心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

時代はどこに向かっているの?

2024-07-05 20:57:25 | Weblog

 今週の水彩画教室では風景画に挑戦です。トスカーナにあるサンジミニャーノの街角で撮った写真を見ながら素描をして時間切れ。この土日に仕上げに入ります。連日暑い日が続くなか、冷房の効いた教室で楽しい時間を過ごしました。
 そういえば昨日、田舎の実家から笹巻が届きました。笹の葉にお餅を包んだ昔ながらの食べ物ですが、この時期になると母がよく作ってくれました。そんなことを思いつつ、私も今夏74回目の夏を迎えます。
 あれよあれよという間に、今年も半年を経過しましたが、年初に誓ったデジタル終活は一向に進みません。せめて、クレジットカードぐらいは整理しようと、先日2社分を解約しました。面白いと思ったのは、デジタル社会にあって解約はネット上の操作ではなく対面(電話)だったこと。ネットも怖いけど、電話もどうなんだろう。でも他に良い方法がないんでしょうね。さあて次は何に手をつけましょう。

◇    ◇    ◇

 そんなある日、新聞(デジタル版)に目を通しながら、最近の社会風潮に何やら得たいの知れないモノが蠢いているような怖さを思いました。政治と金の問題だけではなく、都知事選に見られる候補者の不可解な行動。国内外で蠢く妙なポピュリズムの台頭。テレビ各局も「政治」をショー扱いにしているし、夜のゴールデンタイムは人を茶化す番組のオンパレード。民放のCMの多さにも閉口します。経営優先のマスコミが社会を壊しているというのは言い過ぎでしょうか。
 救いは、大谷選手、パリ・オリンピックをめざして頑張る若者たちの姿です。その活躍を清々しい気持ちで眺めながら、政治屋たちはいったい何をしているんだろうと。ある意味末恐ろしささえ思います。
 あれもこれも、年老いた私の偏見なんでしょう。きっと。手許にある小林秀雄講演CD第4巻「現代思想について」に、「街の隠居」というくだりがあります。社会から逃げないけれども、街に沈んでいる「隠居」のことを話題にしています。小林さんは「逸民」ともいいます。子どもの頃、縁台に座って煙管を吸っている怖いご隠居さんがいました。いつもぶつぶつ言っていました。叱られたこともありました。ひょっとして私も、そんなご隠居さんの仲間入りしたのでしょうか(笑)。いえいえ、目に見えない何かが時代を動かそうとしています。
 今週も、ぼんやりと須賀敦子の「霧の向こうに住みたい」をパラパラめくりながら過ごしました。40で帰国して20年経った60歳を境に30年前のイタリアでの生活、風景をエッセイにしました。清々しい言葉で人の心と風景をさりげなく表現する須賀敦子さんのエッセイは「心の風景」を支えています。須賀さんの域に近づくことは到底できませんが、文章作法のお手本になっています。そう思っています。まだまだ文章修行は続きます。

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