心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

ハーブに気づかされること

2007-06-03 11:01:48 | Weblog
6月に入って時々湿っぽさを感じるようになりました。梅雨の季節が迫ってきたようです。でも、ここ大阪は、太陽こそ顔を出さないものの、外気が肌に心地よい、そんな休日を迎えています。
 この季節、我が家のハーブ畑は、大きく成長したハーブたちで溢れています。レモンバーム、カモミール、ミント、ローズマリー、ラベンダー、セージ、オレガノ。その傍に日本のシソ、ハッカなども植わっています。それらを愛犬ゴンタと眺めて過ごす贅沢な時間を楽しんでいます。それだけではありません。最近はハーブの葉っぱを摘んでは、ウイスキーや焼酎のオンザロックにそっと置いて香りを楽しんでもいます。
 わたしがハーブを好むのは、自然の生命(いのち)を感じるからです。か弱そうに見えるハーブたちは、素晴らしい香りを放つことで自らの存在感を示しています。その香をわたしたちは楽しむ。そこに不思議な共生空間を感じる。癒されるというよりも「気づき」の時間をいただく。慌しい日常生活のなかで見失いがちな「生かされている自分」を実感する。人間の傲慢さに気づくのです。
 先週紹介した鶴見和子さんの「日本を開く」に、こんなくだりがありました。「新しいパラダイム転換というものは、周辺から起こるもので中心から起こるのではない。中心は自分が一番偉いと思っているから、動かない。自分で自分を変えるなんてことはありえない。自分が偉いと思っている人がどうして自分を変えられますか。周辺だから変えられる。周辺だからパラダイム転換が可能になる」と。仏教の曼陀羅図をもとに読み解いた南方熊楠の科学方法論に沿ったものですが、わたしには現代人の傲慢さに対する警鐘のように思えてきます。
 と、もっともらしいことを綴っていますが、すこし話題を変えます。今朝なにげなくテレビを見ていたら、NHKのBShiで「夢の音楽堂」の再放送をやっていました。音楽評論家の黒田恭一さんのほか、バイオリン奏者の諏訪内晶子さんもご登場。午後には最近注目しているソプラノ歌手のアンナ・ネトレプコさんもご出演です。二部構成で午後3時まで続きます。録画をしながら、それでも、所々鑑賞したいと贅沢なことを考えています。休日の時間配分に苦心しているところです。いろいろと心の揺れ動く、今日この頃です。
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