『源氏物語』の巻五まで読了。物語を大まかに分けると源氏の栄華が絶頂に至るまでが第一部(巻五の終わりまで)らしいので、一旦ここで物語に関する薀蓄なしに思ったことを書いておきたくなった。
この物語に覚えた第一印象は文才のある女子高生が中学時代や高校時代の恋愛模様を書いたものではないかといったものである。
書いてある内容が、思いの他、現代の中高生の恋愛事情に近いように思った。才色兼備な源氏みたいな奴はクラス(教室内)や学年に一人はいるように思うし、才色兼備でなくとも求愛行動が上手い奴と例えてもいいように思う。先人の歌や中国の詩に通じている登場人物と中高生の恋愛といっしょにするなという意見もあろうが、恋愛駆け引きで生じる気持ちを歌に詠むという表現方法の違いだけで、源氏や源氏をめぐる女性たちがやっていることは、現代のスマホを用いた中高生の恋愛感覚と何ら変わることがない。また相手の顔も見たことない会ったこともないにもかかわらず恋愛心をかき立てられ、通おうとする様はさしずめ「出会い系サイト」による顛末と同じである。
気になっている女生徒がいるとして彼女に興味を示してもらえたら、一日のデートの返事は早いほうがいいのは、源氏が気に入った女性にいち早く歌や手紙を送るのと同じだし、「隣のクラスのあの娘が可愛くて人気がある」という噂だけで妄想肥大してしまい委員会活動その他の何らかのきっかけでその「噂の娘」と実際に接する機会を持つと「なんでこんな娘が人気あるのか?」と興ざめるようなことは、源氏が末摘花の君に抱く妄想誇大と幻滅とさして変わらない。
また相手につれない態度を取られ、自分がふさぎこんだり嘆き続けたり、誰に対してもやるせない心苦しい気持ちになるのを歌に詠んだり中国の詩人の詩を引用して吟じたりするのは、現代いえば失恋のショックをカラオケでウサ晴らししたり、読書が趣味であることを気取って小説から失恋のシーンや名言を引用して自己感傷に浸り実はナルシズムに酔っていることと同じだろう。それで流す涙は膨大だが、泣けどしたたかにたくましく、一時の失恋ショックも「前世からの縁」などと摩り替え、自分の軽薄さなど棚に上げて「つれなくされるのを相手のせい」にようするになすりつけが上手く、数日も経てばあっけらかんとしている源氏は、学年やクラスの恋愛の達人みたいである。自分の悪評や浮名が流れることをまんざらでもなく思っていて、逆にそれによって世間から不当な評価を受けていると同情をかうための話題に転化するやりかたは、「クラスの人気者」ならではである。須磨に流れるのは普段の素行がばれて停学になったようなものだし、停学が明けたら少々注意深くはなるもののやることは同じである。根拠のなき自信家で自分なら何でもできると信じ込み、普通とは違った面倒な事情のある難易度の高いゲーム感覚で臨むような恋に、かならず惹かれる心の癖が治ることはない。
源氏の心根や浮気っぽい恋愛における行動力、中高生の自意識過剰な男子生徒と同じだが、源氏に言い寄られる女性たちの反応や本音も現代と同じで、特定の男子生徒と痴話ゲンカしたり、その男について噂しあい愚痴りあったりして、大声でボロクソに言っている内容と同じである。ファストフードで少しだけゆっくりしたいのにその僅かな時間でさえ嫌でも聞こえてくるような、LINE上で行われる駆け引き(時に陰湿な)で起こった様々なことを、女子高生たちが騒いでけたたまししく言い放ち倒す会話内容ともいっていい。「あいつは最悪だけど、あいつをブロックしたら意中の相手とのつながりが切れてしまうし、あぁ~どうしよう」と女子高生が周囲へのマナーなどどこ吹く風で臆面なく聞こえよがしに言っていることなんて日常茶飯でなんら珍しくないだろう。そういった点からして、物語の中の貴族たちの恋愛のやり取りの描写は、時代を超えるもので色あせていない。本当にすばらしい。
それらの描写は紫式部が、12歳で結婚が当たり前の世界に生きていた時代の人だったから可能だったのかもと思う。いくら宮中とはいえ、14~20歳ぐらいを対象とした現代的な恋愛心理と差して変わらなく感じるのはそのあたりの事情からだろう。
しかし源氏には現代の中高生のもてる人気者とは異なるある意味救いになっている点がある。それは、一度でも関係を持った女性を経済的な面での面倒をしっかり見続けることだろう。「この女は飽きたから捨てる」とか「自分の子を懐妊したから逃げる」、「政治的立場上のピンチに陥ったから全財産もって一人トンズラする」なんてことがないのだ。そこは並の色男とは異なり憎めないやつである。
他、重大な秘密を漏らしまくる軽々しい坊主の扱われ方に笑ったり、いくら自分たちの業の深さを反省して出家したり勤行を積んだとしても、何ら効果がなく禊したところで却って腹黒さが増してしまう藤壺や源氏に対し、あなたがたは地獄落ちだなと思ったりしたこと、ようするに聖職に就いている者が一番トラブルメーカーもしくはトラブルを招く呼び水の役割を担っていることに、作者が神や仏に仕えている人たちのことを実際どう見ていたか垣間見れるようでおもしろく思った。冷泉帝はいまさらそんなこといわれたってと思ったろうし、それが天変地異の原因ならば天変地異が起る前に坊主がなんとかせいと嘆きたくなったのではないか(笑)。