非国民通信

ノーモア・コイズミ

ベンチャーの社長にありがちな勘違い

2010-08-04 22:59:56 | ニュース

【求人募集】GIGAZINEのために働いてくれる記者・編集を募集します(GIGAZINE)

2007年の秋以降、ことあるごとに人材を募集してきましたが、今回はさらにもう一段階上のレベルアップを目指し、これまでとはまったく違う視点と条件で人材を募集することにしました。

端的に言うと、自分の時間を切り売りして時給換算し、「仕事は仕事、プライベートはプライベート」というような消極的考え方をする人ではなく、「自分はGIGAZINEだからこそできることをするためにGIGAZINEで働きたい、ほかのところでは働きたくない!」というプロフェッショナル的な考え方をする人を求めます。余所でも働こうと思えば働けるような人ではなく、「GIGAZINEだからこそ働きたい!」という人を求めます。

 GIGAZINEというそれなりに人気のあるサイトで求人が出されているのですが、結構な話題を呼んでいるようです。冒頭部分からツッコミどころには事欠かないもので、曰く「『仕事は仕事、プライベートはプライベート』というような消極的考え方をする人ではなく~」とのこと。確かに公私混同、プライベートな時間にまで干渉したがるのが日本の標準的なビジネススタイルと言えなくもありませんが、仕事とプライベートを区別することって「消極的」なんですかね? これだったら欧米の企業やGIGAZINEなんかよりよっぽど成功している企業は軒並み消極的な人の集まりということになってしまいそうです。

 引用した段落から先は編集長(社長)による「募集に至る経緯」が綴られているのですが、はっきり言って甘やかされた子どもが泣きわめいている以上のものではありません。ただ、総じて経営者目線でしか物事を見ることができない日本の労働者に囲まれて育った日本的経営者の典型とも呼ぶべき発想が随所に現れているようにも思います。GIGAZINEの後日の記事では「編集長の山崎です。先日から開始した記者・編集の募集について、これまでの過去の募集を大きく上回る前例のない数の求人が来ており、激励する文章も想像を絶するぐらい多く送られてきており、非常にありがたい限りです。ああいう考え方は自立心の強い人か経営者レベルでないと理解できないのではないかと思っていたのですが、そんなことはありませんでした。」とも語られており、まぁ経営者を勘違いさせる原因は非経営者の側にこそありそうです。ともあれ、山崎社長の勘違いをよく表している箇所をいくつかピックアップしてみましょう。

「払われた金の分だけしか働かない、働きたくない、記事を書くのは面倒くさい、そもそもできれば書きたくない」という風潮が編集部内に蔓延し、そのことを明言する者さえ現れました。

「自宅でも勉強する分はGIGAZINEの仕事のために勉強するのだから、労働時間、いわば残業+休日出勤のようなものだ。プライベートの時間に勉強しろというのはプライベートの時間に働けというのと同じだ。だからその分の金を払ってくれるなら勉強してやっても良い」というようなことになってしまったのです。

しかし、「一流の会社と同じような労使関係を結んで雇用主と労働者の対等な関係を結ばなくてはならない。働いた分だけの給料はもらわなくては!」というような動きが出るにいたり、もはや我慢の限界を超えたというのが正直なところです。こちらの期待するだけの質の記事を書いて実績を出しているのであればともかく、そうでないのに金だけ要求されても困ります。

 いかに三流でも会社としてやっている以上、仕事への対価を払うのは当たり前のことです。しかるに労働への対価を払え、働いた分だけの給料はもらわなくては!という至極当然の要求に対して「我慢の限界を超えた」などと反応するのは社会人としてあまりに非常識でしょう。そりゃ会社の実態として無償労働が常態化している、給与支払いの対象となる範囲を超えて従業員を働かせているケースが多いわけですが、あくまでビジネスなのですから働かせた分は給料を出さねばならない、そうした自覚を持てないのならば人を雇うべきではないと思います。しかるに、とりわけベンチャー企業にはその類が多いような気がするのですが、それがビジネスだということを理解できていない経営者も多いわけです。従業員は給料のために働いているのではなく、社長の「志」に共感して集ってきたものだと、そう勘違いしている人も多いのではないでしょうか。そんなものは同人活動の域に止めておけよと言いたいところですが、仕事と趣味の区別を付けられないまま法人化してしまうことで、従業員に対して給与以上の奉仕を求めることに何の疑問も感じない雇用主が生まれてしまうわけです。

 「『ニュースサイトで記事を書くというのは、普通の労働とは絶対に違うのだ!』ということを事前にちゃんと理解していただきたいのです」「願わくば、私と同じような志を持つ『同志』に来ていただければ、と考えています」とも山崎社長は語っています。随分と自己評価が高いようですが、「普通の労働とは絶対に違う」と言うからには「普通の労働とは絶対に違う」だけの対価も用意されてしかるべきでしょう。それをするつもりがないのなら金とは別の価値観で働いてくれる人を求める、つまりは「同志」を集めることになるのかも知れませんけれど、でもこれは会社の話です、遊びではないわけです。あくまで趣味の活動であれば「同志」を求めるのも結構ですが、法人化してビジネスとしてサイトを運営するのなら、「同志」という名のイエスマン、社長の取り巻きを揃えるのは誤りなのではないでしょうか。会社は思想団体ではなくビジネスなのですから、人に仕事をさせるには対価が必要である、何でも社長のやりたいようにできるわけではない、その辺は自覚すべきです。「同志」を集めて好きなことをやりたいのなら、さっさと会社を畳んで個人サイトに戻ってください。

 

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参考、どうしようか やっぱり増田に書くべきか GIGAZINEの社員(?)と噂される人の書き込み

コメント (15)
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