朝のお散歩でお不動さんに立ち寄った際、今年初めてセミの鳴き声を聞きました。そんなある日、朝刊を眺めていて目に止まったのが、E・モリコーネさんの訃報でした。映画音楽、91歳。荒野の用心棒....。この歳になると、若い頃に心のお世話になった方々の訃報に接します。お悔み申し上げます。 滅多に映画館に行くことのない私ですが、なぜかジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画はよく見ました。なかでも「ニュー・シネマ・パラダイス」は、DVDを購入するほど気に入っています。シチリアの少年と映画技師、初恋の女性への思いを描いた作品です。この日の夜は、久しぶりにDVDを見ました。モリコーネの音楽が心に染みわたります。
7日にアップされたいずみホールの無観客ライブ配信(金管五重奏曲)第2部は、映画音楽がテーマでした。映画「ミッション」に流れたモリコーネの「ガブリエルのオーボエ/滝」を聴くことができました。人の心を静かに豊かに揺さぶる映画音楽の世界。この感動は歳をとっても変わりません。 さて、話題はがらりと変わります。「芸術新潮」7月号の鳥獣戯画特集に誘われて、梅雨真っただ中、京都・栂尾の高山寺に行ってきました。京都駅前からJRバスに乗って向かうのですが、案の定、乗り場には「土砂崩れのため運休」の貼紙。よく見ると栂ノ尾までは通常運転で、その先が運休であることがわかり、ひと安心。乗客は2人。終点・栂ノ尾で降りたのは私一人でした。
明け方の豪雨の影響で、路のすぐ横を流れる清滝川は茶褐色に濁り荒れ狂っていました。恐る恐る、いやいや気を取り戻して、栂尾山・高山寺に通じる裏参道を登りました。拝観の手続きを済ませてまず向かったのは石水院でした。奥の座敷には、鳥獣戯画や明恵上人樹上座禅像、明恵上人が愛玩していたという湛慶作の「子犬」などが陳列されてあります。(以下の写真は絵葉書から)
いずれも国宝級の品々ですから、本物は別の場所に保管されているのでしょうが、周囲の空気感にしっとりと溶け込んでいて、私の心を和ませてくれました。時折晴れ間も覗く栂尾の山々を愛でながら、しばし縁側に座って小休止です。
ご朱印状をいただいたあと、開山堂、明恵上人御廟、春日明神社、金堂などを見て回りました。その昔、山深い境内で人の生き仕方を考えたであろう明恵上人とその弟子たちのことに思いを馳せました。
高山寺は、かの南方熊楠が「南方マンダラ」を構想するきっかけとなった土宜法龍が住持を務めたお寺としても知られています。土宜法龍宛南方熊楠書簡が大切に保管されています。
南方熊楠は和歌山の出身で、博物学者、生物学者、民族学者として知られていますが、その破天荒な生き仕方が、現役の頃の私にある種の知力を与えてくれた人物でもありました。若くしてコンサートという舞台演奏から退きレコーディングに舵をきったグレン・グールドとも近しいものを感じてしまいますが、どうなんでしょう。私だけの受け止め方でしょうか......。荒れ狂う清滝川に沿って栂尾、高雄の山道を歩きながら、ぼんやりとそんなことを考えました。そういえば4年前のちょうど今頃、私は熊楠が眠る紀伊田辺の高山寺にお参りしたことがありました。(南方熊楠の墓前に報告2016-07-16) この日はそのあと、清滝川に沿って南に下り、槇尾山・西明寺と高雄山・神護寺を巡りました。帰りには本屋さんで白洲正子著「明恵上人」(講談社文芸文庫)を連れて帰りました。
ちょっとした「歩き遍路」のようでもありましたが、ひとつ気づいたことがあります。マスクを着けて歩くことの息苦しさです。さすがに人のいない山道ではマスクを外して歩きました。でも、街中も歩く「歩き遍路」ではそうもいきません。ここ数日、感染者数が急増しています。四国の方々にご心配をおかけするわけにはいきませんので、少し落ち着くまで「歩き遍路」はお休みにすることにしました。