愛しきものたち

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木津川市 大智寺(だいちじ)地蔵石仏

2012年02月02日 | 石仏:京都

木津川の南岸堤防直下に有る大智寺は、行基が天平13年(741)木津川(泉川)に架けた橋柱材を利用し刻まれた 「文殊菩薩坐像」を本尊とし、橋柱寺として創建されたといわれています。

洪水でしばしば橋は流され、平安時代には渡船に成ったようですが、鎌倉時代になり、弘安年間(1280年頃)西大寺の僧、叡尊により創建された橋柱寺はその後江戸時代に至り「橋柱山大智寺」と改号したようです。

今でも古い泉橋の一部が残る対岸には泉橋寺が有って、今も木津川を挟んで対峙している。

国道24号線の泉大橋を渡って堤防を下流へ直ぐの堤防下に有りますが、ここから車では境内まで入る事は出来ません。

山門を入ると本堂を正面にして向かって右傍らに間口を大きく開いた地蔵堂。(大阪でもこんな地蔵堂だと良いのに・・)

中央にはほぼ等身大の地蔵石仏、ぐるっと囲むように小石仏。

別石の大きな蓮弁を持つ前面だけの蓮台を足元に置き、舟形光背を持つほぼ等身大の定型地蔵立像。

向かって左手の光背面に、大永X年(1521~1526)の記銘が在って室町中後期の造立。

涎掛けを外した痕には蟲の卵が一杯・・、かなり気持ちの悪いものです。

地蔵堂の傍ら、小さな木立の脇には十三重の石塔、基壇には枠取りをした中に格狭間を造り出す。

初層軸部の北面と西面には舟形光背の中、四方仏のを半肉彫り、東面と南面には金剛界四仏の種子を刻み込んでいる。

この石塔も元々この場所にあったものでは無いようです。

撮影2011.3.20