デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



柴田元幸訳、J・コンラッド『ロード・ジム』(河出書房新社)読了。

読了直後の印象は、この作品は自分のことを棚に挙げたり、自分の行為が他人に不快感を覚えさせても自分の行為を省みるどころか正当化するような人にとっては、理解しがたい作品かもと思った。
作品で語られるジムはロマンチストであるが、自分の職務を全うすることが自分の命の危機となる事態に直面すると、彼は卑劣な者の側に身を置いてしまう。その記憶は彼を延々と苦しめることになる。
その苦しむ様子を読んでいて思い出したのは、サルトルが『出口なし』で描いた登場人物たちの苦しみだった。あれは、自意識過剰の人間だけのものかもしれないと、時に思ったりするのだが、『ロード・ジム』で語られるジムにとってみれば、あながちそうではないと思った。実際、記憶というのは呪いでもある。
ジムの語られ方については物語のはじまりの前の「著者より」にあるように、病的な感じもする。ただ、他人の苦しみに対し、無関心でいようとせず人様の苦悶への想像力を働かせる語り手のマーロウは、いつの世でも必要な人物だろう。苦悩を真摯に受け止めてくれる人物を、誰もがなんだかんだいって求める時はあるのだから。

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