
寒い寒い日曜日の朝、愛犬ゴンタのお散歩が終わると、部屋中の窓を開け放ってお掃除をしました。冬の日差しが部屋の奥まで差し込み、きりりと身の引き締まるのを感じました。机の上もきれいに片付けて、グレン・グールドのLPを回しながら、さあブログの更新でもはじめましょう。
先週半ばに東京に出張しました。新大阪を朝8時過ぎに出発すると10時30分頃に到着です。その2時間半の間に、滋賀県と岐阜県の県境で雪化粧をした伊吹山が楽しめます。関ヶ原あたりになると、30㌢ほどの積雪、雪国の真っただ中を通り過ぎます。でも、名古屋に近づくと、さきほどの雪景色が嘘のように晴れわたっています。少しうとうとしていると、山頂に雪をいただく富士山の雄姿を伝える社内アナウンスが流れます。あっという間に東京・丸の内です。快晴の冬空の下に林立するビル群の中に消えていきます。狭い国土でのささやかな時空間移動です。
そんな東京での仕事を終えると、出発までに少し余裕があったので、神保町界隈を散策しました。手にしたのは、白洲正子著「両性具有の美」、そして雑誌「新潮」の小林秀雄追悼記念号(昭和58年4月号)でした。「新潮」には、小林氏の講演録「信じることと知ること」のほか各界の識者の追悼文が載っていました。白洲正子も、そのひとりです。
わたしが白洲正子という人物に出会ったのは、2年前の今頃だったと思います。「目利きの肖像」というタイトルで細川護熙さんが白洲さんのひととなりを紹介したNHK教育テレビ「知るを楽しむ”わたしのこだわり人物伝”」でした。実は、その同じ講座のもうひとりの人物が柳田國男でした。それ以来、白洲さんの著書を何冊か読んで、それが小林秀雄へとつながっていきました。
「両性具有の美」を手にしたのは、帯に添えられた「古事記から源氏、西行や南方熊楠、そして世阿弥。穏やかな自然に恵まれた日本には、両性具有という思想を育む豊かさがあった」という記述でした。「粘菌について」と題して南方熊楠にもふれてありました。白洲さんが南方熊楠にも関心を寄せていたことになります。その南方は、柳田ともつながっていきます。
こんなふうに読書の幅を広げていくと、その人のものの考え方を、より相対的に眺めていくことができます。より、人間臭さが伝わってきます。そんな楽しみが、読書にはあります。仕事に追われる毎日ですから、仕事以外の本に目を通すのは土・日が中心になります。リタイア後に晴耕雨読の毎日を夢見ながら、目一杯、日曜日を楽しみたいものです。
先週半ばに東京に出張しました。新大阪を朝8時過ぎに出発すると10時30分頃に到着です。その2時間半の間に、滋賀県と岐阜県の県境で雪化粧をした伊吹山が楽しめます。関ヶ原あたりになると、30㌢ほどの積雪、雪国の真っただ中を通り過ぎます。でも、名古屋に近づくと、さきほどの雪景色が嘘のように晴れわたっています。少しうとうとしていると、山頂に雪をいただく富士山の雄姿を伝える社内アナウンスが流れます。あっという間に東京・丸の内です。快晴の冬空の下に林立するビル群の中に消えていきます。狭い国土でのささやかな時空間移動です。
そんな東京での仕事を終えると、出発までに少し余裕があったので、神保町界隈を散策しました。手にしたのは、白洲正子著「両性具有の美」、そして雑誌「新潮」の小林秀雄追悼記念号(昭和58年4月号)でした。「新潮」には、小林氏の講演録「信じることと知ること」のほか各界の識者の追悼文が載っていました。白洲正子も、そのひとりです。
わたしが白洲正子という人物に出会ったのは、2年前の今頃だったと思います。「目利きの肖像」というタイトルで細川護熙さんが白洲さんのひととなりを紹介したNHK教育テレビ「知るを楽しむ”わたしのこだわり人物伝”」でした。実は、その同じ講座のもうひとりの人物が柳田國男でした。それ以来、白洲さんの著書を何冊か読んで、それが小林秀雄へとつながっていきました。
「両性具有の美」を手にしたのは、帯に添えられた「古事記から源氏、西行や南方熊楠、そして世阿弥。穏やかな自然に恵まれた日本には、両性具有という思想を育む豊かさがあった」という記述でした。「粘菌について」と題して南方熊楠にもふれてありました。白洲さんが南方熊楠にも関心を寄せていたことになります。その南方は、柳田ともつながっていきます。
こんなふうに読書の幅を広げていくと、その人のものの考え方を、より相対的に眺めていくことができます。より、人間臭さが伝わってきます。そんな楽しみが、読書にはあります。仕事に追われる毎日ですから、仕事以外の本に目を通すのは土・日が中心になります。リタイア後に晴耕雨読の毎日を夢見ながら、目一杯、日曜日を楽しみたいものです。
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