Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

文化的な話題と三面記事

2012-06-16 | 文化一般
管弦楽団の話題が二つ新聞を賑わしている。一つは三面記事でベルリンのフィルハーモニカーのホルン奏者がチェロについて書いたのでインタヴューしている。ホルン奏者であるから管楽器についての本を書くのは分るが矢張りより話題になるであろうチェロについて書いたのは、クラウス・ヴァーレンドルフでカラヤン時代も数年間は演奏経験があるようだ。

奥さんにごみだしを命ぜられるよりも本を読ましておけという感じで刊行した本のようで専門ではないチェロを語っている娯楽的な読み物となっているようだ。

例えばこぼれ話的に面白いのは、チェロの足が高価な舞台の傷めているとか、チェリストは使うべきプレートを使うのを嫌がるとかで、チェリスティンのシュトップシと家庭コンサートに招かれたときに、ラミネートの床に穴が開くといって叱られたなどである。インターヴューアがチェロを弾くようでカザルスの逸話から楽器自体を筏にしてアウトドアー用具として使える話などが挙がっている。

さて冗談のような話は文化欄へと移ると俄然真剣な文化的な話題となる。SWRの二つの管弦楽団を合併する話の続きである。音楽文化先進国ドイツ連邦共和国でどちらの楽団を残すのか、それとも縮小して二つを残すのかなどの非文化的な話題となる。

そもそも連邦共和国に一体幾つのプロフェッショナルな交響楽団が必要あるのか?カイザースラウテルンとザールブリュッケンのそれが合併されたように適当なレヴェルの楽団はポップスと交響曲やエンターティメントなどを広く手掛ける管弦楽団があればシリアスな文化的な音楽を専門的に演奏する交響楽団などはあまり必要ないことは事実である。

要するに従来の交響楽団が演奏していたようなレパートリーはエンターティメント管弦楽団がその任を負い、同じように吸収合併されている地方の劇場の座付き管弦楽団と同じようにミュージカルからバレーまで幅広く手がければよいのである。

それでは公共的な資金を投げ込んで育成すべきは、やはり20世紀の大管弦楽曲を多く初演してきたような旧SWFのバーデンバーデン・フライブルクのような管弦楽団である、それでも州都であり経済都市のシュツッツガルトに世界的な管弦楽団が無いと困ると言うのでそこを本拠にした放送交響楽団を残したいと言う思惑もある。

しかし、州都という意味合いでは歌劇場があり、そこの管弦楽団を維持しなければいけないことから、放送交響楽団を解散してそちらの方へと梃入れをすればよいのであろうが、これまた財源も全く異なる縦割り行政でとても難しいことなのだろう。同じようにフランクフルトやハムブルク等々座付きと放送交響楽団など二つも大管弦楽団の必要ない大都市は少なくない。



参照:
Bei den Celli sieht es aus wie nach Termitenbefall, Klaus Wallendorf, Ariane Dreisbach, Zwei Orchester minus eines ist kleines, Gerhard Rhode, FAZ vom 9.6.2012
Immer Ärger mit dem Cello: Liebeserklärung eines irrenden Waldhornisten an die streichenden Kollegen, Klaus Wallendorf (AMAZON.de)
無知蒙昧の大鉈の前に 2012-02-23 | マスメディア批評

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 何を差し置いても弔いに参列 | トップ | バーデン・バーデンを登る »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿