心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

真夏の芸術鑑賞、そして読書

2017-07-27 21:34:10 | Weblog

 ほんとうに暑いですね。庭の草木もお疲れ気味です。夕方、庭中に水やりをするのが日課になってしまいました。そうそう、きのう皇帝ダリアの摘心をしました。もう少し早くやっておけばよかったのですが、まだ間に合います。高さを抑制することと花数を増やす効果があります。

 今夜、クーラーの効いた部屋でごそごそしていると、昼間の汗もどこへやら。アラン・プラネスのピアノで「ドビュッシー名演集」のレコードを聴きながら、ほっとひと息です。きょうは課外の音楽講座に出かけてきました。テーマは「近代フランス音楽のピアノの世界」。フルートとピアノの先生によるお話しと演奏で、フォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、メシアン、デュティユーの名曲を聴きました。ドビュッシーの「子供の領分」「ベルガマスク組曲」「前奏曲集」、ラヴェルの「鏡」などなど。メシアン、デュティユーあたりになると現代音楽に近い。.........終わった後は、知人たちと冷たいビールをいただきながら音楽談義でありました。
 その帰り道、ジュンク堂書店に立ち寄りました。お目当ては、先月発売された平凡社STANDARD BOOKS「南方熊楠~人魚の話」です。一カ月ほど前に南方熊楠に関するトークイベントに行って以後、久しぶりに南方熊楠の通史とも言える唐澤太輔著「南方熊楠~日本人の可能性の極限」を通読しました。鶴見和子著「南方熊楠~地球志向の比較学」に出会って以後、いろんな本を摘まみ食いしてきたので、少し頭の整理ができたような気がします。暑い夏の昼下がり、新進気鋭の若き南方研究者の熱い思いを肌で感じたものでした。
 暑い日が続くと、家の中でじっとしていられない性分です。先日は、家内を誘って大阪・中之島にある国立国際美術館に行ってきました。オランダのボイマンス美術館所蔵のブリューゲル「バベルの塔」展です。16世紀ネーデルランド絵画の巨匠ピーテル・ブリューゲル1世、奇想天外な怪物たちがはびこる世界を描いた奇才ヒエロニムス・ボス。(下の「バベルの塔」は絵葉書から、「大きな魚は小さな魚を食う」は週刊西洋絵画の巨匠「ブリューゲル」から引用)
 会場に入ってびっくりしたのは、聖者の木彫像でした。アルント・ファン・ズヴォレ(?)の「四大ラテン教父(聖アンププロシウス、聖グレゴリウス、聖アウグスティヌス、聖ヒエロニムス)」1480年制作。西欧キリスト教文化圏にあっても、日本の仏像文化に共通するものがあって、興味津々でした。
 基本的に宗教絵画が多いのですが、いろいろ見て回っているなかに「七つの大罪」という言葉にであいました。「強欲」「色欲」「嫉妬」「憤怒」「怠惰」「傲慢」「暴食」。なにやら弘法大師の「十善戒」のよう。不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不綺語、不悪口、不両舌、不慳貪、不瞋恚 不邪見。識字率の高くなかった時代、絵画は宗教の教えを説く重要な役割を担っていたのでしょうが、どんな宗教も同じなんだと妙に納得した次第です。
 それにしても、オーク材木彫、油彩、板、エッチング、エングレービングと多彩な手法で表現された作品のひとつひとつを興味深く拝見させていただきました。人の感性というものが、一千年、二千年という年数が、なんとも近しいものに感じられました。科学技術が発展し、人の知識が深みを増していくなかで、1千年前の人々と現在のわたしたちと何がどう違うのか。基本的なところではなにも変わってなんかいやしない。いやいや、AI(人工知能)の進化により、むしろ人の在り様は退化している、なんてことはないでしょうね。真剣に考えてしまいました。

 今週は金・土と北陸の温泉に出かけてきます。日曜日は終日、京都。というわけで、今週はブログの更新を見送ろうと思いましたが、習慣とは恐ろしいものですねえ。週1回の更新は崩したくないなあということで、とりあえず手許の材料を集めてみました。あすはバックの中に「南方熊楠~人魚の話」を入れて、ゆったりと日本の原風景を楽しんでくることにいたします。

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