ここ10年ほどご無沙汰してる間にすっかり景観の変わってしまった鹿背山(かせやま)不動尊。
以前2005年頃に来たときには、まだ回りの建物など殆ど無く、がらんとした山裾にすっかり寂れ果てたように不動堂だけが有って、如何にも不気味にさえ思えるところでしたが・・・最近訪れて見るとこの通り、周りには住宅が建ち境内は明るくなり、太子堂なる新しい建物まで有って吃驚・・・。
多分付近の丘陵などの宅地開発で大金が転がり込んだお陰なのだろう??。
鹿背山の山裾を大きく迂回し、旧加茂町方面に伸びる農道のような府道234号線を走ると、左手に鹿背山不動尊の石碑が見え、その奥、田圃畦道のような参道へと続いている。
低い石段の上簡素な山門正面、新しい大師堂脇最奥に不動堂が建っている。
正面は太い閂を掛けられた格子戸・・・・・、このままでは全く暗くて奥の様子など全く見えない。
閂を抜き格子戸を空けると中央に御火炊きば、その奥には鉄格子・・・・、これは硬く施錠されてどうにもならず鉄格子レンズを差込の撮影。
切石で岩を石龕状に囲い、中央奥岩肌に舟形状光背を彫り沈め、像高50cm足らずの不動明王立像を中肉彫りで刻み出している。
中央に立つ香炉がどうにも邪魔ですが鉄格子越し、なんとも動かしようも無く、全体像はどうしても撮影できません。
像の両側に南北朝期初期、「建武元年(1334)甲戌十一月卅一日」「大工末次」の刻銘がある様ですが確認する由もありません。
「大工末次」と云えば、云わずと知れた、あの東大寺再建で名を成した宋人石工集団「伊一族」の子孫・・・・。
南山城や大和高原域にはこの一族の手に拠る素晴らしい石仏が数多く残されている。
撮影2011.9.15/2012..1.15