心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

京都「百鬼夜行の通り」ウォーキング

2017-07-08 21:46:43 | 歩く

 百鬼夜行という言葉があります。さまざまの妖怪が列をなして夜行することの意味ですが、縁台で夕涼みをしている近所のお爺さんから、怖い怖いお話を聞いた小さい頃の夏の思い出が微かに残っています。集まった子どもたちは、恐る恐るお爺さんの話に耳を傾ける......。蒸し暑さが続く夏の夜に、古き良き時代の遠い風景が蘇ります。

 そんな7月の初旬、京都府ウォーキング協会の「百鬼夜行の通り」に参加してきました。その日の京都は晴れ、最高気温が33度にものぼる梅雨の合間の蒸し暑さのなか、11キロウォークに挑戦しました。ところが、ゴール直前の相国寺に至って、大粒の雨がポツリ、ポツリ.....。出町橋の麓に至ると雷鳴轟くなか土砂降りの雨。雨宿りをする場所もなく、急ぎ賀茂大橋を渡って京阪電車「出町柳」駅に辿り着いたときには、全身ずぶ濡れでした。
 平安時代、京の夜は今のように明るくはなく、暗闇がひろがる百鬼夜行の街だったとか。協会の資料によると、「平安時代の人々は、現代人が失ってしまった霊的感覚(第六感)が敏感であったようです。だから”物の怪”を感知できたようです。鬼・妖怪・魑魅魍魎(ちみもうりょう)などの魔界の者たちが群れをなして大路を徘徊して、人々を襲う”百鬼夜行”が多発していた」。今回はそんな足跡を巡るものでした。真夜中のウォーキングだと子どもの頃の恐怖心がこみ上げてきそうですが、そうもいきません。昼の京の街を歩きました。
 午前10時、JR二条駅を出発したあと、二条城の「あわわの辻」→二条公園「鵺池」→地蔵院→大将軍八神社→大将軍商店街「一条妖怪ストリート」→東向観音寺「土蜘蛛塚」→北野天満宮東門→上七軒→浄土院→千本今出川→橘児童公園→晴明神社「一条戻り橋」→一条通り→京都御苑「猿が辻」→相国寺「宗旦狐」→鴨川河川敷に至る行程でした。
 まずは二条大路と大宮大路とが交わるところに、妖怪(鬼)たちの行列、百鬼夜行と出くわすという「あわわの辻」がありました。びっくりした人があまりの怖さに「あわわ」と言って腰を抜かしたことからこの名がついたそうですが、初っ端から怖そうな所を歩きます。といっても今は車の往来の激しい通り沿いです。
 その北西にある二条公園には、鵺池(ぬえいけ)があります。「サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足をもち、尾はヘビ」という鵺の妖怪が、妖怪退治の英雄・源頼政が放った矢にあたって奇妙な鳴き声をあげながら落ちたという伝説の池です。退治した鵺の死骸は見世物として都中に引き回されたそうですが、疫病がはやったため死骸はバラバラにされ丸木舟に乗せて鴨川に流したと言われています。このお話し、実はことし3月、山本能楽堂であった企画「流されて~能と落語と文楽と」のなかで、能楽師・山本章弘さんから伺ったことがあります。妙なところで遭遇したものです。ちなみに現在の鵺池は、近年整備されたもので、かつての面影はありません。
 次に、西大路通りを北上して、平安時代の一条通り(大将軍商店街付近)に向かいます。夜の町辻を妖怪が行列をなして行進したという百鬼夜行の怪異伝説をもとに、商店街活性化の一環でしょうか、「一条妖怪ストリート」の旗が立ち並びます。昼間だというのに、お店の前に妖怪のお人形もちらほら。お店の2階にもいくつかの妖怪がいました。
 北野天満宮の鳥居を横目に左に入ると、東向観音寺が見えてきます。その境内の奥に「土蜘蛛塚」はありました。配付資料によれば、「病床の頼光が大入道に襲われたが、枕元にあった名刀で切り付け難を逃れた。頼光は渡辺綱らに探索を命じ、血痕を辿ると塚があり、塚の中にいた人の背丈もあろうかという大きな土蜘蛛を退治したところ、頼光にとりついていた悪病もみるみる快方に向かった」のだそうです。医術が未発達の時代、こうした謂れは民衆にとって切実だったのでしょう。ちなみに、境内の看板には「土蜘蛛とは、我が国の先住穴居民族で背が低く、まるで土蜘蛛のようだったといわれる」と記されていました。
 智恵光院を経て、次に向かったのは陰陽師・安部晴明を祀る晴明神社でした。境内には、100メートルほど南にある「一条戻り橋」を復元した橋がありました。源頼光の四天王のひとり、渡辺綱が鬼女の腕を切り落とした場所としても有名で、現在でも「戻る」を嫌って嫁入りや葬式の列は、この橋を渡らないのが習わしなんだそうです。安部晴明は十二神将の式神を橋の下において、必要な時に召喚して吉凶の橋占いをしていたのだとか。
 いよいよ京都御苑に入ります。お目当ては京都御所東北角の「猿が辻」です。築地塀が折れ曲がった部分の屋根裏に、一匹の木彫の猿がおいてあります。烏帽子をかぶり御幣をかついだこの猿は、御所の鬼門を守る日吉山王神社(大津市の日吉神社)の使者なのだそうですが、夜になるとこの付近をうろつき、通行人に悪戯いたずらをしたため、金網で封じ込められているのだと。なんとも楽しいお話しです。
 京都御苑を出ると、今出川通りをわたり、同志社大学正門を横目に相国寺に向かいます。レンガ造りの同志社大学啓明館(旧図書館)、アーモスト館、致遠館が立ち並びます。いずれもヴォーリズの建築です。
 この日最後のお話しは相国寺の「宗旦狐」でした。配付資料によれば、「偽りの千宗旦(千利休の孫)がお茶を点てたあとその場を去ると、もう一人の宗旦(本人)が遅刻したことを詫びながら登場するということが何度か起きた。弟子たちは宗旦の偽者がいると考え、あらかじめ宗旦の居場所を確認したうえで、茶会に現れた偽者の宗旦を問いつめた。すると、寺に住みついている狐であると白状し、狐の姿に戻って逃げていった。それからしばらくすると、宗旦狐は、宗堂で座禅をしたり托鉢に行くようになり、寺のために尽くした」のだそうです。境内の宗旦稲荷社には、千宗旦に化けた狐が祀られていました。
 このお話しを聞いた直後に雨が降り出し、間髪を容れず土砂降りの雨に祟られました。「宗旦狐」の顰蹙でも買ったのでしょうか。クワバラ、クワバラ。
 どうも最近、天候の変化が激しい。北九州地区では未曾有の大災害に見舞われています。被災地の皆様には心からお見舞い申し上げます。地震といい大雨といい、自然災害が目立って多くなりました。G20では、地球温暖化対策の国際的な枠組み「パリ協定」協議が難航しているようですが、地球という巨大なシステムに見えない負荷がかかっていないかどうか。森に元気がないのも気になります。人間の行為が災いしていることがないかどうか。ひょっとしたら、非科学主義のなかにさえ何かが隠されているかもしれません。この機会に冷静に幅広に検証してみる必要がありそうです。

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