶ月という要素を抜きにしても上司の責任放棄でありパワハラ的な部分もあるわけですが、結構な頻度で遭遇するような気もします。もちろん本当に無能かつ無責任で、担当レベルに責任を押しつけるばかりの上司も少なくないでしょうけれど、あくまでこういうやり方が正しいと信じて実行している人も多いはずです。おおかたリーダー研修か何かで、「ただ部下に答えを与えるのではなく、部下に考えさせましょう、具体的には~」みたいなことを吹き込まれて、それを鵜呑みにした結果として冒頭に挙げたような上司ができあがるのだと思います。研修屋なんてメラビアンの法則みたいな疑似科学を振りかざすホラ吹きに過ぎないのですが、まるで新興宗教に嵌るかのような勢いで研修の成果を発揮しようと張り切る人もいますから……

オープンクェッションは卑怯だ/純丘曜彰 教授博士(INSIGHT NOW!)

 なぜ、どうして、という質問は、現実には反語的で、部下を追い詰めるために用いられている。しかし、そう問う前に、上司こそ、その問いの答えをあらかじめ部下に示しておくべきだったはずだ。

 イエスかノーかで答えるような質問を「クローズドクェッション」といい、「なぜ」「どうして」というような疑問詞を使って相手に説明を求める質問を「オープンクェッション」という。それで、コミュニケイションのセミナーで、さあ、管理職のみなさん、クローズドクェッションで詰問するのではなく、オープンクェッションを使って部下に自分で考える自由を与え、自主性を発揮してもらいましょう、などと言う。

 しかし、これは対等のコミュニケイションの理論、ないし、コーチングのスキルとしての場合であって、会社の上司と部下の関係では成り立たない。上司に質問される部下の立場になれば、すぐにわかることだ。なぜ売り上げが落ちているのか、と聞かれて、他社が新製品を出したから、などと答えたところで、次の質問は、どうしてそれがわかっていて何の対策もとらなかったのか、に決まっている。そして、最後は、どうしておまえというやつは、だ。こんな詰問は、もはや答えようがない。

(中略)

 論語に言う、起こってしまったことは説かない、やってしまったことは責めない、これまでの経緯は咎めない。上司に求められているのは、部下を問い質すことなどではなく、これからどうしたらよいか、部下たちに解決の方策を示すことだけだ。部下自身に考えさせる、自主性を引き出す、というのもけっこうだが、このことが、上司としてのこの解決策提示の責務を逃れる口実になってしまっているのであれば、そんな無責任なコーチングなど、いますぐ止めてしまった方がいい。

 上司は、すべてを掌握し、展望を持っていなければならない。だから、基本的に、質問するのは、部下たちの側の特権だ。上司が部下たちに尋ねてよいのは、次の一言だけ。なにか困っていることはないか?

 微妙にカタカナの使い方が独特なのでマヌケっぽく見えるところもある文章ですが、昨今の流行をよく解説しているところもありそうです。何でも「オープンクェッション」なる題目まで与えられているようで、やはり部下に対して必要以上に「なぜ」「どうして」と問いかける上司は研修によって生み出されていると推測されます。そしてこの研修の成果が現場を寄り混乱させる、と。結局のところビジネス系の研修ってものはその人の仕事に関する能力を向上させるものではなく、せいぜいが自己満足を与えるものでしかないのかも知れません。

 いつだったか週刊誌の記事で、ハウツー本の編集者による暴露話を読んだことがあります。たとえば恋愛ハウツー本、あれに書いてあることを実行すれば本当に異性にもてるのかと問われた編集者は、その可能性をきっぱりと否定していました。あれは異性にもてるための本ではない、ただ本の中身をちょっと真似てみて、さも自分が異性にもてる魅力的な人間になったような気分になる、そういう本に過ぎないのだと。たぶん、ビジネス本もその類なのではないでしょうか。いくらビジネス本を読んだところで経営感覚が磨かれるわけではないけれど、ビジネス本を読むことで「その気」になる、自分ができるビジネスマンになったような気分になる、そういう代物なのだと思います。結局、会社の研修やビジネスマン向けのセミナーも同様、受講者は自分が「できる人間」になったような気分になるだけなのかも知れません。その結果として、傍目に見れば恋愛ハウツー本をそのまま実行している痛い人と同レベルでしかない、そういうレベルの上司が生み出されているとも言えそうです。

 

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コメント (3)
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