心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

慈尊院の高野山案内犬ゴン

2017-07-16 23:20:12 | 四国遍路

 先週末、四国八十八カ所遍路の旅の満願を祝って、和歌山県の高野山に「御礼参り」に行ってきました。1年前に始まった遍路の旅も、これでひと区切りです。
 この日、朝7時10分に大阪・梅田を出発したときは、まさに夏の朝でした。が、高野山が近づくにつれて雲行きが怪しくなり、奥の院まで20分というドライブイン花坂あたりで雨が降り出しました。1000メートル級の山々に囲まれた標高800メートルの盆地に、人口3千人の街が広がります。そのうち1千人が僧侶なのだそうです。そんな街に、幼稚園から小中高に大学まである聖地です。平日ということもあって、欧米を含む外国人観光客が多く、世界遺産としての霊場であることを思わせました。
 少し小降りになったところで、奥の院に向かいました。あたり一帯が聖地であるため、もちろん写真撮影禁止です。燈籠堂で満願の報告をしたあと、その地下に降りて、15メートル先にある弘法大師御廟に向かって手を合わせました。弘法大師空海は、この御廟で「即身成仏」されたそうで、いまも生きていらっしゃる。なので毎朝6時と10時30分に食事が届けられていますが、お参りする11時頃、食事の後片付けをする3名の僧侶に出会いました。この儀式が千数百年にわたり受け継がれています。
 宿坊・安養院で昼食(精進料理)をいただいたあと、金剛峯寺をお参りし、書院内部やお庭を拝見しました。
 空を見上げると薄っすら青空も見えてきました。次は女人高野・別格本山「慈尊院」に向かいました。こちらは弘法大師の母公のお寺です。本堂に掲げられた絵馬には「高野より母を尋ねて月に九度」と綴られています。大師は、月に九度は必ず高野山上より20キロもの山道を下って母公を尋ねられたそうです。そんな因縁から、この地は現在、九度山町と呼ばれています。
 高野山が女人禁止の聖地であったことから、女人高野と言われています。なので慈尊院は子宝、安産、育児、授乳等を祈ったり、病気平癒を願ったりするお寺として定評があります。なんと、本堂前には「乳房型絵馬」がたくさん奉納されていました。近年は乳がん平癒祈願がたえず、遠くは海外からもいらっしゃるのだとか。
 そんな慈尊院の安念清邦住職から「高野山案内犬ゴン」のお話しを伺いました。慈尊院近くに住みついていた白い雄の野良犬が、20キロも離れた高野山へ向かう参拝者の道案内をしたというのです。既に15年ほど前に亡くなっていますが、当時は新聞やテレビでも広く紹介されたのだとか。参拝者の先を歩き、時々振り返っては確かめたり、危険を知らせたりするゴンの映像を拝見させていただきました。本当かなあという方もいらっしゃいましたが、ワン君の賢さと従順さを身をもって知っている私には、なんの違和感もなく受け入れることができます。実は高野山には約1200年前、弘法大師を高野山に案内した犬がいたという伝説があります。http://jison-in.org/about/gon.html
 こうして高野山への日帰り「御礼参り」を無事終えることができました。帰りのバスの中で先達さんは般若心経のことに触れて、高僧の言葉を例に、三つのキーワードを紹介されました。「拘るな」「捕らわれるな」「偏るな」。今回の遍路の旅で200回も唱えてきながら、まだきちんと理解できていない般若心経ですが、確かに根幹をなす言葉のように思いました。
 もうひとつ、高野山をお参りして改めて認識したこと。それは「多様性」という言葉でした。奥の院は20万基とも言われる石碑が並ぶ霊場ですが、宗派を越えて親鸞聖人や法然上人など様々な仏教指導者のお墓があります。石碑ひとつひとつ見ても様々な宗派の石碑が混在しています。すべてを受け入れる度量の広さ、多様性を軸にしてあることを実感をいたしました。このあたりも、「拘るな」「捕らわれるな」「偏るな」に共通するものがあります。
 奥の院では、道中着(白衣)にお印を記していただきました。参拝記念のお札もいただいて帰りました。でも、まだまだ知らないことが多すぎます。少し涼しくなってきたら、もう一度、四国遍路の旅に出ることを思案中です。 

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