心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

爽秋

2009-09-06 18:01:07 | Weblog
 ことしの夏は、いつの間にか通りすぎていきました。ここ数日、日中こそ暑さのぶり返しがありますが、朝夕の涼しさは、とっくに秋。「爽秋」という言葉が似合います。こんな季節が私は大好きです。
 でも、ひと夏を越した庭の草木は、少しお疲れのご様子です。葉っぱは萎れ、なんとなく元気がない。夕方になって散水すると目が覚めるようですが、それでもしんどそう。人間と一緒で夏バテなんでしょう。きっと。考えてみると、私自身もなんとなく気だるさが抜けきれません。長椅子に横たわって、さて、何の曲を聴こうかと迷ってしまいます。珍しく、きょうはニュージーランドの女性歌手ヘイリーのCD「クリスタル」を聴きながらのブログ更新です。 ヘンデルの「私を泣かせてください」、プッチーニの「私のお父さん」、カッチーニの「アヴェ・マリア」・・・
 そんな9月の初旬、私は京都に行ったり来たりしました。先週の土曜日は知恩院のお参り、月曜日の夜は祇園界隈で知人との懇談会でした。そしてここ2日間は、お勉強会に出かけておりました。そうそう。祇園界隈では、花見小路を歩いていたら30人ほどのカメラを構えた外国人観光客に出くわしました。なんだろうと目を凝らすと、花街を歩く舞妓さんがお目当て。異国文化に惹かれる気持ちは判らないではありませんが、少し行き過ぎではと思ってしまいました。きのうは、京阪電車の三条駅から河原通りに向かう途中、お昼だというのに鴨川沿いの1軒の川床に人の群れ。なんだろうと眺めると、なんと川床に牧師さんの姿。結婚式が行われていました。京都の風物詩、鴨川沿いの納涼床も、そろそろお終いなのでしょうが、なかなか粋な結婚式風景ではありました。
 ところで、この夏は鶴見和子曼荼羅「知の巻」を読破しようと思っていましたが、中野孝次編「すらすら読める方丈記」に触発されて、小休止。少し古文に目覚めました。大阪と京都との間を移動する時間を利用して、いまは中野孝次編「すらすら読める徒然草」を読んでいます。この歳になって改めて眺めてみると、なかなか読み応えがあります。現在にも通じる歴史観・人生観のようなものを知ることができます。といっても、深読みをしているわけではありませんから、吉田兼好さんの思いのどこにまで到達しているのかは、なんとも心もとないところではあります。それでも、京の街を歩いていると、ときどき頭の中で平安、鎌倉時代に時間移動します。ふと、近代的な建物が目の前に現れると、現実の世界に逆戻り。あっちに行ったり、こっちに行ったり。季節の変わり目は落ち着きがありません。
 人と向き合っている仕事をしていると、あまり目先の損得に惑わされない、何かもっとスケールの大きな視点から現実を見つめることができればと思うこの頃です。・・・と書き綴ってきて、さて、きょうは何が言いたかったのだろうと自問する私が、ここにいます。お疲れ気味かも。
 上の写真は、先日帰省した際、鳥上の里で足元にあった草木を撮影したものです。秋の深まりとともに、枝先の実が真っ赤になるのでしょう。これから年末に向けてまっしぐらです。
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