心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

年の瀬を迎えて、心は「ゆく年くる年」

2022-12-28 19:40:45 | 旅行

 年末の大掃除の合間を縫って、今日は近くのお不動さんで行われた「納め不動特別大護摩供厳修」に行ってきました。それが終わると本堂前の広場では「柴灯大護摩供厳修」、山伏姿の僧侶たちが中央の炉壇で燃え上がる炎の中に、願い事が書かれた壇木と護摩木を投げ入れるお焚き上げです。「ゆく年」に感謝しつつ「くる年」の心願成就を願いました。
 ところで、先週に続いて今週も一泊二日の旅行に行ってきました。北陸・山中温泉です。先週末、ずいぶん雪が降りましたから一時どうなることかと思いましたが、雪もおさまり晴れ間がのぞく旅日和。地面のいたるところに30センチ前後の積雪はありましたが、良いお天気に恵まれました。遠くに雪景色を眺めながら露天風呂に浸かり、地酒を楽しみ、ほっこり時間を楽しみました。
 旅行のメインは、雪の永平寺を尋ねることでした。2日目の朝、片山津温泉→山中温泉から永平寺に至る1日1往復の大型観光バス「永平寺おでかけ号」に乗って向かいましたが、月曜日だったからでしょうか、なんと行きも帰りも乗客は私たち2人だけ。申し訳ない気持ちになりましたが、贅沢なバスの旅でした。それでも永平寺に着くと参拝客で賑わっていました。いろんなアクセスがあるということなんでしょう。
 曹洞宗大本山「永平寺」は、1244年に道元禅師によって開かれた坐禅修行の道場です。吉祥閣から長い階段を登って僧堂、仏殿、法堂、承陽殿、大庫院、山門の順に見て回りました。一般的な寺院に見られるような煌びやかさはありませんが、凛とした空気があたりに充満し、物質世界とは異なる「精神世界」に包まれて身が引き締まる思いがいたしました。
 時々、修行僧とすれ違いますが、中には外国人の青年僧の姿もありましたし、参拝客の中にも外国人の方々をちらほら。なんとなく高野山に似た空気感がありました。
 修行僧の方々は、冬の寒い時期なのに法衣をまとい修行に励んでいらっしゃいます。修行僧の一日は、「坐禅」、朝のおつとめ「朝課」、作法に則り食事をいただく「行鉢」、そして回廊の雑巾がけなどをする「作務」があると、パンフレットには記されてありました。
山門まで行くと、恐ろしげな顔付きの四体の四天王(南方増長天王 西方廣目天王、北方多聞天王 東方持国天王)が出迎えてくれます。
 あたりの雪景色に目を移せば、高い杉木立の傍らに鐘楼があります。大晦日の夜、NHK「ゆく年くる年」で時々登場する鐘楼です。しんしんと雪が舞う中で新年を迎える映像が脳裏をかすめますが、この日は数日前の残雪が心を和ませてくれました。
 そうそう、今回の小旅行には、玉岡かおるの長編歴史小説「帆神~北前舩を馳せた男 工楽松右衛門」を連れていきました。特急サンダーバードの車中やホテルでほっこりしているスキマ時間を見つけては頁をめくっていました。
 1年前に発行されたのですが、なかなか文庫本化されないので、出がけについつい単行本を買ってしまいました。この年末年始のうちに読みたいと思いながら、明日からは三々五々、子や孫たちがやってきます。読書どころではありません(笑)。
 最後の最後まで落ち着きのない生活が続いていますが、ブログ「心の風景」の年内の更新はこれをもって終了します。お越しいただいた皆様には、いつも他愛ない記事をご覧いただきありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いをいたします。
どうぞ良いお年をお迎えください!

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4 コメント

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Unknown (桂蓮)
2022-12-29 13:36:33
凛とした風情、説明文に気持ちが伝わるような、
間接体験できそうな感じを受けました。
永平寺について、機会が巡ってきたらとお願いしたのは、おそらく何年も前でしたのに、
しっかり覚えてくださって
感激しました。

今までは多くの禅僧から
永平寺にまつわる話を聞きましたが、
今回の記事で、なんだか時代感というか、
世代が交差するような
世間の余波に、何とかなく吹かされる老木みたいな感じがしますね。

木造の階段の写真はアングルが非常にいいですね。

何年経っても、人ととの話を大事に扱ってくださったこと、本当に感服です。
そしてありがとうございました。
4年前のことでした。 (ran_coffeebreak)
2022-12-29 22:31:08
桂蓮さん
ご無沙汰しています。早速コメントをいただきありがとうございました。

振り返ってみると、2018年1月19日付「歩き遍路(徳島県)~恩山寺から薬王寺へ」の記事について、「永平寺とか總持寺、青森県の菩提寺などの記事がありましたら教えてください」というコメントを桂蓮さんからいただいていました。4年前のことです。

この記事は「西の高野」とも言われる四国八十八カ所21番札所の太龍寺に行ったときのものでした。立入禁止の鎖を越えて切り立った岸壁をよじ登り、その上に座する弘法大師座像を目の当たりにしたときの感動は今でも忘れません。

いつも拝見している桂蓮さんのブログ「Zen禅~心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く」。その中に登場する「心の風景」という言葉に親近感を覚えながら、「生き仕方」について多々示唆をいただいています。これからもよろしくお願いをいたします。

今年もあと僅かです。良いお年をお迎えください。
Unknown (桂蓮)
2022-12-30 10:13:57
2018年でしたか、コロナの前ですね。
あの時は、日本にいつでも行けると思ってましたね。
今思うと、あの時にコメント書いても
当時筆者様はブログセレブに見えたから
まあー返事とかする暇ないだろうと思ってました。
なのに、誠実な返事も書いてくださって
この方、芯まで真面目な人だと思ったことあります。
空の口約束などしない人だと思ってました。

永平寺は日本に住んでた時に
何回か行く予定を組んでましたけど、
仕事の事情が合わず、いつも次回にと回してきたところです。
そこで坐禅終業を体験するのが夢でした。

アメリカに移住する直前まで仕事してましたから
結局、時間が合わずで、断念しましたね。

でも筆者様とのブログ縁で
間接的に目だけでも満足しました。

凛とした雰囲気、そうだろうなーと

以前の記事関連まで詳細に加えた返信頂き、誠にありがたく受けました。
人との縁も妙ですね。
切れたと思ったのに、何年後にまたつながっていて。
ご丁寧なご返信に感謝 (ran_coffeebreak)
2022-12-30 23:01:38
桂蓮さん
ご丁寧なご返信をありがとうございました。
そうですね。人との出会いは不思議なものですね。一度もお会いしたことがないのに、こうしてお話しができるのはブログならではでしょうか。

現役の頃、次代を担う10数名を連れて京都の妙心寺で坐禅体験をしたことがありました。その多くの方々が今、経営の最前線で活躍しています。禅は奥が深くその真髄に迫るのは並大抵のことではありませんが、何某かの「生きる力」「時代を見つめる心」を育むことができるように思います。私は寄り道が多くてなかなかその真髄に迫ることはできませんが、大事にしたい視点のひとつです。

次男君が横浜に居を構えていますので、ひょっとしたら何年か先に總持寺のことをブログにアップできるかもしれません。しばらくご猶予ください。

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