きのうの朝、梅田の水彩画教室に向かう電車の中で文庫本に読み耽っていたら中之島駅に着きました????。どうやら違う電車に乗っていたようです。慌ててなにわ橋駅まで戻り、歩いて梅田に向かいました。すると中央公会堂の前に妙なオブジェがありました。何?これ?。車の上に車が乗っかっていて、その上には樹木が植わっています。ついついスマホで写真を撮ってしまいました。こんな調子で、ここ数日おだやかな日々が続いています。
さて、ここからが本題です。仕事を辞めてから毎朝なんとなく見ている朝ドラですが、ものづくりの町・東大阪を舞台にした『舞いあがれ!』が今月末で幕を閉じます。先日、福原遥演じるヒロイン・舞が語った『連携』という言葉を、なんとなく懐かしく思いました。
人力飛行機作りのシーンでは、若い頃身近で若者たちの制作場面を見たことがありますし、某局主催の鳥人間コンテストを見に琵琶湖河畔にまで出かけたこともありました。本来業務とはかけ離れたところで、阪大の先生とご一緒に東大阪の町工場を廻ったり、クリエーションコア・東大阪で地元の方々とご一緒したことも多々ありました。NASAに納品するような先進技術が東大阪の町工場で生まれています。朝ドラ「舞い上がれ!」のとおりです。経済団体を中核とする産官学連携事業の一環で国プロに挑戦し採択されたりもしました。今となっては懐かしい思い出です。以後、異業種交流が私のテーマになっていました。
そうそう、市内では歴史のある商店街で、組合の皆さんと一緒に活性化事業に取り組んだこともありました。高齢を理由に引退する店主の跡を継いだ若い女性、東京で企画会社に勤めていた方ですが、夜な夜な組合事務所で缶ビールを片手にああでもないこうでもないと話しあったこともありました。こうした活動の前提には必ず「連携」という言葉がありました。
四国を歩いていると、至る所でシャッター街になった商店街を目にしました。全国チェーン店がやって来くると地元の小さな商店は太刀打ちできません。そして町からお金が東京の本社に吸い上げられていきます。地方が疲弊するのは当然です。どこかでパラダイムシフトが必要です。
当時、私は職場でも「連携」「連携」と言って回っていました。大きな組織もほっておいたらいつの間にかタコツボ組織になってしまいます。我が城を守る軍団が闊歩し組織が硬直化していきます。そんなときに出会ったのが知識経営の生みの親である野中郁次郎先生でした。あるシンポジウムでお目にかかりました。SECIモデル。「暗黙知」と「形式知」というものの考え方を教えていただきました。
私も歳ですねえ。朝ドラを見ながらふと昔のことを思い出してしまいました。実は、現在関わっているNPOという小さな組織でも同じような問題が見え隠れしています。長年培ってきた「知識」をうまく繋いでいくことが不得手です。せっかく積み上げてきた知恵が一人の頭の中に埋もれています。シニアで構成する職場ですから、いつ誰が健康を損ねてリタイアするとも限りません。組織の持続可能性を考える意味で放置できません。私の最後のご奉公になる予感がしています。
さてさて、先週後半からバタバタしていた仕事も、明日で大きな山を越えます。期待した通りの成果を数字で示すことができて安堵しています。この土曜日には横浜から次男君一家が帰ってきます。少し小休止して孫娘と一緒に一泊二日の小旅行、白浜へパンダを見に行ってきます。良きお爺ちゃんをしてこようと思っています(笑)。